



| 関ケ原の合戦の後、全国の領主が新に定められた新城主となった大名は領地内に菩提寺を創建する事が慣例でありました。正則公の菩提寺は「京都・臨済宗大本山妙心寺・塔頭海福院」でありましたが国替・移封の為当地に菩提寺を求めました。正則公は禅の信者であり観音信仰が篤く、当院を復興し「海福寺」の寺号を附加して中興開基となられました。築城不可・領地分散等種々の制約の中壽鑑和尚との深縁をもって悲運の名将正則公はここに眠っています。 |
| 福島正則(1561〜1624)元亀天正年間の戦国武将豊臣秀吉の重臣として賤ケ岳の戦いでは「七本槍の第一」と称せられ、また関ケ原の合戦でも勇名をはせ、広島城(49万8千石)の大大名になったが幕府の謀略により元和5年(1619)秋、この信越地方(4万5千石)に国替えさせられた。在信5年で悲運を嘆きつつ寛永元年(1624)7月13日64歳で薨じた。 霊廟には遺骨を埋葬し、「海福寺殿前三品相公月翁正印大居士」の戒名を刻む。 遺品には、左遷状や太閤葬儀行列帳などがある。 |
| 戦国時代に武士たちが好んで建てた。 今はあまり見られない、五輪塔は五つ の異なった形の石を積み上げたもの。 上から「空・風・火・水・地」と刻 まれている。 |
| 当寺の第十世領国壽鑑大和尚が、公の遺骸を収めて本堂東北の山手に埋めて厚く供養した。のちに埋葬標識として五輪塔を建て上屋を造りて永遠に祭礼する事とした。これが今日岩松院に有る「福島正則公のおたまや」である。 |
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