2004年05月の活動報告

5月30日(日) 
 午前中、延び延びになっている依頼原稿の下書きをし、午後
からの母校 与板中学校での公演内容のイメージチェックをする。年に数十回はする講演で少しは慣れてきたはずなのに、今日はヤケに緊張している。 妻にクルマで送ってもらい午後1時半にオパールと隣の与板町へ。中学校では全校生徒222人とPTAの皆さんが80人、それに町内からも聞きに来ていただいたよう
だ。「障害をもちつつ議員として限界の中の100%を目指して働きたい。」「できるかできないかではなく、やるかやらないかだ。できるかできないかは、その先にあるもの。」「障害はマイナスには違いないが、私にとって障害とは可能性を広げてくれるも
の。プラスに変えて生きていくことで新しい可能性が見えてくる。」「障害者はチャレンジど」などのお話をする。帰りに階段で会った男の子たちが「僕、チャレンジするよーっ!」と、大声で話しかけながら玄関まで見送ってくれたのには感激。頂いた
謝礼を図書館にとそのまま置いて、きれいな花束とお菓子だけを頂いて帰る。(写真) 帰宅後、オパールだけを置いて近くの魚屋で開かれる消防演習・川西方面隊の慰労会に出席。午後からの講演と同時刻に行われた演習だったので、そちらは断念し慰労会だけに出席する。「行政の良し悪しを決めるのは危機管理の徹底だ。」と挨拶させていただく。毎年行われている演習の慰労会だが、私は議員になって始めて招かれたため、主催者である江口方面隊長は返って恐縮しておられた。定員が60名の隊の定数に対し、50名しか組織されておらず定員減との事。私としてはイザと言うときに地域を守ってくれる若い方々との交流ができたことは大変ありがたかった。7時過ぎ帰宅
(2004.05.30)

5月29日(土)
 明日のわが母校 与板中学校での講演を前に、その骨子や組
み立てに時間をとられる。先日、東京で私のキャッチフレーズのひとつでもあるサングラスが壊れたため、先日、近所の眼鏡屋に頼んでおいた新しいサングラスができてきた。急な出費でふところは痛いが、ノン・フレームのメガネでチョッとイメージチェンジ!
(2004.05.29)

 5月28日(金)
 新山口駅から新幹線を乗り継ぎ、一路新潟へ。長い時間、列車に乗っている間にカバンに詰め込んだノートパソコンを持ち出して読み残しの資料を読んだり、原稿やメールの返事書きをする。私はこういう事が嫌いではないので、列車の長旅はいっこうに苦にならないし、返って楽しみでもある。6時過ぎに長岡駅に到着。帰宅してメールをチェック。38件もたまっていたメールにひと通り目(耳)を通す。
(2004.05.28)

5月27日(木)
  ホテルから徒歩で駅に向かい、一路山口へ。山口市役所で担
当課から昨年から実施しているTMO(タウンマネージメン)、そしてこれも2年前から実施しているという企業誘致施策についてレクチャーを受ける。その後、市職員の案内で国宝に指定されていると言う瑠璃光寺(るりこうじ)の五重塔を見学。ここは室町時代に栄えた豪族 大内氏を弔う菩提寺できれいに整備された庭園内の敷石は「泣き石」と言われ、その上でパンパンと手を叩いたり、靴音をさせたりするとどこからともなくキュッキュッとまるで泣き砂のような音がして面白かった。更に市街地に出て市の出資するアンテナショップの物産展を見る。駅前の食堂で昼食を済ませた後、多少時間があったので萩市まで足を伸ばし市の町並み保存条例のひとつでもある白壁の通りを歩いて見学したり、松下村塾跡地や松陰神社を見学。歴史を大切に保存している市の姿勢が見て取れた。
(2004.05.27)

5月26日(水)
 今日から3日間のクラブ視察に出かける。8時の新幹線で新潟空港から空路福岡空港を経由して、新幹線で新下関へ。在来線に乗り換えて降り立った下関駅構内は禁煙となっていたが、駅前の歩道には人が並んで歩けないほど放置自転車が両脇にズラリ。おまけにタバコの吸い殻がビッシリと歩道に張り付いていたのには二度ビックリ。下関市役所では下関市で担当部署からまちづくり条例などについての状況をつぶさに説明いただいた後、現地を視察。宿泊は下関駅前のビジネスホテル。炉辺焼きの店で食事をして解散。
(2004.05.26)

5月25日(火)
 終日仕事。明日からまた山口方面への視察のため、その仕度
に追われる 。
(2004.05.25)

5月24日(月)
 昨年10月に「身体障害者補助犬法」が制定されてからホテル
などの宿泊施設の対応は格段に良くなった気がする。今日も朝食には14階からエレベーターに乗り、オパールとレストランに出かけたが、対応はすこぶる良い。今朝も朝食にご飯をお代わりして快食。ホテルから徒歩で10分程度の所に参議院議員会館があり、入り口でチェックを受けてから2階の会議室へ。10時から厚生労働省障害保健福祉部企画課長 村木厚子氏ら4人の厚労省の役人から、介護保険と支援費制度の統合問題などについてのレクチャーを受ける。極めてよく整理された話で、現在、抱えている問題点も浮彫にされた。議員食堂で昼食をとり、1時過ぎの新幹線で帰宅。代表である堀 参議院議員がいまひとつお元気の無いのが気にかかるが、秘書の清水さん、大沢さんには大変お世話になった。

(2004.05.24)

5月23日(日)
 6回目を迎える視覚障害者議員ネットワーク総会に出席のため、朝7時15分のマックスときで東京へ。東京駅では迎えに来てくれた娘と会い、午後3時からの開催を前に、毎月第2、第4日曜日に代々木公園で行われているアキレストラッククラブのランニングに参加。初対面のHさんの伴走で、いくつかのコースを午前10時半頃から1時間ほどかけて6〜7周する。都心にある広々した木立の中、和太鼓を練習する音や小鳥の声を聞きながら爽やかな汗を流す。オパールと公園内を散歩してきた娘と共に、50人ほどの参加者と一緒にパンをかじりながら冷たい発泡酒を一本 グイーッ! 五泉のSさんが作ってくれた「B・フリーループ」をお土産に持って行き、皆さんに喜んでいただく。小雨も心配されたがとてもよい経験をさせていただいた。1時頃、礼を言ってから別れ、途中で明治神宮に立ち寄り参拝。外国人が多く、皆さんの視線がオパールに注がれ、中には写真を撮る人も…。 大都会のまん中、ゆったりした空間で贅沢な時間を過ごす。地下鉄で永田町駅に向かい、会場の都市センターホテルには2時過ぎに到着。 総会ではこの夏の参院選で引退を表明されている全盲で参議院議員の堀 利和代表に引き続き一年間、代表を努めていただくことや、会費の値上げ等を決める。夜、ホテル内のレストランで会食。
(2004.05.23)

 5月22日(土)
 5月22日(土) 午前9時半より千秋ヶ原いこいの森にて「花いっぱいフェア」にオパールと共に参加。お土産にピンクのサルビアをいただく。午後、市民センターでのPCアットホームの例会に出かけ、TさんにパソコンからICレコーダーへのデータのコピーについて教えてもらう。夜、明日からの東京での視覚障害者議員ネット総会の支度をすませ、パソコンで〆切が近づいている雑誌の原稿書きをする。
 ところで午後9時、小泉首相と拉致被害者の子供たちが北朝鮮から帰国。同時に北朝鮮に対して25万ドルの食糧支援と1000万ドル相当の資金供与を約束したという。拉致という国家的誘拐犯に対する身代金と受け止めるむきもある。
(2004.05.22)

 5月21日(金)
  仕事。

  ・・・・・春の虫 タンポポで仕事中・・・・・・
(2004.05.21)

 5月20日(木)
 地元の小学校の子供たちの3年越しの願いが叶い、今春設置
された音響信号機の点検のため、午後2時過ぎに警察や地域振興局と現地で立会い(写真)。私の家の近くのそこは郊外の商業地として近年、急速に開発が進み、交通量も激増した所。私も以前から何回となく設置要望をしてきた。音響式が設置された3箇所のうちの1箇所は昨年、私が盲導犬のオパールと一緒に左折してきた車にはねられた所でもある。小雨の中を、雑踏の中の音の大きさや種類を耳で確認して歩いた。資格に障害をもつ者が安心して、安全に外出できる環境の整備のために、これからも努力したい。
(2004.05.20)

5月19日(水)
 日中、仕事の合間をみて頼まれていた雑誌の原稿資料を整理
。夜、割烹煉瓦亭で先日のスプリングラン実行委員慰労会をする。16人ほどのスタッフが集まり、大会を振り返りお互いの労をねぎらった(写真)。今回のスプリングランは第10回の記念大会とあって参加者も多かったが、マラソンの宇佐美先生やNSV
Aの皆さんの特別指導、それに視覚障害者の和太鼓チームの江陵会をはじめとするたくさんのアトラクションなど、盛りだくさんのタイムスケジュール、それに大会途中からの雨などで色々とハプニングも多い大会だったが、スムーズな運営や盛り上がりもあった交流会ができたのは、何よりも中島事務局長を中心としたスタッフのチームワークのお陰だった。それぞれがそれぞれの持ち場をキチンとこなしたからに他ならない。大仕事をやり遂げても飾ることの無い実行委員会の皆さんの笑顔に乾杯 。
(2004.05.19)

5月18日(火)
 民主党の代表選びが急転回している。年金未加入の小沢さん
から岡田さんに切り札が移ったが、小澤さんにしてみれば小泉さんと刺し違えようというところなのか。しかし党のイメージとしては強面の小沢さんよりソフトムードの岡田さんのほうが7月の参院選を戦いやすいと言うところか。いずれにしても今必要
な事は個人的な未加入や未納問題ではなく、未来にわたって持続可能な年金制度作りに対する白熱した議論だ。 
 ところで、ふるさと与板の住民があくまでも三町村合併をもくろむ現町長に対し、今日、2167名分のリコール署名を提出した。三町村合併に対する影響は言うまでもなく、仮に与板町が長岡との合併を模索する方向になれば、長岡市としても本腰を入れて検討を迫られる。 しかし私としてはいずれにしても結論が出るのはこの秋とみているから、今の長岡の6市町村合併議論にそのまま参加するには、かなりハードルが高いように思う。いずれにしても合併議論は流動的になった。
 夜。久しぶりにサックスのレッスン(写真)
(2004.05.18)

 5月17日(月)
連日、国会議員の年金未納未加入問題がマスコミを賑わして
いる。小出しに明るみにされる未払い問題だが、ここに至るまでなぜ気がつかなかったのか、不信感も残るが、それよりも今、年金問題で必要なことは「持続可能な新しい年金制度の確立」と言うことだろう。午後、いくつかの手紙を書き、夜、自宅にて先日のスプリングランの会計整理をする。
(2004.05.17)

 5月16日(日) 
 雨の中、妻にクルマで送ってもらい、平和の森公園近くにある妙宗寺へ。午前11時からの元衆議院議員副議長だった故三宅正一先生の23回忌法要に出席。88人のかつての同士の皆さんがお集まりになり、先生の懿徳を語りつつ親交を深めた。おときの最中に30分ほど抜け出し、事務局のT君と社会福祉センターで開かれる長岡肢体障害者協会の総会に出席して挨拶。控え室では同席の森市長に、この度の与板町のリコール署名の結果を伝えながら、意見交換。簡単な挨拶を終え、1時半に元の会場であるお寺に戻ったが、もう既にお開きとなっていた。2時に帰宅し、今日は思う存分サックスの練習をし、マシンでランニングをする。
(2004.05.16)

 5月15日(土)
 今日は久しぶりの晴れ間の一日。午後からランニングマシンで20分ほど走る。夕方、実家のある与板町へ。この町は古くからの城下町で、かつては信濃川の水路を利用した豪商も何軒かあった。その内のひとつである大坂屋は、清貧で知られる良寛も出入りした大商人。その大坂屋の別荘が今でも大切に保存され町の重要文化財になっている。今年で10回目になると言うその別荘のライトアップがあり、元この町の中学校長を努められたJさんと共に妹夫婦の家でご馳走になりながら歩いて見物。たくさんのボランティアによって運営されており、知り合いの八久母さん、柴木さんらの尺八と琴が奏でられるなか、しばし幽玄の世界にひたる。
 ところで、先月から始まった今の3町村合併議論に反対するグループによって進められてきたY町長に対するリコール署名だが、ちょうど昨日でその活動が終わり、有権者の3分の1にあたる2003人を上回る2170人分が集まり、ほぼリコールが成立することになった。これが成立すればおそらく日本では初めてのケースになると言う。
(2004.05.15)

 5月14日(金)
 小雨にけむる一日。朝、ひとりの患者さんを治療した後、10
時から近所に完成した「グループホーム喜多町」の開所式に出席。この施設は市内の知的障害者のグループホームとしては6番目の施設。一般中古住宅を改造した小さな一軒屋だが、ここで4人の男性が介助者の指導の下で自立した生活を始めることにな
る。施設経営母体である長岡福祉協会の職員の話では、「掃除や洗濯が大変だが、朝寝坊もできるし夕食もゆっくり食べられて嬉しい。」と言う皆さんの感想が報告された。私も挨拶の中で述べたが、「脱施設、地域での自立した生活」はいまや障害者福祉の世界的な流れだ。障害があるが故に隔離された施設で生涯暮らすことは極めて非人間的であり、先の感想を聞いても判るように、ようやく個人の尊厳、人格が少しではあるが取り戻せたことになる。地元町内に住む者のひとりとして彼らを歓迎し、またこの福祉施策の流れを歓迎したい。
 11時からの議会運営委員会出席のため30分で中座し、妻の車でオパールと市役所へ。6月議会の日程などを決め、昼食までの時間に教育部長、下水道管理課、都市政策課長らを訪ね、コミュニティーセンター、バリアフリー施策、バス待合所設置問題などについて意見交換。食堂で昼食をとった後、午後1時に市役所ロビーで平和の森コンサート実行委員会のHさん、Kさんらと会い、公園緑地課、道路管理課を訪ねる。
打ち合わせ後、道路管理課長らと、最近、住民から苦情の出ている「歩道の点字ブロックが消雪パイプの水の流れを阻害している問題」について意見交換。今後、雪国のバリアフリーをすすめるうえでの新たな課題として研究を進めることになった。
 帰宅後、学校不登校問題で何箇所かの県、市の相談窓口に1時間ほど電話で相談。疲れを感じたのでオパールと近所に散歩に出た後、サックスの練習をする。夜はパソコンに向かい原稿書き。
(2004.05.14)

5月13日(木)
   仕事。
(2004.05.13)

5月12日(水)
 仕事の合間をみて、昨日受けた何件かの相談や長岡のバリア
フリーに関する東大からの依頼原稿の資料作りのため、何件か電話で連絡をとる。どうやらいずれの相談もうまくまとまりそうで良かった。 ところでNHKラジオの朝の番組 「朝の随想」の毎週水曜日を担当している長岡市国際交流センター長 羽賀友信氏の話が面白い。彼は昨年、私と同じ町内に引っ越してきて、先日開催した私の市政報告会でも講演していただいている。個人的に自然塾を開き、迷っている子供たちを沙漠に連れて行っては何日も滞在し、その中で何かを発見しようとする活動を何10年も続けている。今日もラジオのイヤホンを耳に差し込んではオパールとの散歩で聞いた。印象に残った言葉を書いておく。「家庭は社会の最小単位であり、そこでの子供との接し方が大切だ。過保護という名のもうひとつの幼児虐待が存在する。」「教育は未来形だ。10年後の人間を育てるために今、頑張っているのだ。」 「子供にとっての大切な三つの要素、それは感じる力、考える力、そして行動する力だ。」 「自尊と互尊。自らを大切にし、自分の存在を確かめることができない者は他人も大切にできない。」 お釈迦様の言った「天上天下 唯我独尊」の本当の意味が理解できたようで、目からうろこが落ちたような気がする。

(2004.05.12)

 5月11日(火)
 仕事。日中、何件かの相談電話を受け、早速対応できるもの
はやり、あとは明日に。ニュースを聞いていると毎日のように年金未払いの国会議員が続々出て、これでは100年の計を図る年金制度改革は図れそうも無いことを実感。我が身にかかる火の粉を振り払うのが精一杯では真の議論はできないだろう。議論の出直しを期待する。
(2004.05.11)

 5月10日(月)
午前中治療院の仕事。昨日のスプリングランの疲れが逆に心地よい。午後1時より所属クラブの会議のため議会へ。6月議会から改選される常任委員会の所属替えの検討など議論。夜、第10回を迎える平和の森コンサート実行委員会。先日おきたばかりの自宅の火災の後始末のために中座した畠山実行委員長を除いて出席した実行委員の皆さんで、応募された記念曲の歌詞の選定をする。二次にわたる審査の結果、応募総数31篇の作品中、緑町の小林さんの作品「こころの中に」が採用された。ペンネームを使った私の作品「青空(love and peace)「」も最後まで残ったが、僅差で準優秀となった。ハラハラしながら審査を見守ったが、おかしな話だが実行委員の一人としては不採用となってホッと一安心。9時半に帰宅し原稿整理。
(2004.05.10)

5月9日(日)
 第10回スプリングランの日。曇り空だが薄日もさすまあまあ
の朝。Mさんと自宅近くのバス停に出かけ、市外から高速バスでみえる参加者を迎えに行き、そのまま貸し切りバスに乗り込み会場である国営越後丘陵公園へ。今年は車椅子や知的障害をもつ方々、それに消防走友会も加わり170名の皆さんが集まり、予
定どおりの10時半に開会、森市長はじめ、公園関係者にもご挨拶頂き、開会式をした後、降り出した雨のため荷物を屋内に移動し、予定より20分ほど遅れてそれぞれのコースに出発。次第に強くなる雨に参加された皆さんが濡れはしないかと心配になる。
私は8キロのマラソンに参加。4年ぶりのコースに、伴走のKさんと眼下の長岡の風景や咲き誇るつつじを眺め、雨にぬれながらも急傾斜のコースを気分よく走る。会場前でのジョークをまじえた宇佐美先生の楽しいランニング指導の後、午後1時より会
場を屋内の暖の館に移し交流会。和太鼓の「江陵会」や養護学校の先生や生徒らで作る「ズマップ」、それに深田バンドらの演奏を聞きながらビールやワインで楽しく昼
食と交流会。3時に終了した後は貸し切りバスで駅前に戻り、新幹線の時間待ちの宇佐美先生やNSVA(日本スポーツボランティアアソシエイション)の皆さんと居酒屋で打ち上げ。ここでも思いのほか、25名ほどの皆さんが集まり、ビールを酌み交わ
しながら懇親会に負けないほどの盛り上がり。実行委員長として10回をひとつの区切りにしようと考えていたのだが、あちこちからたくさんの感謝の声とともに「来年も是非!」との声に心ゆさぶられる。雨にたたられたものの怪我も無く、感動的な大会
にすることができ、これまで様々な形で支援していただいた方々や当日のお手伝いの皆さんも含め、大会成功に向け寝食を忘れて準備を進めてきていただいた実行委員会スタッフの皆さんに心より感謝。
(2004.05.09)

5月8日(金)
 午前中、仕事のあい間を見て明後日に迫ったスプリングラン
の連絡メールを出したり挨拶原稿の下書きなどをする。ここまで来ると細かな点の落ちが気になる。天気も不安定のようで気になる。暇をみて床屋に行き、急遽来院された腰痛の患者さんを治療し、ネクタイも結ばずにタクシーに乗り込み、正午からの畠山さんの葬儀に遅れて出席。ちょうど読経の終わったところで、畠山さんの挨拶だけは聞くことができた。父君の葬儀と自宅の火事が重なって精神的にも大変だと思うのだが、意外と落ち着いた様子で、心のこもった淡々とした挨拶に感動。火葬場から帰り、おときの席で隣に座った元長岡市の収入役のT氏の話では父の死の時にはかなり落ち込んでいたのだが、家事で逆に開き直ったようだとの事。畠山さんも自らそのように言い、父が一から自分で出直せと言っていると思っていると言っておられた。何事でもそうだが物事をどのように受け止めるかで生き方は変わってくるものだとあらためて痛感。笑い声さえ聞こえてくる和やかなおときだった。5時半帰宅。明日東京に帰る娘と夜、家族で夕食に出て帰宅後、またメールで東京や事務局スタッフらと連絡。
(2004.05.08)

 5月7日(金)
 午前中、仕事のあい間を見て明後日に迫ったスプリングラン
の連絡メールを出したり挨拶原稿の下書きなどをする。ここまで来ると細かな点の落ちが気になる。天気も不安定のようで気になる。暇をみて床屋に行き、急遽来院された腰痛の患者さんを治療し、ネクタイも結ばずにタクシーに乗り込み、正午からの畠山さんの葬儀に遅れて出席。ちょうど読経の終わったところで、畠山さんの挨拶だけは聞くことができた。父君の葬儀と自宅の家事が重なって精神的にも大変だと思うのだが、意外と落ち着いた様子で、心のこもった淡々とした挨拶に感動。火葬場から帰
り、おときの席で隣に座った元長岡市の収入役のT氏の話では父の死の時にはかなり落ち込んでいたのだが、家事で逆に開き直ったようだとの事。畠山さんも自らそのように言い、父が一から自分で出直せと言っていると思っていると言っておられた。何事でもそうだが物事をどのように受け止めるかで生き方は変わってくるものだとあらためて痛感。笑い声さえ聞こえてくる和やかなおときだった。5時半帰宅。明日東京に帰る娘と夜、家族で夕食に出て帰宅後、またメールで東京や事務局スタッフらと連絡。
(2004.05.07)

5月6日(木)
 連休明け初日。朝から治療院の仕事も立て込んではいたが、それより終日、NHKや市役所、自動車販売会社、併せて今週末のスプリングラン関係の連絡電話で目の回るような忙しい一日となる。なかでも驚いたのがギタリストのH先生の一件。早朝、父君の悲報の一報を受け、オパールと散歩に出ている間に今度は自宅の火事騒ぎ。私の人生の師であり友人でもあるHさんに一度に来た受難の日でもある。明日は葬儀のおときに着くことになっているが、黒の水引と火事見舞いの紅白の水引を一緒に出す羽目になりそうだ。
 夜7時より今週末に迫ったスプリングランの第5回実行委員会。大詰めに迫った綿密な打ち合わせが進む。娘のSが書いてくれたのぼり旗が好評でよかった。
(2004.05.06)

5月5日(水)
 こどもの日。子供の幸せや福祉、そして権利などについて考える日でもあるのだろうが、時まさに少子化時代。子供自身の権利よりも年金問題や市町村合併問題など、少子化によっておきる様々な高齢者対策のほうに関心が集まっているのは皮肉な話だ。
 今週末のB・フリー スプリングランの最後の追い込みで打ち合わせをしたり、メールでの呼びかけをする。 このところ旅行や行事に出かける機会も多く、暫くぶりでオパールのシャワーをし、抜け替わる毛のブラッシングをする。 久しぶりで色白のオパールに生まれ変わったようで、本人も気持ち良さそう 。
(2004.05.05)

5月4日(月) 
 仕事も議員活動も特別予定の無い一日。一日中雨が降り続き
、落ち着いて物事をするには格好の一日となる。溜まっていたホームページの原稿やメールの返事書きをする。私の実家のある三島郡与板町では今、近郷の三町村での合併議論が進み、それに反対し、長岡市との合併などをすすめようとする町民の間で町長
に対するリコール運動が激しく展開されている。私も当然のことながらふるさとの合併には強い関心をもっており、それなりに研究もしてきた。結果、我田引水ではないが現在、町がすすめようとしている三町村合併には大きな疑問を感じている。日中、何人かの知り合いに電話をしてみた。しかし残念ながら自らの意志とはうらはらに地域やおもだちのしがらみにはかなわず、本音を引き出すのに非常に苦労。町の有権者は6000。リコールが成立するにはその3分の1の2000強が必要だが、前途は極めて多難なようだ。リコールを粉砕しようとする町長派の動きも極めて活発で、5月15日の提出期限を前に町を二分しての署名活動が続いており、陰ながら成功を祈っている。
(2004.05.04)

 4月3日(月)
 午前11時より市立劇場にて長岡市主催の成人式に出席。長岡
は今年2292人が成人を迎えたそうで、会場にはそのうちの1540人が出席。全国的には色々騒がれているこの成人式。当局の様々な工夫や森市長のわかりやすいお話、それに幼稚園児の素晴らしい太鼓の演奏などで、式は一定の盛り上がりもあり、またスムーズな進行だった。20歳を迎えた若者たちの熱気を感じることができた。夕方、近所の焼き肉屋に出かけ、連休で東京から帰ってきた娘と親子水入らずの夕食。
(2004.05.03)

 4月2日(日)  
昨日までの旅行を久しぶりにノンビリと楽しく終え、今朝は5時起きしてスタッフのN君のクルマで南魚沼郡の川口町へ。私は初めて参加するのだが、地元在住のMさんが主催する毎年恒例の「川口自然塾」に、マラソンの宇佐美さんも参加されるというので、来週に迫ったスプリングランの打ち合わせも兼ねて出かける。わらじを履いてN君と一緒に2キロほどクロスカントリー。生まれて初めてわらじを履いて走ってみたが、小川の水にわらじを履いたまま足をつけると、足にピッタリ馴染んでとても歩きやすいのに驚く。しかもどんな山道でも滑らず歩きやすく、砂利道も痛くない。自然塾では宇佐美先生のほか、金子美鈴の詩の朗読で全国を歩いている小口ゆいさんの朗読とお話。その他、山野草やスポーツのお話など、盛りだくさんの講話の後、冷たいビールとバーベキューで懇親会。手作りの料理や山菜に舌づつみを打ちながら、小口さんや宇佐美さんらとお話させていただき、充実した時間を過ごす。町おこしに色んなアイデアで挑戦しておられるMさんの存在に感謝。6月上旬の気温と言われる26℃の暑さのなか、日焼けして4時帰宅。
(2004.05.02)

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