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新百合AOI倶楽部「読む」シリーズ

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『木の椅子』を読む

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昭和56年初版 牧羊社
平成2年(「藍生」創刊の年)新装版 牧羊社
所収句数341句
序句/山口青邨〈木の椅子に君金の沓爽やかに〉 跋/古舘曹人
「現代俳句女流賞」「俳人協会新人賞」受賞(昭和57年)


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*新百合10句選**

白葱のひかりの棒をいま刻む

磨崖佛おほむらさきを放ちけり

稲妻の緑釉を浴ぶ野の果に

かよひ路のわが橋いくつ都鳥

小春日やりんりんと鳴る耳環欲し

母の幸何もて糧る藍ゆかた

涅槃図やしづかにおろす旅鞄

立読みのうしろに冬の来てをりぬ

暗室の男のために秋刀魚焼く


休診の父と来てをり崩れ梁

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*わたしの11句目**

第一句集にはその人が凝縮されているとよく言われます。そうは言っても1冊を出した時点では、断定しき
れない事もまた多かったことでしょう。

『句集成』という形態となって、索引がつき、4冊通しで縦横に読めるようになった今、第一句集に内包されて
いた種々のテーマがどのように発展し、系譜を形成しているかを追う楽しみが、新たに生まれました。

新百合10句選には「白葱」「佐渡」「雷・稲妻」「働く」「読む」「父・母」「夫」「涅槃図」等々、図ったわけではあ
りませんが、いずれも根源的なテーマの作品が並びました。

以下の11句目は、各自の「好き」を今少し前面に出して選んだものと言えるでしょう。

琴つくる桐の木桐の花咲けり

「琴つくる桐」に沈潜した抒情を感じました。真っ直ぐに天に伸び高く花を咲かせる桐の木の健やかさを愛
でながら、音を生み出す琴になるとの視点が、一見地味な詠み方のこの句を無限にしています。
女の子が生まれると桐の木を植え、御嫁入に桐の箪笥を持たせる風習があったそうです。成長が速く湿り
を吸わない桐は変形することの少ない高級木材ですが、桐の木を見ても木材と思うことの無かった私は、
この句に軽いめまいを覚えました。
今年も花を咲かせ桐は育っています。琴になることを思い、その琴の音を心で聴いている、何とも素敵な
句です。(千惠子)

茎立やきのふは遠しおととひも

茎立を見るたび思い出します。この茎立の元の姿を思うとぐんぐんと花を咲かせる生命力の強さ。直近の
過去も遠い・・つまりはまっすぐに前を向いている働き盛りの女性の強さでしょう。(玖美子)

夕焼けて牛車は天に浮くごとし

全くの夢想の世界ですが、夕焼けが夏の季語だから、未来があるというか、牛車の行き先が見えるようで、
落ち着くというか。
先生もこんな句を作っておられたのだという安心感。
私にはこの牛車の情景が藤森安治の絵のようにすんなり見えるのです。
加えて、この牛車が動いていないところが、今の私には好もしく感じられます。
正しい鑑賞にはなりませんが、感覚派として11句目にいただきました。(かしこ)

山茶花も白封筒もつめたしや

何かに触れて、不意を突かれたように「冷ってえなあ」と思うことがある。「冷ってえなあ」には、一過性の心
の揺らぎがある。
「つめたしや」の語感は、それとはずいぶん違う。「冷たさ」を客観的に感じるだけの、心の落ち着きがある。

作者の心は先ず、「つめたさ」を十分感じ取ることができるほど静かである。「つめたいッ」と感じとったその
心のさまを、「つめたしや」という言葉で輪郭付け写生するに十分なほど、静かである。
いちど「つめたしや」と言葉にしてみると、山茶花も白封筒も、それらが成程冷たいのは確かだけれど、彼ら
だって自分と同じように、今日の冷たさを感じ取っていることに心が及ぶ。<ちちろと闇をおなじうす>の「お
なじうす」の心持にいささか似通った感じ?

「つめたさ」という季語の本意に心をとめて句を詠むことと、ただ「冷ってえなあ」と感じるだけと。私的経験に
形を与えるという点で、随分隔たりがある。

自分が身をもって捕まえた季語にキチンと正対して、その上でそれが正確に使われると、経験はたぶん、
ちゃんとした形になる。

無私の集中力が持続していて、随いて行くには大変だけど、やっぱりイイなあ。(潔)

冬田より子の声がして鳶の笛

冬田というと、稲を刈り取った後の、枯れ色をした荒れている状態であろうが、そこに子供たちが「何遊び」
をしているのか、賑やかな声を響かせている。

冬晴れであろうか、空には鳶がゆうゆうと輪をかき、ぴーひょろと鳴いている。
もうすぐ春が来るのだなという、のんびりした雰囲気が感ぜられるような気がします。(ちあき)

湖わたる風はなにいろ更衣

初夏の琵琶湖をわたる風に吹かれている様子が見えてきます。

気持ちのよい風を「なにいろ」と表現しているところに、想像がふくらむように感じました。
更衣も夏の初めの装いを思い描かせてくれます。(信子)

手花火も連絡船の荷のひとつ

この連絡船は佐渡へ通う船でしょうが、手花火が妙に心の豊かさと同時に物の豊かささえをも感じさせてしま
うのです。

よく演歌に出てくる連絡船というと何か寂しさ侘しさが募ってくるように、終戦前後の花火も買えないような赤貧
の中で、何故か宇高連絡船の夜の待合室に両親に手を引かれた幼い自分が船を待っていたことを、おぼろげ
ながら思い出してしまいました。(洋)

ダチュラ咲く水底に似て島の闇

五島列島六句より。
ダチュラの白いラッパ型の花が咲いている島の闇です。風が吹くとゆらゆらと白い花が揺れます。
作者は水底を歩くように島の闇を歩きます。体がゆるゆるとほぐれて、闇とのあいだに官能的な交信が行われ
ているかのようです。
ダチュラは曼荼羅華や朝鮮朝顔という別名をもつ植物で、五島列島は古代から朝鮮とのつながりが深い土地
だそうです。また潜伏キリシタンの歴史もある島です。
一度も行ったことはないのですが、ダチュラ咲く島の闇を歩いてみたいです。(伸子)

国東や庫裡にかがやく蓬餅

この句を読むたびに「父を焼き師を焼き蓬餅青し」(『一木一草』)を思います。大切な人の死と蓬餅の取り合
わせ、蓬餅の本意って何だろうと思っていました。『暮らしの歳時記 未来への記憶』に国東の蓬餅のエピソー
ドが紹介されています。そうか、そういうことだったのかと思いました。結びに「結論として草餅の句は男性の
作家が積極的に詠んでいる。母を想い、ふるさとを想う男性作家の詠みたい題材なのだと思う」とあります。
庫裏の蓬餅の心映えが「かがやく」という言葉で表現されています。(玲子)

柚子湯してあしたのあした思ふかな

あしたのあした」は明後日のことではないし「思ふ」も段取りを考えることではない。ここ1週間ほどのスケ
ジュールを確認して調整することくらいなら私にもできるが、5年先10年先はもとより1年先のことですら今
の私には心もとない。「あしたのあした」を思うには、この先がずっと開けて続くことを、疑いもなく信じることが
できていなければならない。膨大なエネルギーが必要なのだ。

――これは私が『子どもの一句』(2010年刊 ふらんす堂)の12月21日の項に掲載した鑑賞文です。この
一書は、ふらんす堂のサイトに、2008年の1年間、日めくり連載したものを元にしています。2008年は12
月21日が冬至だったということです。

私の「あしたのあした」は相変わらず心もとないですが、周辺状況が変わったことにより、そのありように変化
が兆しているのを感じています。ただ、膨大なエネルギー云々に異論はなく、そこに要件としての「子ども」を
見た4年前の私は、今より確実に4歳若かったのだとも思います。(正子)