2004年10月の活動報告

10月31日(日)
 あの悪夢のような初めての地震からもう1週間が過ぎた。晴れて穏やかな朝、いつものようにオパールと避難所である大島コミュニティセンターまで歩いてゆく。避難所にはひところの半分以下の100人ほどの皆さんが朝食をとったり休んだりしておられた。今日は天気も良いし日曜日でもあるので、動ける人は既に自宅の片付けに行った人も多い。人気の少なくなった避難所だが、カップ麺や飲料水などの物資が次々と運び込まれ、山のように積まれていた。皆さんにそれぞれ状況を聞いたり挨拶などをして、オパールに誘導させていつものように事務室に顔を出したが、部屋にはガランとして誰も居ず、ただ先日私が持ち込んできた小型テレビの音だけがしていた。
 帰宅して朝食をとりながらテレビの日曜討論を見ていたら、今回の震災に関して、被災者対策再建支援法など、国による復興対策について色々な議論が交わされていた。私もこれからその辺を十分勉強してみたいと思う。 今日は日曜日で皆さんが自宅の後片付けに追われ、残念ながら足の確保ができず、自宅にて方々にお見舞いやら安否確認などの電話かけをする。電話をした半分ほどの家が不在で、住所から想像するとどうやら避難所に非難されているのかも知れない。
無事を祈るばかりだ。

(2004.10.31)

 10月30日(土)
 報道によると昨日の余震は18回、また震度3以上が3回だけ
と、これまでで最も少なく、今日は更に震度3以上が1回だけで、激しかった地震もようやく終息の方向に向っているかに見える。新幹線も新潟と東三条間が、そして高速バスも東京から新潟間が運転再開した。
 午後から後援会事務局のK君と二人で、支持者や知人宅のお見舞いに回る。土砂崩れによる二次災害が心配だが、小雨が降り続くなか、旧市街地に在住の障害者関係宅などを訪ね、また市内でも最も被害の大きかった妙見町や六日市町方面のお宅を訪ねる。途中、自衛隊宿舎になっているテント群を通り、まず滝谷町のSさん宅に立ち寄る。壁から外装、天井までが剥がことごとくれてしまい、昨日、ようやく家に入ることができたとのこと。しかし水道などがまだなので、以前のような生活に戻るには、まだかなりの時間がかかりそうだと嘆いておられた。
更にここからわずか1キロと離れていない六日市町では、いとこの嫁ぎ先であるSさん宅を訪ねたが、この地区の被害は長岡市内でも最も激しいのではないかと思うほど破壊的だ。途中の家々はどれを取っても大きく傾き、なかにはペシャンコになった建造物もある。この六日市町のSさん宅もご多分にもれず、住宅の一階部分の柱は真ん中から折れ、二階は崩れ落ちる寸前だ。先日、早速市役所の家屋の耐震診断が来て、立ち入り禁止を示す赤い紙を貼って行った。水もガスもまだ復旧せず、お年寄りとも4人で車庫で不自由な暮らしを続けておられた。「オラ、自分の家はもう35年近くも経っているすけに諦めもつくろも、建てたばっかの家なんか、どうしいろかノォ」と、お爺さんは顔を曇らせていた。これから寒くなる一報で途方に暮れているという。 更にその先の、土砂崩れで皆川さん親子が車ごと生き埋めになった妙見町では、やはりどこのおたくも壁が落ち、家が傾いており、不便な家族でのガレージ生活を続けている。
このお宅は心臓のペースメーカーを入れた身体障害者1級の奥さんがおられ、「車庫のコンクリートは冷たすぎるので、明日また市役所へ行って毛布をもらって来たい」と言っておられた。
 当然、どこのお宅も家の建て替えを検討しているケースが多いが、現在、政府で被災者対策再建支援法の改正も検討されていると聞くが、今の法律では「個人財産」にあたる個人の建て替え等には助成されないことになっている。自然災害にかかる色々な問題もあると思われるが、こういう時にこそ、政府の手厚い援助が絶対必要だと現地を視察して痛感。
 雨に濡れ、5時過ぎに帰宅して二人でお茶を飲んでいると電話がかかり、市内のある町内会所有の公民館に避難している家族から、避難所を今日で閉鎖したいから出て欲しいと言われて困っているとの相談。夕食をはさんで9時半頃までそこの町内会長さんや市の災害対策本部などと電話で話したが、話が急だったことと、所有者が市ではなく町内会であることの限界と問題点を痛感した。
 ところでクルマの中でのスタッフのK君との話では、我が心のふるさと、長岡の中心にある飲み屋街の殿町(とのまち)も大きな被害を受け、古いビルの中にある飲み屋さんなどは再建を断念した店も少なくないという。それでなくともこのところの不景気でネオンが消えかかっていたから、これで花の町も完全に無くなってしまうのではと思うと寂しい。
(2004.10.30)

10月29日(金)
 初めての震災から六日目の朝、夜中に殆ど揺れを感じることなく、今朝は小鳥の声で目が覚め、久しぶりに平穏な朝を迎える。とにかく夜はコップ一杯のビールで眠くなってしまうので、今朝も5時半頃に起床しホームページの原稿を書く。日常生活の変化や見聞きして感じたこと、復旧の進み具合など、市外でホ
ームページを見てくださる方にもわかりやすいようにできるだけ細かく書こうと思う。
 今朝もオパールと避難場所であるコミュニティセンターへ行く。今朝はきのこ汁とか、湯気の立った味噌汁のおいしそうなにおいがセンターに充満し、ここでも少しずつ平穏が戻ってきているようだ。夕べは180人ほどが避難されたとかで、それでも少しずつ減ってはきているようだ。しかし色々な話を総合するとこういった避難所に来られる方はまだ恵まれているようで、一人暮らしの老人や体に障害をもった方々の中には他人に迷惑をかけるからと、自宅でひっそりと避難しておられる方も少なくないようだ。
 今回の中越地震では既に35人の死者、2800人のけが人が出ているが、長くクルマの中で避難している人が、外に出て肺血栓で急死する、いわゆるエコノミークラス症候群で亡くなるケースも毎日のように報告されている。避難所以外での避難者に
対する緊急なケアが重要になっている。
 明日からは雨が予想され、土砂崩れを警戒して長岡市全体では1110世帯、3600人に避難勧告が出された。このような中で山古志村ではいったん長岡に避難した方の中で、希望者をヘリで一時帰宅させた。若い長島村長のふるさとと村民に対する愛と、悩みぬいた末の英断に敬意を表する。着変わり果てた我が家を見て泣き崩れるお年寄りの姿がテレビで報道され、胸が痛んだ。
私も日中、空いた時間のすべてをかけて思うように動けないハンディーを電話で安否確認する。夕方には県の視障協からも電話があり、できるだけ多くの会員に電話で安否確認しているとのこと。松永理事長には結果をこちらにも教えて欲しい旨依頼。
 このところ日課のようにして毎日、午前10時半頃になると決まってズシーンと大きなヤツが来る。今日もいつものように震度3がご機嫌伺いに来たが、一日を通しては不気味なほど静かだった。 東京にいる娘ふたりが、とうとう帰宅することを決め、来週はじめには長野経由で4時間半かけて帰ってくるという。
(2004.10.29)

10月28日(木)
 晴れて穏やかな小春日和の一日。未明にも昨日と同じように2度ほどの強い地震で目が覚める。一度目が覚めるとなかなか寝付かれない。朝5時に布団から抜け出してホームページの原稿を書く。7時頃、ヒンヤリとした放射冷却の空気の中、いつものようにオパールと歩いて、避難場所である地元のコミュニティ
ーセンターに出かける。途中、一軒のお宅から朝食の魚を焼くにおいがして、震災前の平穏な時間が一気に蘇る。
 コミュニティーセンターでも味噌汁のおいしそうな香りが館内に漂う。事務局でお茶を頂きながら、金原センター長と雑談。非難の際のペットの事が話題になった。犬などを一緒に連れて避難してくる人が多くなったが、これも時代の流れ。特に一人暮らしのお年寄りに多いという。中には可愛がっている金魚を持って来ている人もいるとのこと。犬などは人間の子供よりはよほどおとなしく、殆ど吠えないという。センターとしてはよほどのことが無い限り容認しているとのことだった。こういった非常時だからこそ、ペットに癒されることも多く、今後、非難の際の重要なファクターとなるだろう。そう言えば村民全員の避難が決まった山古志村でも国の重要無形民俗文化財に指定されている闘牛の牛たちは村に取り残され、それを励みにしていた飼い主は、牛と心中してもいいからと、村を離れないという話を聞いた。生活手段になっているとは言え、特産の錦鯉にも同じケースがあるようだ。
 帰宅して味噌汁と炊きたてのご飯を頂く。地震で割れたふたつの急須の、蓋と器のそれぞれを重ね、一人お茶を飲む。今日は比較的大きな揺れも少なく、道端で大声ではしゃぎ回る子供の声や、世間話をする奥さん方の姿にも、ゆとりと平穏な時間が戻りつつあることを感じる。ふと見るとオパールも手足を長く伸ばし、仰向けに寝てすっかりくつろいだ雰囲気だ。
 午後、妻に送ってもらいオパールと地区防災センターの設置されている地元大島小学校に出かける。地元出身の京都の呉服屋さんから300枚の毛布が届いたり、地元のモスバーガーが材料を持ち込み、熱いスープを提供してくれるなど、あちこちから善意の手が差しのべられている。心あたたまる光景だった。
 そう言えば今日、以前霞ヶ浦マラソンで伴走のお世話になった茨城の藤田さんから、たくさんのお見舞いの入った書留が送られてきた。いつも心に留めていただいており、感謝に耐えない。
 しかし、こうした中にも被害が広がっており、先の山古志村では全員の非難勧告が出され、電話で小千谷の各地を回っている県議の佐藤信幸氏のリポートを聞くと、小千谷市や川口町では壊滅的な状況であり、地域で循環型環境問題に取り組んでいた長
岡のエコファームも閉業を決めたとのことだった。
それに、メールで状況をお聞きした車椅子のTさんからは、避難所生活に対する困難な課題の多い事をお聞きした。
そして夜8時からのNHKの教育テレビでは障害者が地域で暮らしつつ、地震などの際の困難性が多い事を放送していた。これらを記録し、まとめたものを議会に反映していきたいと思っている。 今日もたくさんのお見舞いの電話を戴いたが、早く落ち着いてゆっくりサックスを吹ける日が、一日も早く来て欲しいと願っている。
(2004.10.28)

10月27日(水)
 地震発生以来5日目の朝。昨夜も夜中の1時頃と4時頃に震度4程度の強い地震があり、眠れない夜が続いている。今朝はいつもの朝よりも冷え込みが強いようだ。オパールといつものように避難所のコミュニティセンターに向ったが、毎日の日課になっているせいかオパールがドンドン誘導してくれ、センターの前まで来ると自分で玄関のほうに向って歩いてゆく。ここは往来の中ほどにある建物なので、視覚障害の私としてはその位置が判りにくく、本当に助かる。いつものように避難されている皆さんのところに顔を出し、激励の挨拶をしてから事務室へ。今回の突然の災害で、コミュニティセンター職員の対応や地域がどのように関わったかについて、金原センター長にお話を伺ったが何かと考えさせられるところも多かった。先日、当局を通して開放していただいた陸上競技場の温水シャワーの利用も多いと報告を受ける。8時半にいったん帰宅し朝食。電話で連絡のあった腰痛の患者さんをひとり治療する。
 午前10時過ぎ、妻のクルマでオパールと市役所へ。家から2キロほどの長生橋(ちょうせいばし)のふもとまで来たところで、いきなりクルマが大きく左右に揺すられ、そのまま道路の左側に寄せて停車する。とにかくものすごい揺れ方だ。救急車の
サイレンの音もする。信号に従って橋に入ったが、長生橋はもう相当古く、渡りきるまでは生きた心地がしなかった。このような中で開かれる議会は近接する寺泊町との合併問題について法定協の設置を認める案件に対する臨時議会である。災害対策本部が設置されている市役所のロビーには、避難されてきた方々が所せましと敷物を敷いて座っておられる。11時半からの議運を前に議員控え室でほかの議員と懇談していると、またもやグラグラッと強い地震。議会棟は鉄筋の6階にあるので揺れもひどいようだ。部屋のテレビは先の地震で机から落ち、ブラウン管は写らず音声だけの情報を聞く。
臨時議会を前に突然の情報が入る。高橋町長が進めてきた合併方針を、長岡の議会に先がけて開催された午前中の寺泊町議会で、8対9で否決されたとのこと。長岡市議会も午後1時から予定どおり開かれたが、市長提案の取り下げですぐに閉会。こちらも震度5程度の震災である。
 議会が予定よりも早く終わったので、福祉保険部長のところへ行き、立ち話ではあったが、障害者などへの緊急避難時や避難場所での対応、そして数の把握など、とりわけ十分な配慮をしていただくよう強く要望する。
 市役所を出てタクシーを待ったが、30分ほどしてもなかなか来ない。今朝の強い地震でまた列車が動かなくなり、それにマスコミも大勢来ているのでタクシーが無いのだそうだ。
 ところで妙見町でおきた土砂崩れで行方不明となった皆川さん親子のうち、2歳の男の子が奇跡的に救出された。残念ながら母親と長女は死亡が確認されたが、小さな命が救われた。不安な毎日の中で、ひと筋の希望が見えた感じだ。イラクでも同じように、人質テロに対する救出作戦が行われているが、同じ日のテレビニュースであっても、不可抗力の天災による事故と、自ら判断した行動の結果とは、同じ救出活動でも中身がずいぶん違うと感じている。今日も大小あわせて59回もの地震があった。いつになったら収束に向うのだろうか。今日も行事の取り消し連絡や安否連絡に追われる。
(2004.10.27)

10月26日(火)
 今朝も朝食前に、オパールと歩いて10分ほど離れた避難所に指定されている地域コミュニティセンターに出向く。冷え込んだせいか昨夜は130人ほどの方々が泊まったとのこと。事務室でセンター長としばらく情報交換して帰宅。
今日も午前中に二人の患者さんが見えて治療したが、その間にもお見舞いや励ましの電話が手を休める暇が無いほどひっきりなしに鳴る。午前中にコミュニティーセンターから電話が入り、NHKが大型のテレビを設置してくれることになったと感謝の電話。正確な情報は非常時の最低条件。近所の大型電気屋の店長にも打診しておいたのだがこれで一件落着で一安心。お昼は朝、妻がにぎっておいたおにぎりを食べ、午後から地域防災センターが設置されている大島小学校を訪ねる。体育館で清掃中の避難者の皆さんを見舞い、教務室で片桐センター長と40分ほど話す。既に市内の小中学校は今週一週間の休校を決め、教職員も交代で手伝いをすることになっているとのこと。片桐さんからはそれぞれの町内で組織する自主防災組織が殆ど機能しなかった事の問題点を聞く。その間にも各地から毛布や飲料水などが続々と到着していた。
 夕方帰宅すると大阪のNPO法人で、障害者の自立支援をしている団体から電話。今回の被災で障害者の実態調査と支援をしたいとの申入れがあり、電話で打ち合わせ。
 今日は小泉首相も本市に視察に見えるとあって、日中殆ど大きな揺れも無く、自身も収束の方向に向っているかに見える。
(2004.10.26)

 10月25日(月)
 今日は曇り空で、天気は下り坂。深夜1時過ぎと4時頃にズ
シンと強い地震に目が覚め、とっさに枕元に置いたラジオやデジカメを詰めたウエストポーチに手をかけるが、暫く様子を見てはまた布団にもぐり込む。そのままうとうとして早朝5時起きし、私のホームページに掲載する原稿を書く。その間にもズシーンと強い地震が家を揺さぶる。試しに水道の蛇口をひねるとチッチッという音と共に水が手に触れる。「わっ、水だ!」と、思わず感動の声。普段、当然のように思っていたヒネルトジャーだが、これほど有難いと思ったことは無い。6時半、オパールと一緒に近所を見回りながら今朝も地域のコミュニティーセンターへ。途中、町内に今春開設した知的障害者のグループホームに立ち寄る。4人が一緒に生活しておられるが、ずっと気になっていた。鍵が開かないので隣家に聞いてみると、災害発生当初から施設に避難されたとのこと。コミュニティセンターではお年寄りを中心にまだ多くの避難されてきた朝食のおにぎりを待っていた。激励の挨拶をし、困っていることは無いかを聞く。ラジオは持ってきているがテレビが欲しいという。避難所からオパールと歩いて帰宅したが、町は意外と落ち着きを取り戻している雰囲気だ。帰宅後、8時半に朝食をとるが、その間にも時々強い地震。まさかと思ったが、9時に以前予約していた患者さんが治療に見える。
空き時間に電話で視覚障害者協会のTさんら数人の障害者の皆さんに安否確認をし、また避難所にテレビの設置要望をする。三日ぶりにシャワーを浴びてから11時過ぎに妻の運転するクルマで被害の大きかった東山方面の知り合いを見舞いに出る。途中、道路はところどころ陥没し、ひび割れ、電柱は軒並み斜めになって倒れる寸前だ。全快した家屋や崖崩れもあちこちで見られ、妻は凄
まじい光景だと話す。目的のひとつであるMさんの家は奥さんが一人後片付けをしておられたが、初対面のその奥さんはくったく無く、「思い切って捨てるいい機会になったと思えば…」と笑
う。三日目にしてまだ殆ど手付かずの状態だといい、今夜は近所のガレージに数件で投宿だとのこと。I同僚議員のお宅にも顔を出し帰宅。3時頃、落ちた屋根瓦の応急処置をしに瓦屋さんが来てくれる。既に100軒もの連絡があり、とりあえずビニールシートで雨漏り措置をしていくが、今度、いつ来れるかは全く見通しがつかないと言う。それから私は倒れた治療室のカルテ棚の整理をし、電話での連絡をする。妻は浴室のひび割れたタイルの目地詰めをして、とりあえず風呂が使えるようにしている。夕食にビールを一杯飲んだが、不思議とすぐに酔ってしまい9時過ぎ就寝。

(2004.10.25)

10月24日(日) 
 新潟の妹と妻、それに盲導犬のオパールと一緒にクルマで夜を明かす。朝6時過ぎ、夜が白々と明ける頃に、ホームセンターの広い駐車場に留めていた他のの方々と外に出て、昨夜の恐怖を話し合った。近所のスーパーにはまだ水や食料があるとの情報に、そのままクルマで店に寄って買出しに40分かけ、家に戻る。家の屋根瓦は落ち、庭の石灯籠は倒れていた。恐る恐る家の中に入ったが、もう玄関からガラスの破片が散在し、靴のまま家に上がって後片付けを始める。私は返って邪魔になると思い、とりあえず治療室に行ってみると、数百枚入ったカルテ棚がそっくり前に倒れ、書類や鍼は散在し、診療用ベッドは横にずれている。昨日のショックが残っているせいか、何も起きていないにもかかわらず揺れを感じ、思わず「あっ、地震だ!」と叫ぶこと幾度。軽い朝食を済ませ、私はオパールの誘導で地域の避難場所になっているコミュニティーセンターまで歩いて出かける。避難されている方々も200名ほどになり、挨拶と激励をして回る。ボランティアの方々と話をし、外に出てみると、まだ大勢の人が出入りし、炊き出しや給水車の水をもらいに来ている。気がついたら私も喉が渇いていたので、ついでにタンクの水を一杯頂いたが、消毒のた
めの塩素が強く、飲むと舌がピリピリする。それでもこうして飲み水にありつけるだけでも有難いと思いながら飲み干した。
他の地域では電気、ガス、水道など、全てのライフラインが閉ざされたところも多いが、幸い私の地域は水だけが問題で、運の良いほうだ。耳に突っ込んだラジオのイヤホンからは、列車事故で新幹線が全く見通したたず、高速道路も一般道も全て不通とのこと。頻発する強い地震に不安が募る。オパールが地震のたびに怯えて震えるので、北海道盲導犬協会の諏訪先生に電話で聞くと、あまり宥めたりせず、悠然としているほうが安心するのだという。
夜は睡眠薬代わりにビールを一本飲むも、すぐに睡魔が襲う。とっさのために防災服を着たまま、今夜は家に戻って1階の洋間に布団を敷き9時過ぎ就寝。
(2004.10.24)

 10月23日(土)
晴れの予報に反し、朝から一日だった。午前中、いつものように数人の患者さんを治療し、午後から明日に予定されている後援会の催しであるプラスワンハイキングの準備や電話での打ち合わせ、そして参加者への電話連絡などをする。
 夕方、これまた近所のS君と、いつもの信濃川堤防までのランニングをし、帰宅して汗を流そうと風呂に入るため、下着一枚になった時だった。地の底から突き上げるようなゴーッという何とも言い様の無い不気味な地鳴りが次第に強くなったと思うと、家全体が上下左右にガタガタと大きく揺れだした。と同時に家のあちこちからガシャン、ガシャンと食器やガラスの割れる凄まじい音。午後5時56分。新潟県中越自身だ。何かにつかまっていなくては立っていられないほどの激しい揺れが数分続いたかと思う、正確な時間は判らない。「家が潰れる!」ととっさに思ったが、殆ど声にならない。40年前に経験した新潟地震とは比べ物にならないほどの強い揺れだ。幸い停電はしなかったので、それだけでも少しは不安が解消された。「大丈夫か!」と、近所に住む友人で、いつもランニングの伴走をしてくれているS君がすぐに駆けつけてくれた。心強かった。まだ揺れは続いていたが、少し落ち着いたところで洋服を取りにに階に駆け上がった。しかしタンスのある寝室のドアが開かない。仕方が無いのでベランダから部屋に入り、靴下をポケットに突っ込み洋服だけを着る。手摺につか
まりながら階下に降り、とりあえず居間の引き出しから携帯電話と家のコードレスホン、それにラジオとデジカメだけを持ち、キューキューと激しく泣くオパールにハーネスを着けて一緒に外に飛び出す。幸いなことに玄関のドアはスムーズに開いたので、開けたままにしておく。素足で靴だけを履き、外に飛び出したところで、また最初の地震よりももっと激しい揺れで、外に居ても家がギシギシと鳴る音が聞こえる。大地がこんにゃくのように上下左右に波打つのが体ではっきりと感じられた。近所の人たちもみんな外に飛び出していて、あちこちでワーッと言う叫び声や女性の悲鳴が聞こえる。わずか40分の短い間に、震度6前後の激震が津波のように次々と三度も襲った。明日のハイキングに参加するために泊まりに来ていた新潟の妹も、私を誘導しながらも、大きな地震が来るたびに、しっかりと私の腕に掴まってくる。少し落ち着いたところで妻の和子と相談をしながら、とりあえず風呂の湯を落とし、新しい水を入れておくことにした。彼女は頻繁に起きる地震の間をみては、ガラスの破片や家財などが床に散乱する家に靴のまま入り、その都度防寒着やお湯の入ったポットなどを取
りに入ってくれる。妻の強さにあらためて敬意。イザと言う時のために必要な物をクルマに積み込み、いつでも飛び出せるように一階のガレージにテーブルや椅子を出してひとまず寒さをしのぐ。心配して来てくれた近所の方と夜中までテレビの生中継を見て過ごし、絶え間なく襲ってくる強い地震に、「今夜は危険だから」と、12時近くなって近所の皆さんと大型ホームセンターの駐車場に留めたクルマで寝ることにした。3人と一匹で一夜を明かす。寝ている間にも大きな地震がクルマを揺すり、まんじりともしない夜を過ごす。

(2004.10.23)

 10月22日(金)
 午前9時から来月予定されている決算委員会に対するクラブ
の議案審議。その前に開かれたクラブ会議では、来年度、市町村合併以降の議会運営について議論。基本線としてはこれまでの運営方式を踏襲し、合併後、新議員も含めての議論に委ねることにした。昼近くに会議が終わり、昼休みに道路建設課を訪れ、課長と担当職員と、西病院周辺の交通対策と道路整備について意見交換と要望。市役所内の食堂で昼食を済ませ、オパールの大小の用を済ませてから、少し風はあったが爽やかなのでオパールと歩いて帰宅することにした。20分ほど歩くと信濃川にかかる長生橋(ちょうせいばし)にたどり着く。ここ三日ばかりの雨続きで昨日は堤防の危険水位まで達し、何十年かぶりに堤防内の芝生は勿論のこと、運動公園のグラウンドや畑は全て水没してしまった。回復にはかなりの時間と費用がかかるものと見られる。歩道橋の中間頃にさしかかっても、ゴーゴーという水音は普段にも増してもの凄い。橋を渡って信濃川左岸の堤防に出る。一生懸命誘導してくれるオパールを少し休ませてあげようと、ハーネスとリードを外し、首に目印の鈴をつけて少し放す。ところが5分くらいした時、なにやらポツリと当たってきたので、あわててオパールを呼び、ハーネスを着けて家路に向ったが、雨は見る見る強くなり、堤防の上では逃げるに逃げられず、一人と一匹はズブ濡れになってしまった。幸い雨は5分くらいで上がったので、また振り出さないうちにとオパールと小走りに帰宅。家に着く頃にはオパールも私もかなり乾いてはいたがあらためてタオルで拭く。一時間のドラマがようやく終わった。帰宅後、メールの返事書きたと、たまっていた原稿の整理をする。夕方、1時間ほどサックスの個人練習。ようやく音が少し出るようになると練習時間が待ち
遠しくなる。
(2004.10.22)

10月21日(木)
今月は時期的なものによるのか、講演会の予定がいっぱいだ。一昨日は自宅に数人の中学生が見えて1時間半ほどお付き合いをしたのだが、昨日は柏崎市にある県の出先機関、今日は隣の三島町の中学校1年生への講話があった。
午後、オパールを伴って出かけ、主に盲導犬と障害をもつ人の暮らし、バリアフリーなどについてのお話だが、少しおとなしすぎるかなと感じるほど反応が伝わってこないので、少々不安になりつつ話を進める。終わってから担任の先生にお聞きすると、「授業もこれほど熱心に聞いてくれるといいのですが…」とおっしゃるので少し胸を撫で下ろす。視力が無いと、このような一方的な話は相手の反応が判らずに困ることが多い。80分ほどの講演の後、先生にクルマで送っていただき帰宅。
予約の入っていた患者さんを二人ほど治療し、6時から治療室の待合室にてプラスワン後援会の事務局会議。今週末に予定している後援会主催の桝形山ハイキングの参加者集約とスケジュールなどについて、担当のY君を中心に細部にわたって検討する。後援会としては初めての取り組みだが、どうやら天気も良さそうなのでホッとしている
(2004.10.21)

10月20日(水)
午前中、治療院の仕事をし、午後から台風23合の影響で雨が降りしきる中、講演のため柏崎市へ。友人で、日ごろ私のランニングの伴走をしてくれている県職員のS君の依頼で、彼の勤める地域振興局の皆さん18人ほどのの前でお話。ちょうど今日、満70歳の古希の誕生日を迎えられた皇后 美智子様が、昨年天皇陛下とご一緒に長岡の県立歴史博物館に見え、お出迎えの私とオパールにお言葉をかけていただいた時の印象や、盲導犬オパールとの出会いなどについてお話させていただく。
(2004.10.20)

10月19日(火) 
午後2時から市内のK中学校2年生の生徒さん3人と担任の先生が自宅に見え、盲導犬との暮らしや白杖歩行についての体験学習をする。スクリーンリーダーという画面読みソフトの入ったパソコンや、音声電子手帳などを実演して見せたら大喜び。更に外でオパールとの歩行や白杖を持っての歩行を体験。残念ながらオパールはハーネスを持った生徒らの命令にはビクともせず、体験は失敗。白杖歩行では目をつぶっての一人歩きの難しさや怖さを体験したようだった。私としてはしかし視覚以外にもたくさんの情報があることに気づいて欲しかったのだが、そこまでは無理のようだった。
 その後、生徒さんらが帰った後、対面朗読ボランティアのEさんが見え、来月予定されている決算委員会を前に、分厚い決算書の必要部分だけを拾い読みしてもらう。
(2004.10.19)

10月18日(月)
 昨日投票のあった新潟県知事選で、私の推した多賀さんは惜
しくも負けてしまったが、日中、電話やメールで支持していただいた方へのお礼の挨拶をする。昼過ぎに候補の多賀さん自身がわざわざ自宅に見え、「申し訳ありませんでした。」と、深々と頭を下げてご挨拶いただいたことに、あらためて多賀さん自身に深い感銘と人柄を感じさせられた。「こちらこそ」と、至らなさをお詫びしつつ、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。夕方、治療後にサックスの練習。
(2004.10.18)

10月17日(日)
 朝からよく晴れ上がった秋晴れの一日。午前中、社会福祉センターにて午前11時過ぎまで長岡市鍼灸マッサージ師協会の秋季総会、ならびに視覚障害者協会の文化祭にオパールとともに出席。こちらから依頼した国際交流センターの羽賀さんの講演もそこそこにタクシーで自宅に引返して軽い昼食をすませ、同じ学区内の三ッ郷屋二丁目の創立30周年記念式典に出席。森 市長と隣り合わせになりあれこれ歓談。他に近隣町内会長も出席され、お酒を酌み交わしながら懇談する。記念品まで頂いて3時過ぎに帰宅。
 ところで今日は県知事選の投票日。結果が心配だし、選挙事務所のほうからも開票結果の立会いに来てほしいとの連絡もあったが、お酒も入っており遠慮することにし、自宅で開票速報を見ることにした。結果は残念ながら33万票対29万票という、思いのほか差がついて敗北。多賀候補には僅差であってもぜひ当選していただきたかっただけに本当に残念だ。新知事は加茂市出身の41歳。岐阜県で理事をしており、官僚出身であるが、この際、これまでの経歴を全て脱ぎ去り、新しい感覚と行動力で新しい新潟をリードしていただきたいものである。私個人としては特に県庁所在地を政令指定都市となる新潟市から、地の利を生かした長岡への遷都も含めて県のあるべき姿を
模索していただきたいと願っている。
(2004.10.17)

10月14日(木)
 今朝も7時半から事務局スタッフのY君と長岡大橋たもとに出かけ、オパールとともに交差点に立って街頭行動、行き交う車に手を振る。知事選もあと二日間となった。午後から市内の青葉台中学3年生のTさんら二人が自宅を訪問。それを取材に来た見附新聞の記者と共に盲導犬や障害者の生活などについて話す。夕方、知人らに電話にて知事選における多賀候補への支持を依頼。
(2004.10.14)

 10月13日(水)
 朝からしとしとと細かな雨が降り続く。今朝も県知事選の応
援のための早朝行動で、スタッフのY君と長岡大橋たもとの交差点に立つ。雨の日はやはり車の数も多くなる。帰宅後、朝食をとってから仕事の合い間をみて何人かに電話をかけて、私の支持している早大教授 多賀秀敏候補への投票依頼をする。夜、サックスのレッスンを受ける。
(2004.10.13)

10月12日(火)

 今回の知事選のため、早朝7時過ぎから長岡大橋たもとの交差点でオパールを伴って街頭行動。スタッフのY君らとともに多賀候補への支持を訴える。帰宅後、朝食をとり妻の運転する車で市役所へ。10時から議員協議会。市長と担当理事より、先般話のあった近隣の寺泊町から申し入れのあった合併協議に対する説明を聞く。
寺泊町は人口1万2200人の港町で、海岸線は18キロにも及び、夏は海水浴客や魚市場の買い物客でにぎわう観光産業の町でもある。財政力指数は0.399で、面積は58平方キロメートル。既に合併協議のすすんでいる中之島町とは信濃川を挟んで4km接している。なお、合併協議はこれまでの5町村との協議内容に順ずることになる。
 終了後、昼食をはさんで午後2時までクラブ会議。本会議や常任委員会運営など、来春の合併以降の議会運営のあり方について議論する。
(2004.10.12)

10月11日(月)
 体育の日の休日。今日も雨模様の一日で、家で原稿書きをしたり、電話で今週末の県知事選の支持依頼をした他は、簾を外したりサックスの練習をしたり、先日 届いたばかりの視覚障害者用CD読書機 プレックストークの説明書を聞いたりして、終日自宅で過ごす。夕方、久しぶりに佐藤君と走る。
(2004.10.11)

10月9日(土)
仕事。今年は気温が高いせいか台風がやたらと多い。今日も台風22号の影響で雨降りの一日。各地で被害を出し、家屋が連担して屋根を持っていかれた地域もあるようだ。これも地球の温暖化の影響か。
(2004.10.09)

10月8日(金)
 日中仕事。夜、妻の誕生日を近くの飲食店でやる。
(2004.10.08)

10月7日(木)
 北海道、東北視察の三日目。長岡を出るときには雨も心配されたが、雨はもちろんの事、寒くもなく爽やかな秋の日和だ。
今朝もあわただしくシャワーと朝食を済ませ、仙台駅から8時2分の東北新幹線で江刺市へ。江刺市では「痴呆疾患予防施策」についてレクチャーを受ける(別掲)。
 研修が予定より少し早く終わったため、4年前に個人の寄付で作られたという「ヒロノ福祉パーク」を見学。市役所庁舎にしてもそうだが、いずれも最近できたばかりで人口5万人強の町としては立派な施設だ。ここは社会福祉協議会をはじめとして、あらゆる施設を集合したもので、機能性の面で極めて優れている。
 昼食後、市の職員の案内で来年のNHKの大河ドラマ「義経」の撮影現場となった「藤原の里」を見学。39億円をかけて作ったと言う平安時代そのままの建物は見ごたえがあった。東北新幹線水沢江刺駅を午後2時頃に出て6時半帰宅。

 ◎ 江刺市 「痴呆疾患予防施策」
「脳元気グループ」も11結成。浜松医療センターが開発した脳元気テストと、その後の脳活性化体操やゲームの2段階方式を実施して、いわゆるボケを未然に防止することを目的としている。
会費を徴収し、サポーターや保健師の市道、講師の謝礼などに使っている。現在、痴呆の改善率は85パーセントに上っている。

(2004.10.07)

10月6日(水)
行政視察の二日目。朝7時に朝食をとり、8時半の特急列車で登別市へ。午前中に到着し、2時間ほど「こども地域交流プラザ」について視察(別掲)その後また特急列車に乗り、車内で昼食をとりながら新千歳空港へ引き返して仙台空港へ向う。バスに1時間ほど揺られて仙台市青葉区にある公共図書館「メディアテーク」へ(別掲)。宿泊先の三井アーバンホテル仙台には6時到着。かなりの強行軍で少々疲れたが、お陰で出発前に市の図書館から借りた朗読CDの「シャーロックホームズ」は聞けたし、市内の夕食会場で食べた牛タンも珍味だった。

◎ 登別市 「子供地域交流プラザ」
平成4年依頼実施。指導員を配置し、第2土曜日を開放実施。
田んぼでの稲作や泥んこ祭、昔の祭体験、もちつき大会、鮭の遡上清掃、採卵や稚魚の放流などを体験学習する。
計画は年2回の運営委員会で決定。年間140万円の予算でやっている。他にも文部科学省の子供夢基金やライオンズクラブなどからも拠出を受けている。
親爺の会通しの交流を行い、情報交換などをしている。

◎ 仙台 「メディアテーク」
高齢者、障害者も含めた誰もが使いやすい情報センターとして4年前に建設。全面ガラス張りを中心に明るい館内にはレストランや展示用の貸しホール、ゲームコーナーやビデオシアターなども完備。 この施設ができたことで人の流れが変わり、これまでは青葉通りでも町外れだったのが、現在では近隣に建物もでき、多くの人が行き交うようになった。
長岡でも空洞化がすすむ中心市街地におけるこのような文化施設が欲しいところだ。
(2004.10.06)

10月5日(火)
あいにくの雨の中、今日から北海道、東北地方への3日間の視察に出る。7時半に長岡駅に集合し、新潟空港から空路「新千歳空港」へ。列車内で昼食の弁当を食べ、美唄駅で函館本線に乗り換え、今日の目的地である奈井江町に2時半到着。 奈井江町は札幌市と旭川市のちょうど真ん中に位置し、人口7400人の小さな農村地帯だが、さすがに北海道の町とあって道路も歩道もだだっ広いのに驚かされる。しかも町立病院から福祉センター、図書館まで何でも揃っている。後で聞いたところによると北海道はとにかく行政単位が広いので、例えば最も近い病院まで行くのに高速道路で1時間かかる。それで金がかかっても色々な施設を持たざるをえないのだと言う。広大な面積ゆえに市町村合併もなかなかすすまないのだと言う。なるほど、それぞれの地域によって様々な事情があるものだと納得する。
 奈井江町では「子供の権利条例」について視察。ここでは独自の条例を作ったが、その際、学者等の意見を取り入れることなく、連絡会を作り住民の意見を集約した。ただ川崎と大阪府箕面市の例を参考にした。また条例は子ども自身と大人だけの2グループに分かれて諮問した。条例の中では特に親の義務を強調。また11名の推進委員をきめ、子供会議にも顔を出して意見を聞い
ている。担当は教育委員会。質疑や意見交換をし、施設見学の後、宿泊先の札幌市へ。ホテルの札幌東急インに7時到着。急ぎ顔だけを洗って夕食会場へ。
(2004.10.05)

10月4日(月) 
 昨日の雨から急に寒くなり、すっかり秋らしくなった。しか
し海の向こうではイチローが262本の年間ヒット数の記録を打ち立て、国を挙げて熱くなっているようだ。日中仕事をし、明日からの視察準備をする。北海道、東北地方への視察だが夜は冷え込むのかも…。夜、その北海道江別市から視察に見えた議員の皆さんと歓迎の意味で懇親会。断っておくがこれは完全に私費。春日会長、川村幹事長をはじめ、7人の皆さんと懇談。江別市は北海道開拓当時、長岡から三島億二郎らが移民団を組織し、農民を中心に大挙して入植したことで知られる。したがって長岡とは関係もお付き合いも深い。春日会長と親しく懇談し、彼の戯曲の創作を通じて環境や歴史に学ぶ姿に感銘。
 また、来春退職される稲川中央図書館長の現職最後の熱弁にも聞き入った。理事者(行政)の中でも特に課長クラスの公職にたずさわる真摯な姿勢や心意気にあらためて感銘。
(2004.10.04)

10月3日(日)
 新潟の義弟の一周忌のため、妻や妹と車で出かける。
(2004.10.03)

10月2日(土)
やや雨模様のなか、長岡市の秋まつりが開かれる。今年から合併をふまえた近隣町村からの参加もあり、合併とは直接関係は無いものの、我がふるさと、隣の与板町からも「直江兼継(かねつぐ)隊」も参加した。夜、小雨ではあったが恒例となった知人のピアノ調律師 Kさん宅の庭先でのガーデンコンサートが開かれ参加。ピアノやチェロ、ギター演奏などが次々と披露された。
(2004.10.02)

10月1日(金) 
 午前中、少子高齢化特別委員会。
(2004.10.01)

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