僕は竜を殺した

 竜が嫌いだった。初めて見たのは何歳のときだっただろうか。よく覚えていない。考えてもみるがいい、あの可愛さ、確かに文句なしだ、だが反吐が出るような鳴き声を鳴らしながら、人懐っこく体をすり寄せてくる、好きな人にはいいだろうが、そういう馴れ合い気質が嫌いな人はどうだろうか? そういうのを見るたび竜に対する嫌悪感を募らせた。元々僕は人よりひねくれている。それに小さいころちょっとしたイジメを受けたので、ますます性格がひん曲がった。そういうことを考慮にいれれば確かに竜嫌いは仕方なかったかもしれない、しかしいくらそうやって言い訳を立ててみたところで、この感情が、結果的に沢山の竜を殺したことになったのは変わらない。
 性格がダメでも頭だけは良かったので、すらすらと優秀な大学を卒業した。そして就職先を探した。成績は良かったので山ほどの就職先が見つかった。相手の方から頭を下げてきた、だがそれらをことごとく蹴った。もう生半可な職業では飽き足らなくなっていたのだ。何か刺激的なものはないか。普通じゃない、とても変わっている、そして毎日充実感がある、やりがいがある――そんな変わった職業を探していた。

 ある日、僕のもとに見慣れない人が来た。見るからに暗くて陰湿そうで、何をしでかすかわからない、そんな印象を与える五十代のみすぼらしい男だった。
「君が、荒井正樹君だね」
「はい、そうですが……」
「私は、こういうものです」
 男は名刺を差し出した。そこにはこう書いてあった。
(竜処分施設代表 中田兆治)
 僕は驚いた。
「竜処分施設? どんな所です」
「名前からして、想像できないかなあ」
 中田という男は、にやりと笑った。嫌な笑い方だった。
「話は聞いている。君は竜が嫌いなんだろ、殺したいくらい」
「はい、そうですが……」
「なら、私の施設は君が働くのにピッタリだ」
「つまり、竜を殺すところなんですね」
 そう訊くと、彼はにわかに真剣な顔になった。
「竜が我々の世界に現れたのは確か、数十年前くらいだったかな? そう、発見されたのはヨーロッパのどこかの国だったな。我々人間は驚いた。伝説にしか存在しない竜が出現したのだから! しかし、その姿はあまりに我々の想像とかけ離れたものだった」
 彼は顔をゆがめた。
「あまりにも可愛すぎた。ふさふさの毛、くりくりとした瞳、人懐っこい性格……。完全に無害かと思われた。あの竜が子孫を増やし、今ではすっかり人間と同じ、この地球の住人となってしまった。まだまだその数は人間に比べて少ないながら、着実に竜たちは子供を産み続け、数を増やしている。それにもかかわらず、人間は竜を放っておいてきた。しかし最近はどうだ? 竜はどんどん傲慢になり、人間にたてつくようになってきた。ニュースでは毎日人間と竜のトラブルが報道される。竜が人間を殺す事件も起き、世界のあちこちで人間と竜の紛争が起きている」
 彼は心底竜が嫌いそうだった。
「幸い日本ではまだそういう事件が起きていない。だが、それも今のうちだけだ。竜は想像していた以上に傲慢かつ残酷だ。やがて日本でも竜が人間に争いをしかけ、征服しようとするだろう。そうなる前に、だ」
 そこで一旦話を切った。彼の目はギラギラしていて、怖かった。
「竜を殺す必要がある。できるだけ早く。できるだけ多く。日本が竜に占領される前に、あいつらを皆殺しにするのだ。増えてからではもう遅い、根を絶たなければならない。まだ比較的幼い竜を、力ずくで捕らえ、全て殺すのだ。容赦してはいけない。日本の未来のためなのだ」
 そこまで話すと、彼の表情が少し緩み、口調も穏やかになった。
「私の施設は、一般人には知られていない。トップシークレットなのだ。当たり前だろう、こんな施設があると知れたら、平和を叫ぶだの竜との共存を望むだの、甘っちょろい団体が黙っていない。私もこうして君に話す以上、それなりの覚悟を持っている。君が私の施設に入る可能性が高いからこそ、こうして君とコンタクトを取ったのだ。私は長話があまり好きではない、単刀直入に言おう。どうだ、入るのか、入らないのか」

 僕は考えた。確かに竜は嫌いだが、だからといって、竜を根こそぎ殺すような残酷な職業についてもいいのだろうか? 竜を殺すのは快感だろう。想像するだけでわくわくする。けれど、そのためだけにこの職業に就く気はなかった。まだ良心はあったのだ。
「入らないなら」
 と、彼は言いながら、注射器を取り出した。背筋が凍るのを感じた。
「何をする気です」
「こちらにも考えがある。さっきも言ったように、私の施設は一般的には知られていない。君がもし入るのを断ったら、後でこの話を他人に洩らすかもしれない。そうなっては私も困るのだよ。だからもし入らないのであれば、この注射を打ってもらおう。君は意識を失い、次の日何事もなかったかのように起きる。昨日のことは一切覚えていない。そう、最初から君と私は会わなかった、ということになる」
 僕は黙り込んでしまった。こんな危険な人だとは思わなかった。注射器に入っている薬は、あくまで打った日のことをまるっきり忘れるだけで、害はなく、危険ではないという。しかし信用できない。この男油断ならない。果たして入るべきだろうか? 悩んでいると、彼は
「金なら用意してある」
 大量の札束を取り出した。なんという金! 法外な値段である。一万円札がいくつあるのだろうか? 信じられない思いで僕はそれを見つめた。
「これを、全部僕に?」
「そうだ。こんな施設で働く以上、当然だ。契約金にこれだけ、年俸は一千万円。ボーナスも様々だ。悪くない話だと思うが」
「一千万円」
 僕はうっとりして言った。竜を殺すだけでそんなに金が入るのだ。この不況の時代、そんなおいしい職業があるだろうか? しかもボーナスまであるという。金には一生困らないだろう。それに元々、普通じゃない刺激的な職業を求めていたのだ。そのうえ年俸まで高いときたら入るしかない。
 僕は脅しと金の誘惑に負けた。
「わかりました、入ります」
「そうかね?」
 彼の顔に笑みが浮かんだ。彼は契約書をペンを取り出した。
「契約は簡単だ。ここにサインしてもらえばいい」
 ペンを握り、そこに<荒井正樹>と書き込んだ。彼の顔がますますほころんだ。
「よし、契約成立だ」

 必要な物をまとめ、車で連れられ、車から降り、森林の中を歩き、ついたところは、丘の上にそびえ立つ、とてつもなく巨大な施設だった。
「うわあ、でかい」
 僕はおもわず声をあげて感嘆した。
「どうだ、立派な施設だろう。お前は今度からここで働くんだ」
 森の中にこんな施設があるなんて! しかし想像していた以上のでかさだ。あまり大きすぎる施設にろくなものはないというのはわかっていたが、今更後戻りはできない。
 施設の中に入ると、中田は自分と同じくらいの年の男を連れてきた。
「こいつが今度からこの施設で働くことになった、荒井正樹という者だ。いろいろとあるだろうが、世話をしてやってくれ」
 男はうなずくと、こちらを向き、握手を求めてきた。
「はじめまして、荒井正樹君。俺の名は立原悠治だ。よろしく頼む」
「はい、よろしくお願いします」
 僕と立原は握手を交わした。それを見ると、中田は去っていった。
 それから、立原が施設の中を案内してくれた。まず、今度から自分が住む部屋。
「この施設は沢山の人が働く。部屋は豪華だが、一人一部屋では間に合わない。だから、ひとつの部屋を四人で使う。ちなみに、俺も君も、この部屋に住むことになる」
 次に、竜を処刑するまで捕らえておく檻。そこは凄まじい光景だった、部屋に入ったとたん、竜が強力な檻をガシャガシャ鳴らし始めた。
「出してよお」
「ママはどこ?」
 泣いている竜もいた。おそらく親から無理やり引き離されてここへ連れてこられたのだろう。とにかく凄い数だった。いったい何万匹いるのだろう。大きい竜なら檻を破るなどたやすいことだが、悲しいかなまだ幼く小さいので何も抵抗することができない。
「こいつらはまとめてガス室送りにして殺すのだが、それだけではきりがない。だからガス室以外にも、いくつも処分室がある。それらの処分室では、銃殺したり、両手両足を固定し、首を切断したりする。一刻も早く竜の数を減らさなければならない、そうしないと間に合わない」
 他にもいろいろな施設があった。最後に僕達が使う部屋に戻ってくると、立原はこちらを振り向いた。
「じゃあ、時間が来るまで部屋で休んでいていいよ。わからないことがあれば何でも訊いてくれ。それじゃあ、俺は仕事があるから」
 立原は去っていった。
 午後八時から僕は処分室に入らなければならなかった。この施設では、実際に竜を処分する手立てを実践しながら学ばなければならない。といっても、それは簡単な話で、ただ単に竜を固定して、その首をよく切れる刀で切断すればいいだけの話である。しかし実際やるとこれがきついらしい。もちろんその光景を見て気分がいい奴などいないだろうし(いたとしたらそいつは異常者だ)、当たり前であるが。これを感情を入れずに、殺せるようになれば、一人前だという。

 処分室は、地面が血で真っ赤に染まっていた。なま臭い匂いは強烈だった。それはすでにそこで何百匹もの幼い竜の命が奪われたことを物語っていた。三人がかりで幼い竜を、特殊ベッドの上にうつ伏せに固定する。あとは僕が刀を振り下ろすだけだ。この刀は本当に強力で、たとえ竜の皮だろうが鱗だろうが、あっというまに切れてしまい、刃こぼれひとつしない。
「ねえ、離してよ」
 子供の竜はすっかり怯えきった声を出した。僕は刀を振り上げた。
「お願い、やめて。なんでこんなことするの?」
 僕は刀を勢いよく振り下ろした。首が、音をたてて前にとび、転がった。それと同時に大量の血液がぼたぼたと落ち、元々赤い地面をさらに赤く染め上げた。それはなかなかショッキングだった。とんだ首は、口をぱくぱく動かした。おそらく、「ママ」とか「痛い」とでも言いたかったのだろう。やがて口が動かなくなった。それっきりだった。
 この光景を見たとき、昔父から聞いた話を思い出した。
 昔、処刑にはギロチンが使われていた。あっという間に首が切れてしまうので、すぐに意識を失い、痛みはないと思われていた。しかしそれにある博士が疑問を持った。おそらく、首を切った後でもしばらく意識は続いているのではないか? そこで博士は、自ら試すことにした。弟子の手を借りて、自分の首を切断するのだ。そのとき博士は、弟子にこう言ったという。
「もし首を切断されたとき、痛かったら、私はまばたきをする。切断した瞬間意識を失うなら、痛くもないだろうし、それにまばたきもできないはずだ。だから私の首を切断したあと、私が何回まばたきをしたか数えてくれ」
 そして彼はギロチンで自らの首を切断した。首が前に転がる。弟子は博士の首の表情を注意深く観察した。そのとき、確かに博士の首は、何度もはっきりと、まばたきしたという。……この実験が公表されると、ギロチンは廃止されたらしい。

 竜殺し初体験はなかなか効いた。頭の中では、悲惨な光景と、切られる前の仔竜の言葉と、切られた後の仔竜の口……等が、ぐるぐると回転した。僕はふらふらになりながら部屋に戻る。立原が待っていた。
「やっぱり、ちょっとショックだったか」
「うん」
 僕はその場に座り込む。
「誰でも初めはきつい。でもそのうち慣れるさ。だから大丈夫だ、心配するな」
 立原は慰めてくれた。僕の頬を涙がつたった。今まで生きてきたのが全て無駄に思える。けれどもここで挫折するわけにはいかない。立原の言うとおり、そのうち慣れるだろうし、それにこれを我慢すれば年俸一千万円とボーナスが待っているのだ。
 次の日から竜を淡々と殺した。実感はない。ただ、固定された竜の首めがけて、刀を振り下ろすだけだ。なんて簡単だろう、命ってはかないな、と思う。しかしやがて何も感じなくなった。竜を殺すことが当たり前になった。慣れてしまったのだ。感情もない。殺しのエキスパートになった気分だ。もっともそれは喜ぶべきことではなかった。
 うるさい竜を黙らせるため、捕まえられている竜達の目の前で、公開処刑をしたこともある。残酷な方法だった。まだ幼い竜を、手と足を片方ずつマシンに縛りつけ、そのマシンをどんどん横に広げていくのである。僕はその光景を一生忘れないだろう。最初竜は泣き叫んでいたが、ぶちぶちという変な音が鳴り出し、ついに真っ二つに裂けてしまった。後にはただ「竜」だった肉片と、ぼたぼた落ちる血液と臓腑だけが残った。それを見ていた竜達は青ざめ、黙り込んだ。お前たちもやがてこうなるのだ、と立原が竜達に怒鳴っていた。
 時々、従業員たちの性欲を発散させるために、娼婦が招かれた。しかし僕はそんなものに興味はなかったので、相手はしなかった。
 全て順調だった。考えてみれば笑えた、殺すだけで成績が上がり、それにあわせて給料も上がる。こんなに楽な職業はない。金には困らない。好きな物を外から取り寄せられる。僕は昇進し、年俸は一千万円を超え、二千万円に達した。部屋も豪華な一人用をもらえた。ますます竜殺しに精進する。
 僕はロボットになっていた。殺人鬼と化していた。ただ刀を振り上げては振り下ろす、その繰り返し。何の感情もなくなった。金のために僕は全てを捨てた、心さえも。
 いつのまにか二年が過ぎる。自分はこの施設の中でトップクラスになった。殺した竜の数は数百匹。優秀な成績だ、あなたは立派な人だ、と周りから言われたが、ちっとも嬉しくない。順調に竜の首を切断する。この作業はもう自分にとって日常になっていた。諸事情で処刑をすることがない日が、むしろ異常だ。今日もいつものように、竜の鳴き声がこだまし、血液が飛び散り、首がとんだ。永遠にこんな日が続くように思えた。

 そんなある日、僕は中田の部屋に呼ばれた。
「荒井正樹、参りました」
「ほう、来たかね」
 中田はにっこり笑う。
「とある危険な竜が我が施設に運び込まれた。それは最も危険な種族だ。万全を期して一週間後に処分することにした。怒らせてはたまらないからな」
 何故一週間後なのだろう?
「君に頼みがある。その竜を処分するまで面倒を見てくれないか。体中に制御装置をつけて弱らせ、力を奪ってはいるものの、何をしでかすかわからない。そのくらい強大な力を持っている。だから、君はその竜を怒らせないようにうまく一週間もたせろ」
「わかりました」
 とんでもないことを頼まれたもんだな。竜の姿を想像した。どのくらい恐ろしい姿をしているのだろう? その竜が捕らえられている檻へ向かった。
 檻の中を覘いたとき、僕は面食らった。想像しているのと全く逆の姿をしていたからだ。
 美しかった。体中は白いふさふさの毛で覆われ、まるで輝いているように見えた。つぶらな瞳も可愛らしかった。両手両足には黒い輪みたいなもの(中田はそれを制御装置だと言った)がついていた。
 しかし、その竜の表情は暗かった。僕達に対して竜は、檻の中からおびえた目を向けた。その体はぶるぶる震えていた。僕が檻の中に入ると、竜は一歩後ずさりした。
「ビビってると、殺すぞ」
 そう罵ると、竜はびくっと体を震わせた。
「こいつは雌なんだ」
「そうですか。殺りがいがありますね」
 竜の震えはますます酷くなった。
「殺さないで」
「何もしない。一週間はな。最後はお前も他の竜と同じように、苦しめながら殺してやる。時間がくるまで、せいぜい自分が竜に生まれてきたことを苦しみながら生活するがいい。ところで、こいつは何歳なんです?」
 僕が中田に尋ねると、
「およそ二百五十歳前後だな。人間でいえば、十九、二十歳くらいだ」
「それだけ生きれば、十分ですね」
 僕は檻の中から出た。

 事故はその日に起こった。別の捕らえられた竜を処分するため、処分室に連れて行くとき(その竜は比較的大きかった)、足に噛み付かれた。いくら幼竜とはいえ噛み付きは強力だ。僕の足はぐちゃぐちゃになってしまった。激しい痛みが襲った。血が滴った。僕は叫び声をあげた。
「誰か、病室に運んでくれ!」
 しかし怪我を治すには輸血が必要だった。そのくらい酷い怪我だったのだ。森の中にあるので、たとえヘリにしろ、血液が到着するには相当の時間がかかる(何故竜に対する設備は完璧なのに、こういう事を想定して血液を用意していないのかと思った)。
「このままでは出血多量で死んでしまう」
 立原が言う。
「どうすればいい?」
 一同がなすすべもなく呆然としていると、檻の中から声がした。さっきの雌竜だ。
「私、治すことができます」
「なんだと」
 立原が雌竜の方向を振り向く。
「貴様、冗談はやめろ。いくら凄い竜だからといって、そんな魔法みたいなことができるものか」
「ですから、魔法なんです」
「黙れ!」
 皆押し黙った。しかし僕が痛みに耐えかねて叫び声をあげると、立原は舌鼓をうった。
「わかった、お前に任せてみよう。ただし、荒井を治せなかったときは、お前を殺す」
 一人の男が檻の中から雌竜を出した。雌竜は、僕のもとに近づいてきた。一同は銃を雌竜に向けた。
「何か妙なマネをしてみろ、その瞬間お前の頭が吹き飛ぶぞ」
 立原の脅しにも屈せず、雌竜はその手を僕の足にかざした。すると、僕の傷はみるみる治っていくではないか! 一同は自分の目を疑った。この雌竜は本物の魔法を使えるのだ。
 すっかり痛みはひいた。奇跡だ。その奇跡を起こすのがこの竜なのだ。
 立原が咳払いをした。

 立原たちが去ったあと、僕は雌竜を檻に入れた。
「まさかお前が治せるとは思ってなかった。その、なんだ。ありがとう」
「いえ、礼には及びませんよ」
 雌竜は力なく笑う。
「君の名前は」
「はい、ファイと言います。傷は大丈夫ですか」
「ああ、幸いね。さっきはあんなこと言って、すまなかった。治されたからっていきなり態度変える僕って、チョロいよな。君は不思議な力を使えるんだね。制御装置をつけられているのに、凄いや」
 ファイは顔を赤く染めた。
 その日から、僕は毎日ファイの檻の前に来るようになった。餌もおいしいものを用意した。恩返しになると期待して。
 いつものように「おはよう」と挨拶を交わしたあと、前から気になっていたことを訊いた。
「君は、どうしてここに?」
 そう言ったとたん、ファイの顔が青ざめ、体がぶるぶると震えだした。雌竜の目からは大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
「お母さんとお父さん、死にました。目の前で殺され……血だらけで……泣き叫んで」
 やっとこれだけのことを言った。
「まずいことを訊いちゃったかな」
 ファイはこうべを垂れ、さめざめと泣いた。僕は「また来るよ」と言ってその場を去るしかなかった。
 次の日、ファイは元気がなかった。昨日一日泣いていたのだろう。僕は雌竜に自分のぶんの食事を分けてやった。雌竜はそれをありがたそうに食べた。そのあとはちょっとした手品を披露した。ファイは、凄い、と言って喜んでくれた。雑談を交わした。僕とファイは互いに笑いあった。すっかり親友になっていた。
「君は、どうして『ファイ』って言う名前なの?」
「なんでかな。わからない。お母さんが名づけてくれた。この世を照らす暖かな光となりなさい、って」
 僕は苦笑した。光? 暖かな光? およそ僕達には関係ない言葉だ。そんなもの、この施設の中のどこにだってありはしない……
「明日、君の処分がある」
 突然そう切り出すと、雌竜の顔から笑みが消えた。
「正直、僕は君を殺したくない、でも命令は絶対だ」
 雌竜はこうべを垂れる。
「僕は何百匹もの竜を殺してきた。けれど竜を殺すのが嫌になってきた。なんか、意味がないような気がするんだ。日本が良くなるように、竜に征服されないために、殺してきたのに……なんにもならない。何かが間違っている。そう思ってた。だけど、そんな疑いを、僕自身が否定していたんだ。金のために。でも、君に怪我を治されたとき、あのときから、僕は変わった。金なんかどうでもよくなった。なんだか自分が情けなくなったよ、君のような、こんなに優しい竜がいるのに」
 僕はつばを飲み込んだ。
「君を殺す。殺さなければいけない。これは命令なんだ、逆らうことは許されない。どうすればいい。君のために殺すことをやめるか。しかしそんなことをしたら僕と君は両方とも殺されるだろう。それともここから脱出する? 君の力を持ってすれば壁に穴を開けることなどたやすいはずだ。無理かい」
 ファイはこちらをじっと見ていた。
「どうして私を助けるの? すでに沢山竜を殺しているのに、今更」
 一番痛いところをつかれた。
「わからない。でも僕のマインドコントロールを解いてくれたのは君だ」
「私をそうやって助けたところで、何になるというの? それとも、私の超能力に期待しているの? 私がこの施設を出たあと、超能力で囚われている竜を助けるとでも?」
 僕は押し黙った。檻から出ようとしたとき、ファイが抱きついてきた。
「行かないで!」
 振り返った。ファイは泣いていた。
「行かないで……」
 もう一度言った。僕は目の前で泣き崩れている雌竜を抱きしめ返してやった。
「ごめん。ごめんな。明日、なんとか処刑をやめるように言ってみるから」
 ファイはしばらく重心をあずけていたが、やがて涙をぽろぽろこぼしながら、僕の顔を見つめた。僕はファイの額にそっと口づけをした。

 処分の日はあっというまにやってきた。重い足取りでファイを鎖でつなぎ、皆の監視のもと、処分室に連れて行った。立原と中田、のほかにも数人の男がいた。
「今回は危険な竜の処分だ。いつ暴れだすとも限らないから、厳重な監視をする」
 ファイは中田を睨んだ。僕は昨日のファイとの約束を思い出した。
「中田さん。本当に殺すのですか?」
「何を今更。当たり前だ」
 僕はしばらく黙っていたが、勇気を振り絞って言った。
「……もう、殺すのはやめませんか?」
 中田はこちらを見つめた。彼は立原に何か合図をした。立原がこちらに近づいてくる。次の瞬間立原に頬を思いきり殴られていた。吹き飛ぶようにして倒れた。頬がひりひり痛む。立原は僕の胸ぐらをつかみ、無理やり引き起こした。
「何をするんだ」
 中田の目つきは冷たい。彼のこんな表情は今までに見たことがなかった。
「君には失望したよ。君は、結局普通の人間に戻ってしまった」
「裏切り者」
 立原が怒りに身を震わせながら叫び、もう一度殴ろうとしたので、中田はそれを制した。
「一週間の間、お前とそこの雌竜を一緒にさせて、君の心にどのような変化が起こるか試してみた。案の定、君はこの竜に同情し、竜を殺す感情が薄れてしまった。まったく、この竜は大したものだよ。不思議な力があることもさながら、人の心をつかむのにも長けている」
 ファイと僕は呆然とした。
「……つまり、僕達を試したと?」
「黙れ! 心変わりした者に何も言う資格はない!」
 立原が再び叫んだ。中田が嫌な笑い方をした。二年前と同じ、あの笑いだった。
「君の心の強さを試すつもりだったんだが……君は弱いな。ちょっと他の竜より美しくて、賢いというだけで、簡単にその竜に想いを寄せる。見ろ、実際にお互いかけがえのない存在になっているじゃないか!」
 痛烈な一言だった。僕はうつむいた。
「もうこいつに用はない。牢にでもぶちこんでおけ」
 周りの数人の男が、僕を捕まえた。
「やめろ、離せ!」
 いくら叫んでも無駄だった。あっというまに取り押さえられてしまった。
「よし、この竜を処分しろ。荒井が見ている前でな」
 中田がそう言うと、刀が振り下ろされ、ファイの首がとんだ。血が飛び散った。
「ファイ!」
 いくら叫んでも無駄であった。僕はそのまま檻へ入れられた。

 あれからどれだけの時間が経ったのだろう。時間の感覚が無かった。
「ああ、終わったな。僕は死ぬんだ。今まで殺してきた竜と同じように、処分されるんだ」
 もうどうでも良くなった。ファイのことを思い出し、僕は泣いた。



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