2004年07月の活動報告

7月31日(土)
第10回記念平和の森コンサート。今日も猛烈な暑さの一日。朝のうちに数人の患者さんの治療をしながら、明日に予定しているもうひとつのコンサート「7.13水害支援チャリティコンサート」の連絡に追われる。その最中、電話が入り、予定している厚生会館前の広場で、ほぼ同時刻に大手通り商店街の三台のみこし神事が1時間以上にわたって行われる予定になっているとの事。そんな話は聞いてない。間際になってのハプニングに呆然としながら対応に追われる。こちらは会場借用など、所定の手続きは全て終わっているが、みこし神事のほうは25年間毎年ここで続けている行事だと主張。困った。みこし会や商工会議所、市当局との電話かけにお昼過ぎまで忙殺。とにかく時間が無いことと、今日の平和の森コンサートで畠山実行委員長をはじめ、他の実行委員にはこれ以上の負担もかけられず、結局、一人で対処するしかない。明日は明日の風が吹くとばかりにいったん切り上げて、午後2時には今日のコンサート会場の平和の森公園へ出かける。コンサートのメインゲストである「千と千尋の神隠し」の主題歌を歌っている木村ゆみさん、作詞の覚和歌子さん、それに落語の入船亭扇辰さんらの到着を待って挨拶。夕方にはわざわざ埼玉から挨拶がてら、コンサートの様子を見に来てくれた、金子みすずの舞台朗読の小口ゆいさん、沙亜さん親子と再開。実行委員の皆さんに紹介する。陽はまだ高いが夕方には気持ちの良い涼風も吹いて6時半からのコンサートが始まる頃には、客席もほぼ満席となる。市長挨拶、10回記念作品に選ばれた三好さんの表証に続いて、主題歌「いつもいつまでも」を歌う木村ゆみさんの透き通るような歌声が会場を流れた。
(2004.07.31)

7月30日(金)
 午前中、仕事と平行して間近に迫った「7.13水害支援チャリティコンサート」の事務作業や電話での諸連絡をする。
 午後2時から議員控え室にてクラブ会議。代表者会議での報告や子供王国に対する意見交換をする。5時半から市内の割烹「魚藤」でクラブの暑気払い。クラブ会議の後、時間があったので、4時にパソコンを持って会場に行き、明日の平和の森コンサートの最後に読むメッセージ文を書く。どうにか間に合ってよかった
(2004.07.30)

 7月29日(木)
大雨の後は大変な暑さ続きの毎日。家の中のどこに触っても、まるで熱にうなされている子供の額に触っているようだ。ニュースでは36℃台の気温と言うが、それは風通しの良い百葉箱の中のことで、我が家のように空気がよ どんだような家では、おそらく38度近くはあったに違いない。 
 今日も8月1日に予定している水害支援コンサートの準備に追われる。残っていた問題は大体ケリがついたが、残るはボランティアスタッフがどれくらい参加してくれるかだ。
 四日前から愛用のポケットラジオのスイッチが壊れ、不便な思いをしていたが、今日、妻と一緒に買いに出かける。私にとってラジオは貴重な情報源。特に朝のオパールとの散歩には絶対欠かせない。ラジオのニュースを聞くのも楽しみだが、何よりも現
在時刻がわかって本当に便利だ。
(2004.07.29)

7月28日(水)
 今日も「7.13水害チャリティーコンサート」の準備に追
われる。テントの手配や横断幕の準備、会場との打ち合わせや音響担当のスタッフとの連絡、マスコミ対応からスポンサーへの依頼の電話など、落ち着く暇が無かった一日。夜は10人を超える出演者へのお礼と連絡文を作成しファックス。朝のオパールとの散歩を終え、いつもは車庫の中に作ったブラッシングコーナーでブラッシングをするのだが、朝から既に気温が高くなり、玄関先の屋外でブラッシング。オパールも
気持ちよさそうだ。

(2004.07.28)

 7月27日(火)
 早朝5時半より地元消防団の競技会出場の壮行会に出席。川西方面隊第16分団の小型ポンプ操法が市内大会で優勝し、阿賀野市で開催される県大会に出場することになった。夏の朝は気持ちが良いものだが、先日の水害対策で疲れておられるのだろうが、爽やかな空気の中で、キビキビした所作を見るのはなお一層気持ちを爽やかにしてくれる。全国的にも消防団の組織率が低下していることが問題になっているが、本市でも同じ課題を抱えている。しかし先の水害をみるとき、自主防災組織の必要性がなお一層高まっているように思う。大会でも頑張っていただきたい。
 午後、仕事の合い間を見ては水害支援チャリティコンサートの手配をする。横断幕や仮設ステージ、マスコミ対応から行政や商工会議所との連絡など、色々な方に少しずつお手伝いしてもらいながらの準備だが、タフな私でも少々顎を出す。3時に市役所へ行き、議会事務局や庶務課、用地管財課、福祉総務課などを回ってコンサートの諸手続きを済ませる。夜、久しぶりにTさんとサックスのレッスンに出かける。
(2004.07.27)

7月26日(月)
 仕事の合い間をみて今週末に予定している「7.13水害支援チャリティー」の準備をする。とにかく時間が無いことと、前日に予定している平和の森コンサートの仲間たちには、これ以上の負担をかけられないこともあって、一人ですすめるしかない。昨夜中にチラシ原稿を完成させ、今日はマスコミ対応と、会
場設営のための関係者との打ち合わせを電話でする。夕方3千枚のチラシが刷り上る。後はテントや看板などの細かな問題処理が残る。日中、近隣の町内会長が相談に見え応対。ところで先日申し込んだアビリンピック全国大会への出場だが、最近発表された競技要綱をホームページで見たところ、あまりにもハイレベルで私の力の届くところでは無いことがわかり、今朝早速県の担当者に電話をかけ出場辞退を申し出る。ヤレヤレと少し肩の荷が降りた感じだ。
(2004.07.26)

7月25日(日)
  早朝7時から平和の森公園の清掃に参加。長岡市の身体障害
者団体連合会が年一回、この時期に実施しているもので、今年で8回目になると言う。視覚障害をもつ人や車椅子などの肢体障害者ら60人ほどが集まって自らも社会のために役立ちたいと、鎌やビニール袋を手に早朝から汗を流した。清掃にはこの他、平和の森コンサート実行委員会のメンバーや青年会議所の皆さんらが参加。来週の長岡まつりに開催される慰霊祭や平和の森コンサートなどの一連の行事が、きれいになったこの平和の森公園で開催される。帰宅後、遅い朝食をとり、チャリティーコンサートのチラシ原稿を仕上げ、準備のための電話連絡をする。日中はじっとしていても汗が流れ出る暑さだったが、夕方、激しい雷を伴っての夕立。一挙に涼しくなった。
(2004.07.25)

7月24日(土)
 午前中仕事。午後からパソコンサークルの例会に出席してホ
ームページ検索やエクセルについて勉強したいと思っていたが、急遽計画した水害支援チャリティーコンサートのチラシ原稿作りでカット。夕方、以前から予定していたサックス教室の先生や仲間の皆さんと暑気払いに出る。
(2004.07.24)

7月23日(金)
  朝9時半より来春合併を予定している長岡地域6市町村の首
長や議員の代表が集まって合併連絡協議会が開催され傍聴。山古志村などが提案していた議員の身分を保障する特例措置を6年間まで延長する案件が取り下げられ、最終的に2年までとすることに方向が定まった。これにより新市の議員定数は合併後2年間は40名、それ以降は正規の定数である38名になることが確定した。どこの合併問題でもそうだが、この議員定数の問題が合併問題の最大のネックになっているが、長岡圏域もこれでスムーズな合併議論のレールに乗りそうだ。 10時半よりM議員とともに地元要望である歩道橋建設に対する要望書提出のため磯田都市整備部長らと面会。11時00分より議員協議会。この度の7.13水害の被害状況と対策が報告される。議会からは精一杯の復旧活動に敬意を表しつつも、今後、克復せねばならない課題もあるとの意見が出された。昼食をとってから2、3の部署を回り、打ち合わせをして帰宅。
1時過ぎにギックリ腰の患者さんをひとり治療した後、3時からギタリストのHさん、まちおこしサークルのIさんらと自宅で打ち合わせ。急遽やることになった「7.13水害支援チャリティーコンサート」について検討。昨日からあちこち電話で依頼していた出演者らのうち、長岡出身の入船亭扇辰(せんだつ)や街角ミュージシャンの「ひなた」をはじめ、チェリストの片野大輔氏、テナーサックスの佐藤穂高氏ら、多くの方々が駆けつけてくれることになり、非常時の篤い志に感激している。打ち合わせの結果、8月1日、会場は駅前の厚生会館前広場、時間は午後2時から5時までとなった。俄仕立てで全く準備が整っていないが、スタッフをはじめとする多くの方にお手伝い頂きたいと願っている。 夜7時から中央公民館にて来週に迫った平和の森コンサートの最終実行委員会。9時過ぎに帰宅し、チャリティコンサートのチラシ原稿作りをする。
(2004.07.23)

7月22日(木)
今日、北陸地方が梅雨明け。平年並みと言うことだが、大きな水害を伴った今年の大雨、長い長い梅雨がようやく明けた気がして、例年にも増して開放感が大きい。その7.13水害の被災者支援チャリティコンサートだが、終日その準備と対応に追われる。
(2004.07.22)

7月21日(水)
 極端な気象の変化の影響か、このところギックリ腰の患者さん
が急増している。今日も二人の患者さんがギックリ腰で来院。日中、あるジャズコンサートの計画について、市内に住むピアニストのFさんと電話で話しをしているうちに、この度の水害で被災された方に対する支援のチャリティーコンサートの開催を着想。早速、ギタリストのHさん、楽器店のSさんと自宅で相談。大変ではあるが平和の森コンサートの翌日、8月1日に駅前の厚生会館前で長岡まつりの前夜祭に連動した形でやろうと言う事になった。長岡まつり実行委員長のF君に電話で聞いたところ、水害を理由にまつりの中止を求める意見も多く寄せられており、かなり議論もされたと言う。しかし長岡まつりが1460余命もの尊い命を失った長岡空襲の復興を祈願して始まった祭だけに、「復興」と言う共通の意味を持つイベントとしてどちらも成功させねばならないと意見一致。早速、商工会議所や観光コンベンション協会などをはじめ、出演者や音響などと連絡をとり準備をすすめる。無償のボランティア活動で、時間の無い中での準備となるが、ぜひ成功に向け多くの方の協力を期待したい。
(2004.07.21)

7月20日(火)
 今日、東京では39℃を上回る記録的な猛暑だったそうだが、長岡では台風のような強い風が吹き、涼しいと言うよりは肌寒いような一日だった。このところ、この「記録的な」と言う言葉を気象の中で毎日のように耳にする。先日の豪雨災害といい、気温と言い、どうも気象図はシマウマのようなまだら模様で極端な現象が続いている。
 ところで今日、県の盲導犬ユーザーの会会長であるTさんから下記のようなメールをいただいた。「三条のFさんに会から水害お見舞いをさしあげました。Fさんはそのお見舞いを三条の災害募金にさしだしたいそうです。ところで、今日「県福祉課」へ盲導犬と共に「災害救助のヘリコプター」と「救急車に体験乗車させて欲しいとお願いいたしました。今回の水害にFさんの家族も不安な日々を送られましたが、盲導犬使用者は、災害にどのようにしたら一番良いのか考えねばなりませんね。」盲導犬をパート
ナーとして一人で暮らしておられる方も多い。イザと言う時のために色々考えさせられたメールだった。
(2004.07.20)

7月19日(月)

 


海の記念日の休日。早朝、久しぶりにオパールと信濃川堤防
まで散歩。信濃川は相変わらず満々と水をたたえ、ゆったりと流れている。朝食後、ギックリ腰の患者さんを治療した後、防災服に着替え、10時から後援会スタッフのYさんと一緒に水害の被災現場の視察に出る。この度の水害で氾濫した刈谷田川や猿橋川、稲葉川などの川は既に水も引き、ゴミや倒木などが堤防の木などに引っかかってはいるものの、何事も無かったかのように元の静かな姿に戻っていた。道路もクレーン車や散水者などで跡形も無くきれいに片付いている。しかし、浸水した地区ではまだ被害が生々しく、あちこちで水に浸った家具や家電製品、畳などのゴミの山ができており、畳を山積みしたクルマやゴミ収集車がひっきりなしに行き交っていた。地元住民の皆さんをはじめ、手伝いの方々が休みを返上して片付けに追われていたが、ゴミや泥、汚物などの、海水とも泥土ともつかない、すえた悪臭が漂っていた。警備員が進入制限をしている福島地区では理由を告げ、警戒域内に入れてもらったが、まだ道路や家屋の水も引かず、足元の用水から遥か彼方の田んぼまで、まるで大きな湖のように流れ出た水が不気味に白く光っていた(写真)。同行してくれたY君が「ワーッ 凄い」と興奮したような声をあげる。説明を聞いただけでも恐ろしいような光景だ。稲は三日 水に漬かると駄目になると言う。今日でほぼ一週間、どれ位の広さか想像もつかないが、この下に水没している何枚もの田んぼの稲は既にあきらめざるを
得ない。水の底から農家の方々の悲痛な叫びが聞こえてきそうだ。今日は小泉総理が中之島町など、被災現場の視察に見えると言う。迅速かつ手厚い対策を願いたい。
 同じく被災した福井地区では親しくしていたNTT社員のTさんの所を見舞う。手伝いに来ていた同僚のKさんと一緒にまだ泥が残る庭先で泥水をかぶったサッシや家具などを水洗いしていたが、床上1メートル以上も水が上がり、クルマ2台と畳や食卓をはじめ、なべ釜の果てまでみな駄目にしたと言う。「どうしょもねえて」と、笑って話しておられたが、心の中では泣きたいくらい、切ない気持ちだろうと察しながら、返って邪魔にならないかと早々に引き返す。また、同じく被害の大きかった浦瀬地区にも足を伸ばし、数件の知り合いの家を訪ねたが、幸いにして住宅の被害は無く、1時近くにひとまず引き上げる。Y君と昼食を食べ帰宅後、見附市や栃尾市など、同じく今回被災した知り合いのところに電話でお見舞いをする。 午後4時、防災服を着替えていると平和の森コンサート事務局のMさんが訪ねて来て、コンサートのことや水害状況のことなど、1時間ほど色々話をして帰る。
(2004.07.19)

7月18日(日)
 朝方まで雨が残ったものの、予報に反して晴れ上がり暑い一日となった。急患を二人治療し、妻に送ってもらってオパールと一緒に駅前の厚生会館で開かれている県視障協主催の福祉機器展に顔を出す。音声体重計や新型のCD読書機プレックストークなどを見る。会場では県視障協会長の松永さんとお茶を飲みながら話。この度の水害による被災者の殆どが高齢者だったが、災害弱者としてみれば障害者とて同じ事であり、今後、県や地方自治体にその防災上の安全確保に努めるよう申し入れていくことを確認。 ところで途中、駅前ロータリーを通った際、数台の貸し切りバスが駅前に停車しているのを見たが、恐らく遠来のボランティアを待って被災地に向う車なのだろう。被災から5日目。少しずつ後片付けもすすんでいるようだが、被災された方々はどんな
気持ちだろうと胸が痛む。機器展から帰り、午後から何人かの方に見舞い電話を入れる。明日は後援会スタッフのY君に頼んで被災現場の視察を予定している。

(2004.07.18)

7月17日(土)
 今日もまた時々バケツをひっくり返したような強い雨が降っ
た。午前中仕事、午後、数人のお客さんの応対に追われ、たまっていたメールの返事書きと、電話でこの度の水害見舞いをする。
(2004.07.17)

7月16日(金)
 今日も朝から時雨もようで、昼過ぎからまた強い雨が降る。
更なる被害の拡大が心配だ。既に犠牲者は72歳以上のお年寄りばかり12人にも上り、家屋の浸水は2万3000戸あまり。体育館などに避難されている方もまだ相当数いる。 時折強く降る雨の中、午前10時半から市内のセレモニーホールで、先日不慮の事故
で亡くなられた現職の市会議員 土田九二男さんの葬儀がしめやかに行われ、200人以上が出席される中、私も参列。6期21年間、市政の発展のために尽力され、志半ばで倒れられた氏のご冥福を心からお祈りする。今日も茨城のFさんをはじめ、何人かの方から電話やメールでお見舞いをいただく。先ほども今回の豪雨で最も被害の大きかった浦瀬町に住むTさんの奥さんと電話で話す。何軒も泥水に押し流され、道路も田畑も見境無く泥に埋まっているとのこと。赤や黄色のランプをつけた車がひっきりなしに行き交い、人や土砂を運んでいるとの事だった。既に復旧は始まっている。
 今、夜の11時15分、コオロギの声も聞こえ、あの雨が嘘のように静かな夜を迎えているが、明朝からまたしばらく大雨になるとの予報も出ている。これ以上、被害が広がらないで欲しいと祈るだけだ。
(2004.07.16)

7月15日(木)
 今日は昨日までの雨が嘘のように晴れ、日中は日も差して暑くなる。午前10時過ぎから盲導犬のオパールと一緒に近所の大島小学校に出かけ、3年生の総合学習の時間に講話(写真)。F校長先生の話だと3年生くらいの時期が、感情をつかさどる前頭葉が最も発達する時期との事。その意味でも責任重大だが、45分間の話の最中、子供たちからの反応は敏感で、話をしていても楽しく、緊張感もある。1キロちょっとの道のりをオパールと歩いて帰ろうと思ったものの、日差しがかなり強くなり、あきらめて妻に車で迎えに来てもらう。午後から仕事の合間を見て、役所と電話で情報交換。夕方からまた雨が降り出す。既に長岡市との合併を決めている隣の中之島町では10人近いお年寄りが亡くなったが、幸いにして本市では今のところ犠牲者は無く、家屋の倒壊や浸水でとどまっている。しかし火曜日以来、体育館などに避難され、風呂にも入れず、いつ自宅に戻れるのかの目途さえ立っていない方も多い。成長期に入った稲は水没し、田は全滅と言う。国の災害救助法も発令されたが、被害を受けられた方々の先行きの不安は大きいだろう。
・・・・・復旧作業中、浦瀬交差点・・・

(2004.07.15)

7月14日(水)
大雨はようやく少し落ち着いたようだが、被害は逆に拡大し、今日、長岡市は7.13 災害対策本部を設置した。私もしばらくの間は自宅待機状態で、ラジオのイヤホンを耳に突っ込み、終日、地元のラジオ局であるFM長岡の災害状況を聞く。しかし、具体的情報に欠けるという印象を受け、非常時の情報源と言うには不満が残った。個人的に地元の連合町内会長をはじめ、何人かに電話をかけ、災害状況を聞く。今回の被害を聞いて感じたことは、やはり災害弱者といわれる人たちが多く犠牲になったこと。これまで障害者の犠牲は出ていないようだが、残念ながら70歳以上のお年寄りが6人以上も亡くなられ、他に行方不明者も出ている。ニュースを聞きながら感じた事は、地域の横のつながりが薄くなっていることが浮彫にされた事。イザと言う時の「近くの他人」だ。夕方、少しためらいながらも、信濃川の増水を見ておきたいこともあり、近所のS君とマラソンに出る。夜、市外のあちこちの方々から、大雨のお見舞い電話をいただく。
・・・・水田の冠水・・・

(2004.07.14)

7月13日(火) 
 朝起きてみたら、まるで冬のような真っ暗な空に驚いているうちに、バケツをひっくり返したようなもの凄い雨。それも数時間、止まずに降っている。子供の頃、実家で大雨のために床上浸水した経験があるが、それを思い出させるような恐ろしい降り方だ。不安が的中し、時間が経つにつれ被害の拡大が伝えられてくる。今のところ、避難した人は1万3800人、家屋の浸水は19市町村2万2000人。死者三名、行方不明1名にのぼった。夕方、サックス仲間のTさんの携帯から電話で、家が心配で今日のレッスンを休みたいとの連絡あり。自宅は市内北部の浦瀬町と言う所にあって、今回の豪雨被害の最もひどいところだ。避難勧告も出されて、多くの住民が体育館などに避難しているようだ。Tさんとはなかなか連絡がつかず心配していたが、夜10時過ぎに電話があり、通行止めのため車を置いて、腰まで水につかりながら1時間以上かけて歩いて帰宅したとのこと。とりあえず無事でひとまず安堵。 夜半までずっとFM長岡の災害放送を聞く。
・・・・・刈谷田川・・・・1日400mm栃尾市

(2004.07.13)

7月12日(月)
迷っていたアビリンピック全国大会だが、思い切って出場することに決め、今朝、県に申請をした。先日の新潟大会での成績を受け、関係団体から推薦を受けていたのだが、競技内容に不明の点が多かったり、健康診断書の提出義務や介助者の経費が認められていない点など、いくつかの疑問や不満は残るものの、パソコンサークルの仲間でもあるTさんやHさんをはじめ、多くの方からの励ましを受け、参加することにした。何事も経験と勉強!当然のことながら結果は期待できないが、大会の目的が障害者の雇用開発であり、私自身の施策の勉強にもつながればと考えている。夕方、現職の市会議員である土田九二男さんが交通事故で亡くなられたことを知り合いの消防署員が電話で知らせてくれた。見通しの良い、広い農面道路での出会い頭の事故で、ほぼ即死状態だったと言う。議員には珍しい温厚な土田さんのご冥福を、心よりお祈りしたい。市の選挙管理委員会に問い合わせたところ、これにかんする繰り上げ当選も補欠選挙も無いとの事だった。
(2004.07.12)

7月11日(日)
 午前中、妻と一緒にクルマで参院選の投票に行く。雨の合間を見て出かけたのだが、有権者の出足は良いようだ。午後から二日続きのドシャ降りの雨の中を、視覚障害者の太鼓チーム「江陵会」の月例練習のためオパールと一緒に新潟へ。高速バスに乗り込むと、いつものようにオパールがふたつ続きで空いている席を探して私に教え、自分でお尻のほうから座席の足元に入り込む。空席を必死で探す気配や、恐らくとても難しいのだろうが、座席にバックで入り込むオパールの姿を想像するだけで楽しくなる。いつものように新潟市万代市民会館での練習だが、今日
は新潟盲学校の先生と生徒さん3人が指導を受けに見えていた。今から10数年前、私が盲学校にはりの資格を取るために通っていた頃、今の江陵会のメンバーと一緒に作ったクラブが、今でも後輩たちによって引き継がれている。おまけに当時、いたずらで作った会の太鼓の曲が、今でも大切に引き継がれ演奏されているようで、今日もそれを聞いて懐かしく感じた次第。 練習を終えて仲間と久しぶりに居酒屋で渇いた喉を潤す。15〜6人程度のメンバーでにぎやかに過ごす。
夜9時過ぎに帰宅し、ラジオで参院選の開票速報を夜中の1時過ぎまで聞く。次々に入ってくる速報を聞きながら感じたことは、今回の選挙が日本の政治史に残る大きなターニングポイントになるかもしれないと言う事。野党第一党が与党の議席数を上回った事はあまり記憶に無い。
 今回の明暗を分けたキーワードは、「説明責任」と言うことだと思う。もちろん「年金問題」と「イラク」が大きな争点だが、これらの問題に対し、しっかりと説明と理解を得るための努力をしてこなかった小泉首相に対する批判票であり、岡田党首の実直な態度に票が分かれたものと思う。つまり「おごり」と「謙虚」の姿勢の違いが票に現れた分けだ。青島幸男氏、鈴木宗男氏、辻本清美氏らの落選を聞いて、有権者
は決して馬鹿ではないぞ!」との印象を強くした。
 ところで今回の選挙に、これまで視覚障害者の代表として、また、全国視覚障害者議員ネットワークの代表として活躍されてこられた堀利和参議院議員の名前がないのは本当に残念だ。体調を崩されての事だが、私が市会議員に立候補するきっかけとなった方であり、これまで公私にわたってご市道を頂いてきた。障害者の星として大きな成果を残してこられた堀さんの活躍に、心から感謝と敬意を表すとともに、これからも私たちの精神的、理論的な支えとして、今後ともご活躍されんことを心からお祈りしたい。
(2004.07.11)

7月10日(土)  

早朝、いつもの参院選・お早う行動のためにオパールと歩いて出かけ、交差点に立って行き交う車に手を振る(写真)。今日も朝早くから焼けるような暑さの一日だったが、夕方から大粒の雨が堰を切ったように振り出し、畑や庭先を濡らした。警報が出され、雷を伴ったひどい降り方ではあるが、連日の猛暑のなか、ホッと息をつく雨でもある。雷は文字通り田の上に降る雨で、稲妻(いねのつま)とも書くくらいで、大気中のイオンを中性化し、稲の生育には欠かせない季節の風物詩だ。植物にも良いくらいだから人間や他の動物の体にとっても恐らく良いに違いない。雨上がりの爽やかさはその辺にあるのかも知れないなどと思いながら、久しぶりに締め切った窓に叩きつける雨の音に聞き入った。
(2004.07.10)

7月9日(金)  
 今朝も7時半から盲導犬のオパールと近くの国道の交差点に立ち、今回の参院選応援のための「お早う行動」に参加。朝から真夏の太陽が照りつける中、この直射日光ではオパールが大変だと思っていたら、一緒に居たスタッフの方が気を利かせて、オパールが日陰になるよう自分の持っていた立て看板を上手に移動してくれた。ご自分も暑いはずなのに申し訳ないと思いながら、二人で流れる汗を拭き拭き、行き交う車に手を振る。10時半から議員協議会のため市役所へ。この程、「長岡地域新市建設計画」の素案がまとまり、部厚い資料を基に市長から説明があっ
た。終了後も午後からの現地視察に参加のため役所に残り、その間に道路管理課や福祉相談課を回り、中学通学路の道路の拡幅歩道建設工事や音声訳の会に対する支援措置などの件で課長と打ち合わせ。ところで今週は市内の現地視察が続き、稀にみる猛暑と言うこともあって、オパールを自宅に残し、杖を突きながらの一人歩きが続いた。勿論、現地視察では議会事務局員が随行してくれたので助かったが、役所内では誠に不安定な歩行。歩きも遅く、オパールと一緒のときの、あの颯爽とした(?)自分とはまるで違う歩き方に、オパールが既に体の一部となり、自分にとっては欠くことのできない存在になっていた事を痛感。
 午後1時半から役所のバスに乗り込み、市内4箇所の現地視察。大手大橋の渋滞解消道路である小沢町の市道大島127号線。長岡東西道路整備推進事業(下山1丁目)、それに寿町にある中央浄化センターの沈砂池(ちんさち)ポンプ場更新工事の様子を視察(写真)。最後に本町1丁目にこのほど完成した高齢者向け優良賃貸住宅「ウェルマンション朝日」を視察。この賃貸住宅は国の補助金により自治体が建設し、その管理などを民間に委託する方式で、入居費も収入に応じて3分の2ほどが補助される。NHKテレビの「クローズアップ現代」にも紹介されたもので、全国からも視察が耐えないとの事。ワンルームで共同浴室やカラオケルーム、食堂などが完備されている。何よりも市街地の中心部にあり、交通や買い物などの利便性も高い。しかし現在までの入居がまだ8割程度であり、しかも市外からの入居申し込みが半分近くあると言うのは、少し納得のいかない点でもあった。ところで今日でこの現地視察も終わったが、この視察、常任委員以外の議員が自由に参加できる視察の割りに、今日などは私一人のオブザーバー参加しかないと言う、まことにさびしい結果となった。まあ、視力の無い私としては、現地に出かけて実際に物に触れてみる、またと無い絶好の機会でもあり、殆どに参加できたことは、私にとって大変有意義だった。

(2004.07.09)

  7月8日(木)  
午前中仕事。午後から、昨夜打ち合わせをした「ふれあい緑道」に通じるシンボル橋の建設に対する、市長宛の要望書を成文化する。短いが結構気を使う作文だ。ところで今日、先日新潟で行われたアビリンピック新潟(障害者技能競技会)で金賞を取ったことに関して、今度は県から、10月に仙台で行われる全国競技会出場に推薦する旨の通知があった。金賞を取ったことが推薦条件のひとつであるとは聞いていたが、県大会のワープロ部門で優勝したとは言っても、パソコン全般が対象の全国大会となると勝手が違う。詳しい競技内容も書いてないので大いに迷っている。
  
(2004.07.08)

7月7日(水)  
早朝、参院選応援のお早う行動のため、オパールと出かける。今日も朝からひどい暑さだ。午前中、仕事をし、オパールは自宅に残して午後から現地視察に出かける。総務委員会の視察で、市内にある永田雨水幹線や水位感知システム、四郎丸コミュニティセンターに設置されているe・ネットシティ長岡推進事業のひとつであるテレビ会議システム、それに上除のゴソウザン住宅団地分譲予定地を見る。特に印象深かったのは国の補助金を受けて実施しているe・ネットシティのテレビ会議システム(写真)だ。まだ、若干の課題は残るようだが、今後、合併を控え
て遠隔地の皆さんと気軽に会議や相談ができるのは魅力だろう。夜、6時半から、後援会スタッフで近所のY君にも加わってもらい、学区のE連合町内会長をはじめ、町内会長や町内の皆さんにお集まりをいただき、近所の居酒屋でふれあい緑道の早期着工と関連橋の建設に関する要望書の検討をする。

(2004.07.07)

7月6日(火)
 仕事。夜、サックスのレッスン。
(2004.07.06)

7月5日(月)
 朝7時半より今回の参院選応援で街頭での「お早う行動」のため、オパールと歩いて出かけ、近くの国道の交差点に立って手ふり。朝から大変な猛暑だが、オパールはその割に元気だ。8時過ぎに帰宅してシャワーを浴び、午前中、数人の患者さんを治療し、午後から所属常任委員会の現地視察に出かける。夜のニュースでは長岡の気温が全国で最も高くなり、何と38.3℃もあったとの事。こんな日に現地視察とは、滅多に経験できない事なので運が良かったのか悪かったのか…。他の常任委員会の委員や、教育長など理事者の皆さんら30人以上で半日市役所のバスに。乗り、市内の施設を視察。公共施設では新築した西中学校の武道場と、待期児童解消のために増築した黒条保育園。民間施設では新設のケアハウス福戸(長岡三古福祉会・写真)とサポートセンター永田(長岡福祉協会)をそれぞれ視察。特に目を引いたのは小規模多機能住宅とデイサービスセンターを併設したサポートセンター永田。この施設は今春、新潟の青木議員とともに「こぶし園」の小山施設長を訪ね、お話を伺ったケースでもあり、関心が深かった。ナイト・デイサービスの実施や、ヘルパーとの直通のテレビ電話システムによる24時間サービスが特徴だ。これまでの介護福祉は施設入所型が中心だったが、このケースのように施設を細かく地域に分散させ、生活基盤を地域に置きながらリハビリや介護を続ける仕組みに変わりつつある。この永田のケースが長岡では第1号となる。 5時に市役所に帰り、引き続き市内の割烹で面識会。6月議会から常任委員会の顔ぶれが変わったため、議員と所管する理事者(課長以上の職員)との顔合わせとなる。お酒をまじえての懇談は昼間には見せない職員の顔が伺えて楽しい。

(2004.07.05)

 7月3日(土)
 仕事と原稿書き。新年度からスタートした長岡市の「市民団体活動支援金制度」に対する申し込みの第2次審査があり、我が「PC・アットホーム」も代表のHさんとWさんが、音声パソコンを持参してプレゼンテーションに出かけた。聞くところによると、他に「音声訳の会」や副音声映画の「音声アシストの会」なども第2次審査に臨んだとのこと。29団体が申し込んで15団体が残り、最終的に8団体が選ばれて支援を受けることになる。みんな頑張って欲しいものだ。
ところで私のホームページの作成を指導し、また更新も担当してくれているTさんから、私のホームページのリニュアル提案があり、これを受けて今月中にはレイアウトや内容を一新したホームページが完成しそうだ。お付き合いいただいている読者の皆さんからもご意見をいただければ幸いである。(リニュアル案は本ホームページ「お知らせ」欄参照)
(2004.07.03)

7月2日(金)
 日中仕事。夕方、一ヶ月ぶりに近所のS君と走る。久しぶりに爽快な汗を流す。
(2004.07.02)

7月1日(木)
 日中、H観光課長から自宅に電話があり、昨年、私が常任委員会で質問した「長岡まつり前後の公共施設の休館返上」について、今年は花火が月曜日にあたる為、国営越後丘陵公園や県立歴史博物館、県立美術館などの公共施設に関してはまつり期間中をはじめ、夏休み中は休館しないことを決めたという。せっかく長岡に来て長岡を知らずに帰られることは本市にとっても大きな損害だ。できることなら月曜日の休館そのものも見直し、他の曜日に移動することも提案していきたい。
また、先日投票が行われた我がふるさと与板町の町長選挙の後日談が入ってきた。与板と合併協議会を組織している出雲崎町の議会で、29日に「合併協議会からの離脱」を決議したとの事だ。他町村の合併交付金などの使途目的に対し、異議を唱えたためと言う。該当町村には誠に申し訳ないが、結局、自らの利害のみで組織されたものは、自らの利害関係で分解してしまうことになるのだろうか。
 また、山崎新町長も就任挨拶の中で、「まず三町村で力をつけ、7年後くらいには長岡と合併したい。」と述べたとされる。交付金や補助筋を自らだけで使い果たし、箱物を作ったうえで合併させてくれと言うのではまさに虫が良すぎるのではないか。
仮に長岡は良くても、今回、長岡と合併の意向を表している他町村はおそらくこれを許さないだろう。
(2004.07.01)

もどる
バックナンバーリスト
build by HL-imgdiary Ver.1.25