2004年12月の活動報告

12月31日(金) 
 大晦日。今年は7月の水害から10月23日の中越地震、先のインドネシア スマトラ沖地震による津波災害と、国内外で相次いで大きな自然災害をもたらした。他にも史上最多といわれる台風の数と規模の大きさ、アメリカにおける巨大ハリケーン、東南アジアにおける相次ぐ大洪水と、前の災害のニュースがまだ大きく報道されている時期に、それを上回る大きなニュースが次々と起こった。いずれのニュースも「史上まれに見る」という言葉が枕になるほどだ。これほど大きな天災の裏に、環境の変化があるのではと思わせるような出来事だ。いずれにしても「平穏」という言葉が、これほど有難いと思った年は無い。来年が穏やかで悲しみの無い年になることを祈っている。
(2004.12.31)

12月30日(木)
  東京から帰ってきた娘と治療室の大掃除。
(2004.12.30)

12月29日(水)
たまっていたメールの返事書きをして、送信しようとした瞬間にパソコンがダウン。どうにかデータは破壊を免れ、ワープロは動くようになったが、メール送信ができず、パソコンの音声も出なくなってしまった。年明け早々に後援会報を発行する予定になっているので、これから大車輪で原稿を書かなくてはと思っていた矢先だけに、これでは全くのお手上げ。
(2004.12.29)

12月28日(火)
  仕事の合い間にようやく遅まきながら年賀状書きをする。
(2004.12.28)

12月27日(月)
 12月議会最終日。11時半からの議会運営委員会を経て、午後1時から本会議開催。寺泊町の合併協議会設置を共産党以外の賛成多数で可決。本会議を終えて市役所1階のロビーに降りたが、暮も押し詰まっているにも拘らず、罹災証明の手続きのために、まだ大勢の皆さんが仮設の受付を囲んでおられた(写真)。市役所は年末ギリギリまで業務を続けることになっている。
 夜、5時半から市内グランドホテルにて議会と行政の年末懇談会。私は今回の震災で、その復旧のために中心となって活躍された神林企画部長、若木土木部長らの皆さんと同席し、苦労話などを伺いながら労をねぎらう。二次会は収入役や議会事務局の皆さんらをお招きし、恒例の同期議員の懇親会。
(2004.12.27)

12月24日(金)
 午前10時から議員協議会。先の町長選を受けて申入れのあった三島郡寺泊町との合併手続きの経過説明がなされた。寺泊町は人口1万2千で、魚横丁など、漁業関連や観光などに力を入れている。町側からは駐車場や役場の整備、学校の跡地利用や海洋深層水の開発推進などが申し入れられているとの事だ。合併形態は編入合併で期日は再来年の1月以降になる見通しだ。
 協議会終了後、小熊議長、恩田副議長とそれぞれ個別に面談し、同じ三島郡の与板町の本市との合併問題について意見交換。与板町はこれまで本市との合併問題で紆余曲折し、明後日にはこの問題で住民投票が予定されている。お二人にはそれぞれその結果を注目していただき、他の町村同様、速やかな受け入れ態勢と迅速な対応を要望する。
 また、昼食をはさんで午後からは森市長と市長室で直接お会いし、同じように迅速で寛容な対応を要望する夜6時から、かも川別館にて、助役、収入役、それに議会事務局長らをお迎えし、所属する民成クラブの忘年会をする。
(2004.12.24)

12月23日(木)
 天皇誕生日の休日。午前中はホームページの原稿整理や、今週末、京都で開催される高校駅伝に出場する中越高校へのカンパ要請の連絡をとったりする。午後から霙まじりの天候の中、震災チャリティコンサート「中越ゆめ百俵」のリハーサルのため、第九合唱団のMさんと駅前の市民センターへ。2時間半ほどオケ合わせをした後、厚生会館前でのコンサートに臨む。悪天候のため参加者は300人足らずだったが、指揮者の船橋洋介先生の棒と、東京音大の学生オーケストラをバックに、市長も飛び入り参加をして150人のコーラス隊で「第九」をはじめ、「アベベルムコルプ」、「童謡メドレー」や「大地参賞」などを歌う。コンサートの模様はテレビニュースで全国放送されたが、私は午前中にテレビで放送された山古志村民の姿と重なり、特に長岡少年少女合唱団と歌った「すべての山に登れ」と「ビリーブ」に強く心を打たれた。
 6時半過ぎに終了し、近所の居酒屋で打ち上げをしていたら、まるで大地ごとふるいにかけられたような震度4の強い地震。ちょうど震災からまる2ヶ月目にして、久しぶりの強い揺れだった。
(2004.12.23)

12月22日(水)
 午前10時からの総務委員会を傍聴。この委員会でも震災関連に質問が集中。これまでの概算で長岡市だけの被害総額が4800億円にも上ると見られており、来年度以降の予算編成が心配されるところだが、これまで年々10%の歳出カットをしながら蓄えてきた財政貯蓄も既に底をついており、手がけた土木工事も含め、通常の歳出は極めて難しいとの見解が示された。暫くは緊縮財政を強いられるのはやむを得ないと思われる。
 委員会終了後、北谷合併推進理事と面談。与板町の長岡市との合併問題について意見交換。
(2004.12.22)

12月21日(火)
 産業環境委員会を傍聴。10時からの委員会では災害ゴミの処理問題や、地場産業の復興対策などが議論される。
ところで隣町の与板町では破綻した合併問題の責任を取って辞職した町議会の議長選挙に、知人の佐藤誠一氏が相手候補を1票差で選任されたとの報告があり、早速電話をする。佐藤さんは早くから長岡市との合併を支持しており、敗れはしたものの6月の町長選では長岡派を推して戦った。この26日にはその与板町で長岡市との合併に対する住民投票が予定されている。佐藤新議長の活躍に期待したい。夜、今年最後のサックスのレッスン。
(2004.12.21)

 12月20日(月)
未明に数回の地震。12月議会 建設委員会を傍聴。大半が先
の7.13水害と中越地震対策に議論が集中。
(2004.12.20)

12月19日(日)
午後1時から長岡市視障協の忘年会。やはりいつもの年よりは参加者が少なかったようだが、それでも最後はカラオケも飛び出していつものように賑やかな忘年会になった。夕方6時半から地元町内会の総会と忘年会。今回の震災を受けて、私が2年ほど前から提案していた町内の自主防災組織を立ち上げることが満場一致で決まった。宴席の後、8時半過ぎ帰宅
(2004.12.19)

12月18日(土)
 午前中仕事。午後6時から市内の居酒屋で後援会であるプラスワンの会の忘年会。当初、事務局では自粛も検討したが、大変な時だからこそと、開催することにした。今年はやはり例年の半分ほどの出席で、先日急逝した事務局のK君の冥福を祈ってしばし黙祷を捧げた後、口々にこの度の震災の被害の模様を話しながら、それでも熱気に包まれた楽しい宴席となった。
(2004.12.18)

12月17日(金)
 今朝、起きてみると東山にうっすらと初冠雪。午前10時から文
教社会委員会。私は災害における障害者への対応を中心に、何点かにわたり質問。聴覚障害者や視覚障害者に対する情報伝達手段や、大きな体育館に避難した際にトイレやとっさの避難に対応が難しいことから、今後、障害者の避難場所を普段行きなれた
社会福祉センターなどに指定するよう求めた。また、障害別のプライバシーの問題をクリアしながら災害弱者といわれる寝たきりの高齢者や重度の障害者の非常時救済リストを作成するよう主張。他に、更衣室や授乳室など、避難所のプライバシー確保が
できていたかについて質問。やむをえない部分があるにしろ、よく言われるエコノミークラス症候群による車中死やテント避難者の問題などは、このプライバシー確保に問題があったからではないかと感じている。
 その他、本会議で教育長が簡単に触れた「小中学校の統廃合問題」についても、その内容を更に具体的に明らかにするよう求めた。教育長答弁によると、「合併を予定している周辺町村の統廃合はかなりすすんでいて、本市ではこれまでこの問題に全く手付かずだった。少子化もすすんでおり、また、複式学級も多く残っている。賛否両論が考えられるが、今後、地元住民と十分話し合いを深めながら、統廃合を進めたい。」とのこと。私は学校は地域にとって心のよりどころでもあり、性急な議論ではなく、住民感情に十分配慮しながら話し合いを進めて欲しいと要望する。
(2004.12.17)

12月16日(木)
12月議会予備日。終日自宅にて明日の常任委員会の原稿づくりをする。
(2004.12.16)

12月15日(水)
12月議会二日目(本会議 一般質問の内容については下記参)本定例会は震災関連の質問が大半となった。私の所属する会派でも代表質問となった。4時過ぎに帰宅すると、今回の震災で落ちた南側の屋根の瓦修理に瓦屋が来てくれていた。忙しいと見えてぐし瓦は後回しになり、ビニールシートがかかったまま年を越しそうだ。夕方電話にて村松町のKさんから家の復旧工事に関する相談を受ける。夜、先日亡くなった友人のKを偲んで、中学時代の同級生ら4人と飲みに出る。

● 一般質問要旨
 (西沢議員への答弁)
コミュニティFMラジオの災害時の割り込み放送については、市長としてもその有効性と必要性を認識しており、放送局との予算の折り合いが図れれば前向きに考慮したい。
 被災校の復旧には国の補助金を最大限利用して早急に進めたい。小規模学校の統廃合には複式学級を中心に今後議論を始めたい。学校建設に当たっては安全対策を最重点に考え、長く利用できる建築を考えて建設していく。(教育長)
 (石橋議員への答弁) 
 三位一体に対する考えは、今後の地方の発展にとっては極めて重要と考えている。今年度の国の予算編成に対しては不満の残るところだ。
 商工業の被害は390億円と見られる。これに風評被害を加えると更に大きな被害になる。中小企業災害復旧支援金制度を大幅に緩和して復旧支援に当たっている。 また、農地被害は314ヘクタールに及んでいる。養鯉池については500箇所以上の被害が確認されている。これは国の激甚災害の指定を受け、その支援を受けることとなっているが、市としても援助していきたい。
 (山田議員への答弁)  
市の被害は全壊が800件、半壊が4000件となっており、本市全体の被害総額は4500億円と見られる。避難所のバリアフリー化で学校入り口と体育館にはスロープを取り付けていきたい。
高齢者、障害者の防災リストを作る件については日常の福祉業務でまかなえると思われるので考えていない。リストを自主防災組織に渡すことに関してはプライバシーの関係で問題があると思われる。
(2004.12.15)

12月14日(火)
 今日から12月議会が始まる。オパールとバスと徒歩で市役所
へ。午前11時半より議運。午後1時より定例会本会議(一般質問の内容は下記のとおり)。本会議では通常の議題の他、先に提出された和島村との合併案を賛成多数で可決した。4時半に終了し、その後、ただちに議員協議会が開かれ、先日、寺泊町から出されていた合併案についての説明を受ける。
  (一般質問 答弁要旨)
平成16年12月議会 本会議答弁
  (笠井議員に対する答弁)
被災者生活対策支援金制度の柔軟な対応を国に図っている。応急復旧の期間延長は1ヶ月ほどの延長が認められている。また、所得制限についてもその撤廃について引き続いて国に要請している。
地区防災センターなどのあり方については検討していく。停電時、避難場所への照明設備に対する苦情は多く寄せられ、民間からの借り上げについても、今後検討していく。四郎丸小学校や上組小学校などは今年度いっぱい仮設校舎を利用し、新年度から
元に復したい。
  (加藤議員に対する答弁)
 今後は災害復旧を最前提にして取り組まざるを得ない。財政的な蓄えも底をつくものと思われる。避難所への訪問介護、訪問看護を特例として認めてきた。
 自主防災組織の活動については、まず自らの安全を確保してから周囲の安全対策を行うとなっており、今後、状況が落ち着いた段階でこれからの組織のあり方について考えを聞いていきたい。(神林企画部長)
 コミュニティーセンターの存在について、誘導看板の整備や耐震性について検討していきたい。今後、コミュニティセンターの電話を緊急防災用の物にする事も考えていきたい。(教育部長)
 今回の災害を地盤災害とし、現行法の弾力的運用を国に要望している。
(竹島議員に対する答弁)
 自主防災組織と防災センターのあり方を今後検討したい。活動が明確でなかった自主防災組織について、その育成には今後とも努力していきたい。 
 居宅者については安否確認をした。視覚や知的の安否については障害者団体などからの確認を得た。(避難施設のあり方については回答なし)
 精神的なケアについては直後から医師会の協力を得て実施。 災害弱者に対する心のケアについては、研修会を計画している。
(本田福祉部長)
 被災生徒については学校カウンセラーや県のカウンセラーから指導を受けている。
学校カウンセラーの増員については県に要請していきたい。今年度の耐震調査は44.5%が終了する予定だ。(加藤教育部長)
(2004.12.14)

 12月13日(月)
明日からの12月議会の準備のための資料整理と議案書読みを
する。
(2004.12.13)

12月12日(日)
ポカポカと汗ばむほどの陽気の一日。朝8時の高速バスでオパールと新潟へ。このところ日曜日ごとに新潟通いが続いているが、オパールと乗り物に乗ってとても重宝するのは、オパールがまず先になって乗り口まで案内してくれるのは勿論だが、中に入ると必死に空席を探してくれ、席が見つかると自分からお尻の方から座席の下にサッサと入り込んでくれるからとても楽だ。視力が無いと空席を探すのは結構大変な作業になるからだ。
10時から総合福祉会館で新潟県盲導犬ユーザーの会の情報交換会。盲導犬の歴史や日常の問題や暮らしのヒントなどの情報交換をする。午後1時からの忘年会に少し出席し、その後、市民会館での視覚障害者の太鼓チーム「江陵会」の月例会に参加。
(2004.12.12)

 12月11日(土)
 治療院の仕事。 パソコンサークルのHさんが来てくれ、新聞読みソフトのアップデートなど、パソコンの環境整理をしていってくれる。午後から12月議会の準備のための原稿整理をする。
(2004.12.11)

12月10日(金)
 午前10時よりクラブ会議。11時より議会運営委員会。14日から始まる12月議会の日程などを確認。終了後、第3委員会室にて総務委員会が開催され、先の栃尾市から申し出のあった合併問題を議論。先日開かれた臨時市議会に引き続き、この総務委員会でも挙手採決の結果、全会一致で「継続審査」となった。
 昼食をとり、オパールと1時間ほどかけて歩いて帰宅。いつもの信濃川べりを歩いたが、12月も半ばだと言うのに、ワイシャツ姿でも薄っすらと汗ばむほどの暖かさだった。
(2004.12.10)

12月9日(木)
 仕事。12月とは思えないような暖かな一日。メールにてウィルスが検出されましたと言うメッセージが返ってきたため、事務局のHさんが持ち帰って退治。NHKテレビの「クローズアップ現代」で、中越地震における障害者の問題が取り上げられていた。12月議会でも問題にしたいと思っている
(2004.12.09)

12月8日(水)
  雨の一日。治療院の仕事。
(2004.12.08)

12月7日(火)
 昨日の栃尾市議会との協議を受け、栃尾市議会のH議員、長
岡市の北谷合併理事と電話で意見交換。栃尾市以外の、和島村、寺泊町、それにとりわけ与板町の合併の動きに対し、今後の対応策について話し合う。また、午後から電話で与板町の山崎町長とも、栃尾市議会との話の経過を踏まえ、危機感を持って迅速
に対応していただくよう要請する。 他に、震災応急復旧の手続きなどの件で、電話で相談を受ける。夜、サックスのレッスンに出かける。
(2004.12.07)

12月6日(月)
 朝起きると妻が窓を眺めながら「あら、初雪ね。」との声。雪が降るにはさほど寒くもなく、不思議な感覚。午前中仕事をし、午後から市役所6階の第3委員会室にて、先ほど合併協議の申入れのあった、隣の栃尾市の議会との懇談会が開かれる。栃尾市は昨年、一旦長岡市との合併協議に入ったものの、議会の反対でご破算になり、先月の住民投票で65%の賛成多数で再び合併が支持され、栃尾市側から法廷協議会の設置案が出されている。長岡市議会は先の臨時市議会でこれを受け入れず、一旦継続案件としている。栃尾市議会ではその合併対策特別委員長に、これまでビラまきを含め、議会で合併反対を強く主張してきた共産党議員が新たに委員長に就任するなど、その真意が図りかねるとして、長岡市議会が申し入れて実現したもの。会議では「これまで反対してきた理由がどのような議論の中で整理されて今日に至ったのか、その経過を明らかにすべきだ。」とか、「一旦協議を再開して、ギ
リギリの来年3月で、また引っくり返すようなことはないのか。」など、長岡の栃尾市議会に対する不信感があらわに出された。栃尾市民の意向を重く受けとめつつ、しっかりしたお互いの信頼関係を作るうえで、今日の懇談会は大きな意味を持つものと
思われる。私としては栃尾市議会が形のうえで誠意を示すためにも、まず特別委員長の交代が先決と考えている。
 帰りに1階のフロアにある会計課に寄り、三日前に茨城のマラソン仲間であるFさんから長岡市にと、送られてきた義援金をお届けする。会計課長によると、これまで長岡市宛てに送られてきた義援金の総額は5513件、2億8700万円に上るとの事。多額の義援金に感謝しつつ、今後、これをどのように配分するかの検討が課題との事だった。
(2004.12.06)

12月5日(日)
 突風と強い雨の中、ガイドヘルパーのHさんと一緒に新幹線で
新潟へ。会場の新潟市総合福祉会館には強風にも拘らず県内から70名以上の方々が見える。県視覚障害者友好協議会の主催する講演会「震災、その時あなたはどうする」では、この度の中越地震に於けるいくつかの体験談や県のデータなどをまじえ、1時間ほど講演。私の他に何人かの方が、それぞれの体験を元に10分ほどのスピーチをされたが、どなたも言うように一般的な避難所が体育館やコミュニティーセンターなどに指定されているが、重度の視覚や聴覚に障害がある場合、移動や情報収集が容易で、なおかつ同じ障害をもつもの同士の安心感から、日頃行き慣れた社会福祉センターなどを避難場所に指定しておく事が最も望ましいと言えそうだ。
 12時終了。強風でビニールが架線に引っかかったため、40分ほど待たされたが、新幹線で長岡に引き返し、NTT労組の主催する退職者の会総会に出席。煉瓦亭で懇親会。5時半からニュー大黒で開かれている長岡ランナーズの忘年会に出席。
(2004.12.05)

12月4日(土)
 午前中、しごとの合間をみて明日に予定されている講演会の資料づくりをし、午後からその資料を基にパソコンで骨子を整理し、点字に書き写す作業をする。夕方、パソコンアットホームの総会に遅れて出席。総会で私は新たにサークルの相談役に選任される。私は「役」と言うより、せいぜい相談係ぐらいしかお役に立てないのだが…。終了後、煉瓦亭で忘年会。二次会ではカラオケボックスで震災以来、久しぶりに歌う。
(2004.12.04)

12月3日(金)
午前9時半から市内四郎丸小学校の講話に盲導犬のオパールと出かける。3年生82名に盲導犬との暮らしや、先日、生徒たちが行ったアイマスクをつけた誘導歩行について、その体験の感想を元に話をすすめる。
(2004.12.03)

12月2日(木)
午後から震災関係の資料の対面朗読。予算書など、議会関係資料お読んでいただいているボランティアで音声訳の会のEさんにお願いし、国による補償金制度などについて調べる。他にも市役所に補償額について電話で確認。
(2004.12.02)

12月1日(水) 

 水害やら震災やらで、今年は何かと大変な年だったが、気がついてみるともう師走。今年はどうやら年末まであたふたとした年になりそうだ。
 午前に市内の県立明徳高校に講演に出かける。この高校には山古志村から避難してきた方300名ほどがまだ避難生活を続けておられるが、校長先生のお話によると、入り口や生活エリアがはっきり区別されているため、お互いに干渉することなく生活ができているとの事だった。その山古志村の方々も来週には全て仮設住宅に入居できるものと思われる。せめて正月くらいは家族水入らずで、温かく過ごしてもらいたいと思っている。一時間ほどの講演が終わって校長室で先生らと話していると講演を聞いていた2年生の女子生徒が面会を求めてきて、とても良いお話だったと言って入ってきた。ひとつひとつの言葉が自分の胸に響いて、色々考えさせられたと言ってくれた。少し恥ずかしかったが私も嬉しく思い、「マラソンにはゆっくり走れば早くなるという言葉がある。決して焦らず、ありのままのじぶんを大事にして欲しい。」とあらためて言葉を送る。
 夕方、少しホッとした瞬間に先日亡くなった友人のKをふと思い出し、妙に寂しさがこみ上げてくる。
(2004.12.01)

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