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―新百合AOI倶楽部御嶽吟行記

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  オオカミから吟行!?
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2012年4月18日御嶽神社に詣でました。信仰心からではもちろんなく、いつもの吟行特別
バージョンです。
もともと吟行グループですから、吟行をすること自体は珍しくないのですが、これはひょ
んなことから立ちあがった企画でした。
この吟行の後、関連して武蔵野をめぐる新しい吟行会も起ち上げられ、会の活動は放射線
状に展開しつつあります。→「虚子に学ぶ」のページ参照
今年の私たちが目指している、新しい会のあり方の典型となった、記念すべき吟行会とし
て、この御嶽吟行の記録を留めておきたいと思います。



















































































































































































    <起>

私たちのグループは、2012年1月13日から「掲示板」を使って、情報共有活動を始めました。
HPを起ち上げた現在も、種々の告知や準備のために活動しています。

 〜・〜・〜  〜・〜・〜

2月19日の書き込みより
11:20am

『オオカミの護符』という本を玲子さんから教えていただきました。新潮社刊。すでに3
刷です。著者は小倉美惠子さんという
1963年に川崎市宮前区土橋で生まれた女性です。ち
なみに土橋とは、田園都市線鷺沼駅やたまプラーザ駅が最寄りとなる位置にあります。

御嶽山のオイヌさま信仰とからむ話なのですが、中身はそれぞれの興味の赴くままに、と
し、きっかけの部分をご紹介します。

著者が生まれ育ったのは茅葺の農家。その土蔵に貼られた護符を手がかりに、都市化の渦に
消えゆく土地の暮らしを、丁寧に掘り起こしつつ、記録し始めます。その過程で、自分の目
の前にあるものから、自分で仕事を作り出してゆくことの大切さに気づくのです。

「大切なものは目に見えない」とは星の王子さまの言葉ですが、自分の足元はいちばん見
えにくくて、でもきっといちばん大切なのに違いありません。

私たちは、俳句を介したつながりにありますから、そのつながりを大切に思うものどうし、
俳句という観点で足元を大切にしつつ、前へ進めばよいのだと思います。足元は皆それぞ
れに違いますから、自ら確かめることが必要でしょう。

こんなことは、面と向かっては気恥ずかしくて言えませんが、これも掲示板の功徳と感謝
したいと思います。

お読みになった本などについて、随時レポートしあうのも、よいのではないでしょうか。

                     (正子)

この時点ではまだ吟行の「ぎ」の字も出ておりません。このあと3段跳びで、吟行計画へ
と進んで行きます。

   <承>

同日16:04

昨秋に、何年かぶりに御嶽神社へ登りました。山頂集落の風情は、最初に行った半世紀前と
変わらない感じでした。迫力のある立派は狛犬です。



オオカミ信仰から発展して、今は犬好きの人の聖地となっていて、犬のための御祈祷やらお
守りやらがあります。前は気づかなかったのですが。

犬好きのりょうこさんのお奨めの本、読んでみたくなりました。(玖美子)

20:05

玖美子さま、ぜひご一読を! 秩父吟行にいらしているのなら、なおのこと。

  おおかみに蛍が一つ付いていた
  おおかみが蚕飼の村を歩いていた 
  山鳴りときに狼そのものであった
  月光に赤裸裸な狼と出会う
  狼や緑泥片岩に亡骸
  狼を龍神と呼ぶ山河かな

金子兜太の句ですが、本を読んでからとても親しみのわく句になりました。

御嵩神社へ吟行にいきませんか! 

わたしもこの目で見たいです。(玲子)

    <転>

翌2月20日10:57am

武蔵御岳山のことでしょうか。そこは小学校三年の時の遠足で行って以来、時々行く山で
あり神社でした。安産のお守りを授けてくれるのはそういう由緒からなのですね。

レンゲショウマを観にいったり、ロックガーデンを歩いたり、玉堂美術館へ行ったりが主
でしたから、御岳山本来を見過ごしていました。新宿から青梅快速で1時間半、登戸・立
川経由で
1時間45分、神社へは御岳駅からバス、ケーブルカーに乗ります。できればご一緒
させていただきたいです。
(千惠子)

17:53

御嶽神社へは、出来れば御師の家の民宿へ一泊して句会して、翌日は御岳渓谷を歩いて・・
なんて夢のようなことを考えてしまいます。(玖美子)

19:15

昨夜、ETV特集「見狼記〜神獣ニホンオオカミ」を観ました。オオカミに魅せられた様々な
人のドキュメンタリ
です。オオカミ信仰がさかんになったのは、ペリー来航の翌年くらい
からだそうです。当時、地震・津波・洪水・コレラなどが流行しました。民間の人々が仏教
ではなく、大口真神
(オオカミ)に心を寄せたのは何故なのでしょう。あわせて山岳信仰のこ
とも調べたいと思っています。

御師の民宿で一泊・・・凄い。渓谷も歩いてみたいです。(玲子)

とあるコーヒーショップで耳にした話が、あっという間に吟行計画に変貌しました。土地の
名前のもつ力と言えましょうか。人それぞれに作用は違いましたが、掲示板のおかげで、そ
れらが響き合って増幅し、2月末には幹事が決まり、スケジュール等々が具体的に組まれて
いきました。

    <結>

幹事をお受け下さったのは千恵子さんです
悪天候のため一度は流すなど、順風ばかりではありませんでしたが、無事初心貫徹いたし
ました。
では当日までの幹事の手記をどうぞ

  〜・〜・〜  〜・〜・〜

国立市で育った私は小学校三年生の遠足で御岳山に行った。それ以来、レンゲショウマを
見たり、ロックガーデンを歩いたりしてきた。御岳山には奥多摩の山の鄙びた良さがある
とずっと思ってきたが、深く考えずに御嶽神社の石段に並ぶ「講」の石碑群を通り過ぎて
いた。


『オオカミの護符』から御嶽神社のオオカミ信仰と「講」を知ることになった。オオカミ
が倭建命の東征を助けて以来、深山を守る眷属となり今も御嶽神社を守っている。それが
「大口真神」だったのだ。「おいぬさま」の神社として、最近はぺットの犬もケーブルカ
-に乗って参拝するという。驚いたが、見事に世の中の変化に対応していると、やはり身贔屓だ。

吟行日は3月21日と決まる。3月・・・山の春はまだ浅いとしても、日溜りの御岳平と
御嶽神社境内が想像できた。花粉もまだ飛ばないぎりぎりの絶好の時季だろう。


ところがそこに今年の6年ぶりの寒さが立ちはだかったのだった。冷たい雨が続き3月半
ばに気温10度前後の日が続く。御嶽神社の社務所に山の様子を尋ねると、「先日降った
雪の、参道の除雪は済んだが、周囲には積雪がある」とのこと。急な坂道と神社の石段を
思い浮かべて考えた。寒さに筋肉が硬くなるのは身を以て知っている。延期を決める。残
念だが今年の寒さは侮れない。

御岳山の春の訪れを待つ間、洋さんのご案内で多摩センターで「聖地を巡る行者と庶民」
展を見学し、山王下の人家を巡ることができた。人家に貼られたオオカミの護符を見て、
今なお「講」が地域に根付いていることを知った。 →関連記事あり文末参照

オオカミの護符にまみえぬ花の雨  千惠子


4月18日、目覚めに朝の日差しがうれしい。西武線からJRへ乗り換えて集合の御嶽駅
を目指す。青梅駅を出ると山が迫って車窓に多摩川の渓流が光り、山腹に桜が咲いている。
ここも東京都なのだとしみじみしていると「晴れましたね」「立川を乗りました」とメー
ルが入ってきて、目的地にそれぞれ着々と集ってくる心強さを感じる。

御嶽神社を模倣した御嶽駅舎に立つと、奥多摩の桜が元気だ。渓谷を見おろし、玉堂美術
館まで一人歩いてみる。日本画家の川合玉堂が疎開して来てこの地の風景を描き続け、そ
のまま住んだ家が今は美術館となっている。帰りにこの渓谷沿いも皆で歩きたいと思う。

水音の高鳴る一幹山桜   千惠子

御嶽駅からバスに乗って、一行は御岳山御嶽神社吟行のスタートを切った。ケーブルカーが
登る斜面に蕗の薹が育ち、三椏の花の色がやわらかい。御岳平から東を一望する。

句会場の富士峰軒へ立ち寄って挨拶をする。ご主人から電話で頼まれた通り、2階の座敷は
川崎の「講」の人たちに譲って、1階テーブル席となる。これも「講」とのご縁だろう。


「御嶽神社参道」と刻まれた石門から、山を巡る杉木立の道を行く。

かたかごの坂を曲りて御師の家  千惠子


御師集落の中にビジターセンターがある。かつて小学校だったが閉校となり、子供たちは
ケーブルカーで下の学校へ通っているのだ。天然記念物の樹齢千年の神代欅は石垣に根を
露わに張って、芽吹きつつも耐寒の様を残している。

勾配がきつくなる。たゆまず歩く。みな健脚だ。


参道の店頭に山葵、焼どんぐり、牛蒡せんべいが売られている。前方に神社が見えて、信
仰の山に人が住んで守ってきたことが思われる。

花付けし山葵は水に売られをり  千惠子

御岳山は中世以来関東一の霊場であったという。境内に神楽の笛の音が聞こえてくる。
「オオカミの護符」と「太占表」が社務所に売られていて感慨深い。太占の鹿の白骨も
飾られている。毎日行われるのだろうか、供物の儀に清々しい気が満ちている。両側に
オオカミが鎮座している。

献上の山盛りにしてほうれん草  千惠子

誘い合って「大口真神社」に詣で、社殿の後ろに立ち、杉木立の向こうの奥宮を拝した。
奥宮には倭建命が祀られている。

深山の霊気に巻ける春ショール  千惠子

いよいよ句会の時間だ。いつも通りの凡そ10句出句となる。こういうところで妥協しな
いのが新百合
AOI倶楽部なのだ。清記が回ってくる。坂道を登りながらも五感を働かせ、句
を生み出した集中力が示されている・・・神代に、狼に、心を馳せる句がある・・・。

披講合評をして3時にはケーブルカーの駅へ向かった。風のない穏やかな1日だった。
渓谷の遊歩道を行くと、若者たちがカヌーに乗っている。渓流の音と大きな岩が、奥
多摩の日暮れを待っている。 (千惠子)

※関連記事→http://yurikobonz.exblog.jp「オオカミをさがして〈その1〉」

*奥多摩を庭と呼ぶ玖美子さんの手記*―――

私は御嶽神社からちょっと離れた話になります。

立川駅から電車が右・青梅方面、左・八王子方面と分かれます。江戸の頃から八王子市は
南多摩の中心地、青梅は西多摩の中心地、そして立川は何もない畑地でした。そこに駅が
出来て今や多摩全体の中心的な地になった訳ですが。


その立川市に28歳から10年ほど住み、それが私の多摩での暮らしの始まりとなったのです。
その近くに育った千惠子さんとはかなり違う経過で、奥多摩が私の「東京でのふるさと」に
なりました。海育ちなので、窓から見える山並が珍しく憧れたのでしょう。休日、遊びに行
く、といえば勤め先のある新宿方面ではなく、奥多摩や山梨方面でした。


さて、南多摩の丘陵地帯は今や地形そのものまで壊すだけ壊されて昔の面影はどんどん少な
くなりました。宮崎駿の作品「平成狸合戦」がそれを詳細に語っていると思います。一方、
西多摩の青梅より先の地域はこの半世紀、その地形はほとんど変わっていません。渓谷に山
の迫る地形なので変えようもなかったのでしょう。それがあの美しい御岳渓谷を残し、山あ
いに山葵畑を残し、猿やクマや鹿を棲ませています。無論、昔は狼も暮らしていたのですね。


TVの旅番組で奥多摩を紹介する時、出演者がよく「東京にこんな自然が残っているので
すねえ」と感嘆します。そのせりふが私は嫌いで。ここが本物の東京、と言いたい。江戸
の時代から人間はアメーバのごとくに侵略して東京を人工的な街にしてきてしまった、奥
多摩の風景だけが昔のままに残った、というだけなのに。もっとも、奥多摩湖(小河内ダ
ム)は東京に住む人のためにたくさんの家や風景を犠牲にしましたが。


いつも、メンバーの皆さんが電車で渡る多摩川の水の一部は御岳山からも滴っています。
そんな多摩川上流を歩いていただけて、今回は本当に嬉しい吟行でした。


  花山葵水さはさはと野を目指す 玖美子             

(玖美子)


*発端を作った読書家・玲子さんの手記*―――

平成24年2月29日、御嵩神社に吟行にいきませんかとみなさんに声をかけてみました。
さっそく、地元出身の方々から御嵩神社のお話を聴くことができました。その上、千惠子
さんが幹事になって下さることになりました。1度も行ったことのない場所、しかも本で
出会った場所へみなさまとご一緒できるなんて夢のようなことでした。あらためまして、
ありがとうございました。


書店の民族・歴史のコーナーで『オオカミの護符』という本を見つけました。表紙の〈オ
オカミの護符〉の黒いオオカミに存在感があります。護符に「武蔵國 大口真神 御嵩山
」と記されています。御嵩は小林恭二の『俳句という愉しみ』の吟行の舞台でもあります。
『オオカミの護符』の目次に山奥の秘儀、オオカミ信仰などとあります。目次に惹かれて読
んでみると、古くからの農民の暮らしと祈り、それを支えてきた〈御嵩講〉や〈オオカミの
護符〉の歴史がみえてくる本でした。みなさんも読んで下さいました。


『オオカミの護符』の著者は川崎市宮前区土橋で生まれました。筍の産地として有名だっ
たそうです。生家は代々農業を営んできました。昭和38年をターニングポイントにして、
都心近郊の宅地開発がはじまります。渋谷から電車で30分ほどの土橋も例外ではありま
せんでした。新興住宅の入居者は都心へ通う会社員です。会社員の子どもと地元の子ども
が同じ小学校に通うことになりますが、生家のことを友達に知られたくなくて、ウソをつ
いてしまったことがあると述壊しています。前近代的な暮らしやモノがすたれつつあったこ
ろのことです。

 
代々続いてきた農業は父の時代に終わりましたが、ある日、生家の古い土蔵の扉にオオカ
ミの護符が貼られているのに気がつきます。それが『オオカミの護符』上梓の出発点となります。


「祖父母と暮らした故郷としての面影が消えるとともに、いつの間にかこの街で〈護符〉
を見かけることはなくなり、この街に住む人の多くは、その存在を知ることもなくなった。
私にとって、この街中にポツンと残され、場違いな存在となってしまった土蔵と、その扉
に貼られた〈オイヌサマ〉だけが、遠ざかる村の記憶が確かなものであったことを物語る
証しなのだ」
本文抜粋

オオカミの護符をめぐる旅は土橋御嵩講に始まり、最後は山岳信仰に辿りつきますが、こ
の本を読んでゆくうちに、祖父母・古い土蔵・護符・遠ざかってゆく村の記憶などが著者だ
けのものではなく、いろいろなかたちで誰もが持っているものだと気づかされます。


それぞれにいろんな思いを持って登った御岳山でした。それは春の山を実感するものになり
ました。これから「春の山」といわれる度に御岳山が浮かんできそうです。山頂からは浅い
色合いの山々が続いているのが見えました。日光連山、筑波山などだそうです。ところどこ
ろに山桜の花の色なども見えていました。


犬好きな人と「オオカミって、絶滅していない気がする」「こんなにたくさんの山が繋がっ
ていているし、深いし、人間が見つけられるはずないもの」とうなずきあったのでした。
(玲子)

*都会生まれの都会育ち・ちあきさんの手記*―――

 りょうこさん達が『オオカミの護符』について話しておられた時、「何?」とは思いなが
ら聞き流していました。ところが、御嶽神社への吟行という具体的な話になって、これは読
まないわけにはいかないと思いました。図書館では相当の順番待ち、近所の数軒の書店では
ないとのこと。最終的にはアマゾンで購入しましたが、在庫はあと9冊ということであわて
ました。入手した本の奥付には今年の3月5日に5刷とあり、かなりの人気だなと思いまし
た。

 
 御嶽神社への吟行は4月18日に行われ、山頂の神社には立派な「オイヌさま」が祀られ、
この時も神社拝殿では神楽が奉納されていました。参道の急坂には各地からの御嶽講による
新旧の石碑が立ち並び、まったくの信仰の山という印象でした。

  
 都会暮らしに馴染んだ身にとって、現在でも農業に関りのあるこのような行事が盛んであ
ることに気付かされた吟行でした。(ちあき)

*上記ブログ「オオカミをさがして〈その2〉」もご参照ください。