お寺の沿革

本堂正面


当山開基の信願御房は親鸞聖人御直弟二十四輩の一人にして俗姓は清和源氏の末葉、佐竹の一族、稲木三河守義清と申し、稲木の城主で遁世して慈清と号しましたが、後に、稲田の親鸞聖人の御弟子となり、名を信願房定信と改めました。

天福元年(1233)常陸国粟野鹿崎(現茨城県桂村)に道場を開き、念仏のみ教えを広められましたが、正嘉元年(1257)十月十九日往生されました。

ここ健武の道場は、もと健武所生の少年和久勝介が稲木家に仕え、信願房のお供をして稲田へ通う間に親鸞聖人の御指導を受け、信願房の御弟子となり定念と号した。

定念故郷の健武に帰りて貞応元年(1222)の春、親鸞聖人をおまねきし七日間の御説法をいただき、健武の道場を建立、その堂宇を信願房へ寄付せられた。

その後本願寺第三代覚如上人が健武の道場に御滞在になり、慈願寺の寺号を賜ったのが当山の起源。



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