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新百合AOI倶楽部「読む」シリーズ

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銀河山河』を読む

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平成25年初版 角川学芸出版
所収句数600句
幀/菊池信義
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*新百合10句選**

地吹雪の熄みたる銀河山河かな   

ひとにふるさとふるさとにしぐれ雲 

みちのくの花待つ銀河山河かな   

いつせいに春の星座となりにけり  

灰燼に帰したる安堵一遍忌     

泉湧くとほき慈愛の音たてて    

結願の杖すすがばや春銀河     

かなしまむ哭かむ嘆かむさくら舞ふ 

花の夜のむかしがたりをしてふたり 

こほろぎやみんなゆつくり年とつて
こほろぎやみんなゆつくり年とつ

*わたしの11句目**

『銀河山河』は、『日光月光』ののちの成果を、600句に絞って収めた第6句集です。平成22年夏から25年秋までの編年体の構成です。年ごとに章立てをして、魅力的な見出しが付けられていますが、「月を詠む 雪を読む」として2年分の雪と月の句をまとめた章が1つ挟み込まれています。藍生で行った「月百句」(24年)「雪百句」(25年)の企画に対応したもので、発表された200句から抽出し更に推敲を施した61句が収められています。今回も『日光月光』同様読書会を経ず、各自で読んで「10句選」に臨みました。「11句目」の鑑賞はいつものように、自分はこんなに惹かれるのに10句に入らなくて残念だという句を選んでいます。

時雨聴くやうにまなぶた閉ぢられしか


古館曹人氏逝去に際して詠まれた一句。
青邨の弟子としてともに研鑚を積んだ日々の様子を黒田先生はいろいろなところに書かれている。その若い日の厳しくやさしく快活な姿と、深い連帯。一転、氏がすべて俗世とのつながりを絶ち隠遁した晩年には会うこともかなわなかった。敬愛する兄弟子の生涯を遠くから拝し、静かに悼む。こころの深いところに沈んでゆくような一行と思った。(銘子)


花巡るこの世かの世をなつかしみ

杏子主宰の第六句集は『銀河山河』という。銀河はかの世、山河はこの世。見上げる銀河も、見わたす山河もいずれも遥かに遠い光景。
年をかさねてきた者にとっては肉親も親しかった友も大半はかの世にいる。こころに憶えば、かの者たちはすぐそこにいる。年年歳歳、花を巡り花に出合うたび、憶いはこの世かの世を往還し、すべてがなつかしさにつつまれる。(慶信)


百年ののち千年の山櫻 

ソメイヨシノなどの新交配種の桜は寿命が短いのですが、古い原種の桜は何百年も咲き続けます。今900年を生きた桜、あと百年を経れば千年桜となります。桜は生きていても、その樹の前に居る人間は……。
自然への畏れと人間の儚さが思われる、と鑑賞しました。(玖美子)

花の夜はロールキャベツをあたためて 

この句に最初出会ったのは、「俳句」6月号でした。平成の櫻の女王とも呼ばれる黒田先生にこんな日常があるのかと親近感が湧いたのを覚えています。第六句集「銀河山河」で、はからずも再会出来て忘れられない一句となりました。
思えば初めて先生に出会った時も「葱の味噌汁の似合うお母さん」と言ってサインを下さいました。ロールキャベツも好きな料理です。何より花の夜との出会いが、やさしくて素敵です。きっとご夫妻でゆっくりと召し上がったのでしょうね。大切な私の11句目です。(敏子)

百観音結願すずめ蜂ぶんぶん  

「日本百観音巡拝吟行」秩父にて結願14句の中の一句です。結願へ向かう思いの深さを詠んだ「結願の杖すすがばや春銀河」「結願のあした灌仏会となりぬ」も収められています。揚句ではすずめ蜂が先生の視点を獲得して秩父の山河は遠景として沈もります。
「ぶんぶん」と字余りを飛ぶすずめ蜂の旺盛な活力を詠み止める自由闊達さに、今まさに結願の時を迎えた精神の高揚を感じました。
先生の俳句魂が引き寄せたすずめ蜂かもしれません。(千惠子)

月凍る高野の真夜を下駄の音

祈りの聖地といわれる高野山。初夏にここを訪れた時にも何かあたりに
満ちる厳粛な雰囲気にゆたかな気分を味わったものだ。高野の冬の寒さ
は厳しく一月の平均気温はー0.5度という。山内の寺院の半数が宿坊を
兼ねているので、こうした宿坊の一つに泊まった時の句だろうか。月は
まさに凍てるほどの寒さだ。その夜更けに外を歩く下駄の音が響いてく
る。凍てつく真夜中に修行僧が素足のまま下駄をはいて歩く音かも知れ
ない。目に見えない霊気に包まれた身が引き締まるひとときを感じさせ
る。(信子) 

飛ぶがごとく舞へるがごとき雪をんな

私の選んだ10句はみなさんの10句集計の中には3句しか入っていなくて、どう解釈しようかと……。ともかく、みなさんとかち合わずに11句目を選択できる幸運に恵まれたようです。となると、11句目は非常に難しいでも、やはり一押しはこの句です。杏子先生そのものではありませんか! 先生はご自身を山姥と表現されていますが、雪女でもあります。確信しています。この句は外すわけにはいかない句だと思います。(かしこ)

桃西瓜冷してありぬ終戦日

丸々とした桃と西瓜の冷してある今日は、終戦記念日です。桃と西瓜を、穏やかな時間の中で冷えるのを待っている情景が目に浮かびます。
平穏な日常は、平和の基盤の上に成り立っていると思います。この句に黒田先生の、穏やかな時間の中に生きる今を感謝しつつ平和を祈る心を感じ、共感いたしました。(喜美子)

寒稲妻蠟燭の芯切りにけり

僕はこの句に、視覚のみが一層研ぎ澄まされてくるような非常な静寂を感じている。音の聞こえる「寒雷」ではなく「寒稲妻」なのだから、寒々とした闇の中で音もなく遥か高空の雲の間だけでやり取りされている「稲妻」のひかり。ときどきその遠くの冷たいひかりが僅かに感じられて来る和室のひと間。さっきから灯されていた和蠟燭の炎が少し大きく、また少し不細工にも燃えたち上ってきている。「稲妻」のひかりにふと心が共振し惹かれるように、芯切りバサミを使って先が黒く炭化してきた和蠟燭の太い芯を半分ほどに切ってみる。すると再びその蠟燭の炎が整った炎を蘇らせてくる。そしてまた静寂。
馴染みの西洋蠟燭では決して味わうことのできない芯切りが慣の和蠟燭ならではの寂かな世界としての句なのであろう。(洋)

西國四國坂東秩父櫻

平成24年4月8日、結社のプログラム「西國四國坂東秩父」の日本観音巡礼と八十八ヶ所の遍路吟行の結願満行、30歳より単独で重ねて来られた「日本列島桜花巡礼・残花巡礼」が平成25年に満尾を迎えられた。通算45年、作品に託された時空を想像しただけで気が遠くなる。凛とした風情が経文のようだと思った。(玲子)

時雨るるもよしこれよりのわが旅路

先生は博報堂に定年まで勤められ、その傍ら俳人としての仕事を続けてこられました。「日本列島櫻花巡礼。日本列島残花巡礼。日本百観音・四国八十八ヶ所満行」を貫徹され、さらに数々の賞のうえに蛇笏賞をも受賞されています。そういう人生を過ごされた方が、そういう方だからかもしれないのですが、これからの人生はたとえ時雨れても、それを受け止めてゆこうと鷹揚に構えておられる様子がすごいと感じられる句だと思いました。(ちあき)

老女なり花の記憶の無尽蔵


なんという豪奢な句。作者の記憶のなかには、年々の桜の記憶が限りなく仕舞われているというのです。
桜に特化された記憶のなかには、時空を超えた花の姿とともに、作者の花を愛でる気持がぎっしりと詰まっています。記憶のなかの桜は変化自在に、時と場所を超えて咲き、かつ散ることができるのです。
花の記憶で埋め尽くされている生。その自己肯定の強さにたじろぎつつ、読み手も自己の生を振り返り、その貧しさと対峙しないといけない気持になります。(伸子)

発心のわれをかなしむさくらかな

桜花巡礼を重ねてこられた先生の、「さくら」に向かう禱りのような句。「かなしむ」には、日本語で言い表される殆どすべての感情が含まれていよう。平仮名表記の「さくら」と「われ」はその中に、対等に包み込まれる。先生の「発心」は、各地の「さくら」と「さくら」(それは、その土地々々の生活感情の現場に立つこととも重なっているだろう)を見る、その<見ること>と<見ること>との間でも、つねに保たれてきた<こころざし>の影のようなものかもしれない。なるほど先生は、「結願」の句も詠んでおられるけれど、「結願」は、そのまま真っ直ぐ「発心」に回帰する。「さくら」に向けて裸の心を晒しながら、先生の櫻の旅は終わってはいないのだと思う。
(ーー「見ること」と「見ること」との<>に、「見えない何か」が感知されるーーという発想は、中村英樹氏のエッセイから引用させていただいた。)(潔)

還り来よ襤褸のごとく夕焼けて

第一句集から通読すると、先生を通して人生という銀河山河の広がりやうねりが迫ってきます。「光の棒」の葱を刻み、「あしたのあした」を一心に思う「女書生」は、「山姥」となり「おばあさん」になられました。おばあさんと言ってもただの老女にあらず。「炎ゆる炎ゆる」火の玉のような存在です。
こうしたことは、「女書生」といえども、かつては知る由もなかったはずのことです。が、句集を繙けば、私たち読者の目の前には絵巻のように展開されていくのです。いくたびも、くり返しくり返し――なんだか眩暈がしそうです。
ふり返ってみますと『花下草上』は転換期の句集でした。『日光月光』で自在になられ、このたびの『銀河山河』ではその境地を更に突き抜けられたように感じます。

自らに課した厳しい変革の行の成果でもありますが、肉親のみならず、敬愛する先達や畏友との別れをひとつひとつ重ねながら深めていかれた境地であると思います。が、それだけであったら、私たちは現時点で『銀河山河』を手にしていることはなかったでしょう。流れを変えたのは2011年3月11日の震災と原発災害です。これによって先生は別次元の開眼をなさったのだと思います。

この句、私には、震災人災で亡くなった方が夕焼の海から還って来ると思われてなりません。直接ご縁のあった人を悼むのみならず、広く人類をかなしむ情が『銀河山河』を成り立たせていると感じています。(正子)