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2002年10月14日 (月) 更新

談話室プラスワン

(このコーナーでは読者の方から頂いたメール等を掲載しています)

 
 

「もみじ」と障害者という「みもじ」

静岡の島田でございます。

お久しぶりでございます。
お茶とみかんとのんびり静岡の島田でございます。

いよいよ空も高くなり、早いところではもみじ狩りのシーズンとなってまいりました。

流るるや。もみじひとはの。浮き沈み
(作者不明、どこかの和尚さんの説法で聞いたような気がします)

もみじ狩りのハイキングで渓谷のつり橋に来ました。
一休みして渓谷を眺めると、透き通った清流のせせらぎの音と一緒に吹き上げてくる秋風が、ほてった頬になんとも心地いい。
川岸に、その渓谷に覆いかぶさるように真っ赤に燃えた一本のもみじ。
見とれていると、風にはらはらと、ひと葉、清流に散りました。
押し流されるもみじを追うと清流に呑み込まれて、もんどりうって沈んだり沈んだかと思うと押し上げられて浮かび上がる。
翻弄されながら浮き沈みを繰り返し流されていくもみじをいつまでもみていました。
もみじのひとはと清流とのひと刹那に人生を照らしました。

誰ですかあなたの場合は、沈み込んだままで浮き上がってこないといっているのは。
すごオーく長い前置きになりました。
ようやく本題です。

私は以前から障害者ということばが嫌いでなじめませんでした。
障害者を直訳すると障りがあり、害がある人とも読めます。
なんともいやな漢字の組み合わせですよね。
ですから私が、スピーチをしたり、セミナーで話をする機械があるときは、「視覚に障害を負った私は、」といっていました。
つまりすごくこだわっていたわけです。

いつだったか、ある福祉関係の大会でスピーチを頼まれ視覚に障害を負った方たちの今後の就労環境というテーマの中でこの障害者ということばについてのこだわりの話もしました。
すると会合の後の懇親会で福祉関係を長年やってきたという主催者側の方が、「島田さんは、まだ障害を持ったことが受容できていませんね」ときた。
福祉関係のベテランかどうか知りませんが、思いの浅い無神経な方もいるんです。
障害を負った当事者が、一番先に味わう、絶望と葛藤と戦いです。
そこを何とか乗り越えてきた私ですから経験のないあなたに受容できていないと言われる筋合いはありませんよといいました。
相手もわるぎがあっての話しではありません。
なんとも大人気ない私ですね。
その方は、じっとり汗をかいて謝ってくれているようでした。
私もすべてを受容できているかというと自身はありません。

しかし最近のニュースですごくうれしい記事がありました。
それも静岡県のユニバーサルデザインの取り組みの一環です。

(ここから記事の抜粋)
◆静岡県では今年度から法律上用いる場合を除き、「障害者」ではなく、「障害のある人」という表現を用いるようにしました。「健常者」「障害者」と分けて表現することで差別や偏見を感じる人に配慮したのです。まるで、もともと2種類の人間がいるような表現だからです。

(抜粋ここまで)
自分の住んでいるお膝元に味方がいるような気がしました。
台風一過、今日の秋晴れのような気がしています。
何かいいことありそうだな。
お時間がありましたら下記の静岡県ユニバーサルデザインのホームページをご覧ください。
http://www.pref.shizuoka.jp/kikaku/ki-10/

(参考 しずおかユニバーサルデザインの考え方)
○「ユニバーサルデザイン」とは、「全ての人のためのデザイン(構想、計画、設計)」です。年齢、性別、身体、言語など、人々が持つ様々な特性や違いを超えて、はじめから、できるだけ全ての人が利用しやすい、全ての人に配慮した環境、建物、製品等のデザインをしていこうという考え方です。


ではまた失礼します。

(2002-10-04)

 
 

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