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新百合AOI倶楽部「読む」シリーズ

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『一木一草』を読む

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平成7年初版 花神社 
所収句数500句 
題字・見返し/榊莫山
装釘/中原道夫 


*新百合10句選**

能面のくだけて月の港かな

まつくらな那須野ヶ原の鉦叩

一の橋二の橋ほたるふぶきけり

稲光一遍上人徒跣

花に問へ奥千本の花に問へ

寒牡丹大往生のあしたかな

鳥雲に入る骨片のひかりかな

たそがれてあふれてしだれざくらかな

水澄んでひとりの母となりにけり

ふたり棲む節分草をふやしつゝ


       
 ・・・・・

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*わたしの11句目**

『一木一草』は、『水の扉』ののち10年の成果を、500句に絞り込んで収めた句集です。章立
ては「秋」から始まり「夏」まで、各季節「壱」と「弐」に分かれています。『水の扉』は昭和58
夏の句までを収録していますから、「秋・ 壱」に収められているのは同年秋の句からとみてよ
いでしょう。編年体ではありませんが、「壱」は10年の前半、弐は後半の作品を対象とし、ゆる
やかに季節が二巡りする構成になっていると思われます。

人口に膾炙した句も多く、「新百合10句選」に並んだのは、誰もが知っている句ばかりです。
「11句目」の鑑賞は、いつものように、自分はこんなに好きなのに10句に入らなくて残念だと
いう1句を、各自が心して選んでいます。

ちちははの那須野の月の畳かな

「まつくらな那須野ヶ原の鉦叩」
と、どちらをにしようかと迷った句です。
闇の深さに鳴くかそけき虫の声と、正反対に煌々と照る那須野の月と。やっぱり、私としては
月の美しさの方を選ぶことにしました。苦渋の選択。
「の・・の・・」とたたみかけるような表現の美しさ、静かに畳に座して娘と過ごすご両親のやさし
さ。その慈愛が月光につつまれて、読み返すたびに、いいなあ、と思う句です。やはり、月光
には畳ですね。

ここからは余談ですが、今は畳のない家やマンションが増えています。畳はやはり日本の住
文化の基本、そのうちに、畳の句もお寺や旅館でしか作れなくなるのかもしれませんね。ちな
みに、我が家には畳の部屋が2室ありますから、まだまだ畳の句が作れます。(玖美子)

雷さまが来るきっと来る白牡丹

私にとってはダントツの句です。
杏子先生の雷好きは有名。私は雷より稲妻が好きなのですが。あのピカリコがたまらないの
です!天の芸術です。
この句、共鳴を得られなかったのは、雷のせいばかりでもなく、白牡丹がピピっとこなかった
からなのでしょうか。純白の牡丹を切り裂く雷。でも実際に切り裂くのではなく、音だけ!なの
です。白牡丹が雷を恋い焦がれている、なんて幻想的ではありませんか。白牡丹に自分を投
影した厚かましさは、真似できませんけれど。
雷を歌舞伎役者のように表現したのも、秀逸なのです。
雷好きの女のかわいらしさを分かってください。(かしこ)

那珂川のことしは寒き鮎のかほ

僕はもの心ついてから最初に知った「魚の貌」が鮎の貌なんです。鮎釣りが好きだった今は亡
き父に、幼い頃からよく連れられて行った時に、ほかの魚の貌との違い・特徴をよく説明された
んです。だから僕は「寒き鮎の貌」が何となく解るんです。
この句は昭和末期から平成初期にかけてのものだから「父を焼き師を焼き・・・」の句の頃です。
すこし経ってからの夏、ふるさと那珂川に遡ってきた鮎に対して(そういうことから)特にこの夏は、
との思いを写して見た鮎が「寒きかほ」ではなかったかと・・・僕はそのような感じで鑑賞できたん
ですが。(洋)

鉦叩燈台守は居らねども

昔は燈台には燈台守がおり、その生活は音楽や映画にも描かれている。2006年に長崎県
の女島燈台が無人になり、日本には燈台守はもういなくなったという。何年か前、隠岐島で
見た燈台にも燈台守はいなかった。柵内には木々や草が生い茂り静まりかえっていた。鉦
叩のチンチンというかすかな澄んだ音色に秋の風情が素晴らしい背景と感じた。(信子)

けふよりの秋袷また藍づくし   

「けふよりの」と、季節と心象が鮮やかに伝わって来て、秋袷の質感を感じながら鑑賞しました。
しっくりと襟元の厚みを合わせた時の新たな思い、重ねる年月への変わらぬ意志、それらが
示されてなおさり気ないこの成熟した世界を憧憬しました。気持をぐっと掴まれたあとに動詞
のない句と気づいたのです。(千惠子)

流氷や男にわたす蒸卵

俳諧の花、恋句です。

流氷のように巨きな自然現象を目前にすれば、人は多分、無私たらざるを得ないだろうと思う。
「よその門火に照らさるる」と、厳しい自照の句を詠んだ作者が、ふと垣間見せる無私の仕草。
あるいは、旅先で目にした情景であっても差し支えない。
流氷ひろがる北辺の「蒸卵」に、土俗が匂う。佳き哉・・・。(潔)

先生に供ふる一誌秋のこゑ

「平成二年十月 「藍生」創刊号」の前書があります。
句意は平明です。掲出句の要は表記もふくめ「秋のこゑ」という季語だと思いました。秋の䔥
颯たる風雨の音・葉のそよぎ・虫の声・枯葉の落ちる音・・・。さまざまな音の中で来し方行く末
を思い描きつつ、青邨先生と対話をなさっているのではないでしょうか。創刊時が実際に秋で
あったということだけでなく、「こゑ」という言葉に「もののあはれは秋こそまされ」がこめられて
いるようにも思えました。(りょう
こ)

この雨に母も蕗煮てをるならむ

雨が降り、うすら寒く人恋しさがつのる。蕗を煮ていると、ふと母のことが頭をよぎる。こんな日
は母も蕗を煮ているだろう、と。娘の母への思いが出ている句であると思う。ほかに「いちじくを
煮つめてをりて会ひたしや」「いちじくを煮て暮るる母のごとくに」がある。(ちあき)

うつとりと日は移りけり次郎柿

秋の日差しは透明感があるのに深い。金秋の一日を日は移ろっていく。穏やかな日差しを吸
収しつつ、柿の実はいよいよ充実の実りをとなる。
秋だからこそ「うつとりと」日は移りゆき、作者もまた満ち足りた思いでこの一日を愉悦のように
味わっているのに違いない。(伸子)

馬の眼に大白鳥のぎつしりと

動物の目に映る物を見るのは実に不思議な気がします。
特に大きな動物である馬や牛それに羊など見る機会がある動物はつい見てしまいます。
蛙の目も水辺に居る生き物なので、目に映っている物を見る機会は頻繁です。
とはいっても、動物を見る時その瞳に映る物を句にしている先生には驚きです。
確かに馬の目はかなり大きいのですが、空や別の馬がくっきりと写っているのは見たことは
ありますが、白鳥とくると奇想天外です。こうなると、大白鳥の大群を見上げている馬とそれ
を見ている人の視線とが溶け合って、生き物のぬくもりみたいなものが感じられてくるのです。
おもしろいし、ゆかいだし、いいなぁと思う好きな句です。 (展子)

仁和寺や落花さかんと大書して

遠い昔のことになってしまい、極めてあやしいのですが、あやしいなりに私自身の記憶となっ
て仕舞い込まれていることがあります。

仁和寺の奥には桜の園があります。丈の低い、通称おたふく桜の園です。私が訪ねたその日
は、花どきにはやや早く、ましてや花期の遅いおたふく桜はまだまだの頃合でした。が、娘が
まだ赤ん坊だったとか何らかの理由で、出直すのはたぶん無理だから挨拶だけでも、と奥へ
向かったのです。そのとき園の入口に見つけたのが「花いまだ」という墨書でした。これを見
られただけで、と満ち足りた思いになりました。

同じ年であったか、別の年であったか、先生のこの句に出逢いました。私の記憶では、あんず
句会の清記用紙上に見つけたことになっていますが、さてどうでしょう。
「大書」ですから、立派な山門に掛けられて、寺域全体の繚乱のさまを告げているのだと思
いますが、そのとき私の脳裡に蘇ったのは、もう申すまでもなく、あの日のおたふく桜の「花い
まだ」の墨書でした。

これだけ心に残っているのですから、十分に句材になりそうですが、当時の私はそういう詠
み方ができなかった、というより、できるとは思っていませんでした。
目を開かせていただいた、ご恩のある「11句目」です。

先生には〈花いまだ念佛櫻とぞ申す〉(『一木一草』「修二會」)と、「花いまだ」の句もあります。
これは西国吟行の作品(のはず)。春の遅い年で、例年ならばとうに咲いているはずの花がか
らっきし、だったのでした。(まさこ)