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新百合AOI倶楽部「読む」シリーズ

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『花下草上』を読む

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平成17年刊 角川書店 装画:篠田桃紅 装幀:菊地信義
所収句数800句

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*新百合10句選**

あたたかにいつかひとりとなるふたり

涅槃図をあふるる月のひかりかな


飛ぶやうに秋の遍路のきたりけり


身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな

いちじくを割るむらさきの母を割る

真清水の音のあはれを汲みて去る

この冬の名残の葱をきざみけり

ひとはみなひとわすれゆくさくらかな

冬麗のたれにも逢はぬところまで

なつかしき広き額の冷えゆける

*わたしの11句目**

10句選に入らなかった句の中から、11句目に私ならばこれを選ぶ、という句をとりあげて鑑賞す
ることにしました。
10句選は『花下草上』らしいと私たちが感じる句となったと思いますが、11句目には、選んだ人らし
さが滲んでいるのではないでしょうか。

※各句の鑑賞者名は、文末の( )内に記しています。

しろがねの月走りけりとりかぶと 「雲に鳥」の章

まず私は、「柳橋図」という日本画でしろがねの月というのに感動したばかりですので、こだわりがあ
ります。その絵では、月を銀の鉱物か何かで描いていて、月だけ立体的でした。
月が走るという表現、作者が月をじっとではなく、時間の間隔をおいてみていた状況が伝わります。
あれ? もうあんなところに行ってしまったよ。という驚きが「走りけり」という表現になったと思います。
また、とりかぶととの取り合わせですが、トリカブトの古代紫は銀色によくマッチします。それだけでなく、
トリカブトというと即、毒草という妖しいイメージが付きまといますが、トリカブト自体はとても美しいと思い
ます。トリカブトは湿地に生えていますから、この句の情景の中には実は水の流れもあるのだ、というこ
とも想像できます。
この句の静謐な情景を初秋らしく、わたしには憬れのように思えるのです。(かしこ)

濡るるともなき花冷の山河かな   「不知火」の章

杏子俳句の中では多分少数派かもしれない(それ故貴重な?)雄大な叙景句「山河かな」!ではないかと
思い、そこに惹かれると共に、「花冷」のしっとり感が、(実際には濡れていない山河であろうけれども)「濡る
るともなき」という表現のなかに、微妙な山河の表情の一つとして生き生きと受け取ることができました。(洋)

この世にて稲妻に馴れ旅に馴れ  「星合」の章

この句には個人的な思い入れがあります。
平成10年、藍生へ入会して2年目の10月、初めて主宰との鍛練吟行句会で新潟へ行きました。初めて
一日に10句という体験もしました。
昼間の吟行で突然の雷雨、信濃川で屋形船に乗ったのですが・・・、地のひっくり返るような雷鳴と雨
になりました。私は怖くて船の端っこで震えていました(本当です、そのくらい雷嫌いなのです)。それを
主宰に「え、怖いの?これだけの雷は爽快よ」と言われ・・・。その後の句会でこの句が出ました。
この句の前後も、その新潟での句会の句です。
舟出して報恩講荒れの天地かな
越後獅子など弾きいづる夜長妻  
(新潟藍生の今は亡き山田哲さんの奥様が、琴の演奏をしてくださいました。)

ともかく、あの雷鳴と稲妻を怖がらず、脅えず、真正面から受け止める女性が居る、ということに私は
ただただ感動。この句はいつまでもこの世におどおどしている私の背中を押してくれる句のように思っ
ています。(玖美子)

花ひらくべし暁闇の鈴の音に  「星合」の章

祈りの句として選びました。この「べし」には自然への信頼と希望が込められていると思います。
暁闇の空気を伝わる鈴の音色は透明感そのもの、桜の生命をいざなう心が澄んだ音色となって夜明
けを待つ闇に零れます。自然界との感応の中に、慈しみの心が詠まれていると思いました。(千惠子)

父の間に母の坐したる良夜かな  「不知火」の章

『花下草上』の献辞は、「父齊藤光 母齊藤節に捧ぐ」というものでした。それにちなんでこの句を。
ほかにも父と母が一句の中に詠まれているものはいくつかありますが、この句の父と母には圧倒的
な存在感があります。日の光の照らすものと月の光の照らすものは違います。というか日の光に照ら
されるのと月の光に照らされるのでは、ものが変わってくるのかもしれません。
私たちはたまたまこの句の中の父は不在であることを知っていますが、良夜、全き月の下ではその
父も母もそして作者もゆたかに、たしかに生きています。(銘子)


こだはらずとらはれず山笑ひけり  「地蔵盆」の章

日々、こだはらずとらはれずというような心持でいられたら、どんなによいだろうと思う。山笑ふは伸
びやかで、おおらかで、広がりがあり、何でも包み込んでしまうような感じがして、よいなと思う句です。
(ちあき)

あめつちのしぐれびかりに旅の者  「星合」の章

平成19年、NHKカルチュアーアワーで、主宰は「俳句列島 季語の現場」と題して、何回かに分けて
ラジオで講演をなさっています。「月」を取り上げられた回で一遍上人絵詞のことを話されました。絵詞
を何度もみて、一遍上人のお墓へも行かれたそうです。お墓が絵詞に描かれているとおりでびっくりな
さったとか。実際の旅だけでなく、黒田先生も絵詞の中に入り、一遍上人のあとをついていらしたので
はないか・・・そんな思いに捉われました。それがどんなものか見てみたくて、古本屋で一遍上人絵詞
を購入してしまいました。「あめつち」という大きな提示、「しぐれびかり」で時雨忌のことも思います。しぐれ
びかりの奥へ奥へと旅の者が歩んでいきます。(りょうこ)

上海や金魚冥きにひるがへり  「端午の星」の章

上海に行ったことはないのですが、たまたま入店した奥まったあたりに金魚鉢が置かれていたのでしょうか。
あるいは甕の水面でしょうか。
この金魚は尾びれのひらひらした金魚だと、勝手に決めています。
上海と金魚。かつてはジャズが流れるモダンな都市だった上海。その上海の暗がりをゆうゆうと泳ぐ人
工美に満ちた金魚。「冥き」が土地の歴史の重層性をも感じさせて、好きな句です。(伸子)

帰らぬときめたる鴨の一列に  「名残の葱」の章  

うちの近くでも毎年身近に見かける光景で親しみを感じました。今年も列をなしている姿を、池の横を
通る折にみかけ、この句を思い出しています。(信子)

野に立てば天文学者百千鳥  「日脚のぶ」の章

初めて出会った席でこんな挨拶句贈られたら、いいねえ!
春野にすっくと立つ天文学者。いかにも百千鳥が似合いそう。贈った方も贈られた方も全然外連味が
なくて、何とも素敵に風通しの好い句。(潔)

雁啼くや母に一生のこころざし  「深山樒」の章

雁は和歌の時代からことに鳴き声を愛でられるものでした。喜びを告げる春の鶯や夏の時鳥とは異な
り、雁は、天地の秋の深まりを知らせ、そこに身を置くひとの心に寂しさを募らせるのです。この句は
母上逝去ののちの一句。雁とともに作者は泣いています。母に死なれた悲しみに泣くというより、母の
一生に思いを馳せながら。

こころざしを遂げたとも、半ばであったとも、ましてや諦めたとも、作者は言っていません。が、自分が
受けてきた恩の数々を思いながら、母は一生を母として過ごせてよかったのか、と娘は問うているようです。

『花下草上』は大切な人を次々に送る句集です。「なつかしき〜」はその筆頭である母を送ったとき
のストレートな絶唱。この句には同性としてのさまざまな感情が交じっているように、私には思えます。(正子)