PC履歴書 〜 歴史編 〜
私のいままでのPC履歴です。
最終更新日2003/03/19
歴史解説 当時の様子
 中学1年生

 生まれて初めて触ったPCは、ゴミ捨て場に捨ててあったSONYのMSX、HB-101でした。
赤い筐体の初期型MSXで、RAMは確か32KB、もちろんディスク装置などなく、外部記憶メディアとしてカセットテープを利用していました。はじめは何もわからず、取りあえず映像ケーブルと電源を接続してみました。
 画面にはMSX BASIC Version 1.0の表示とコピーライト表示が数行表示され、「OK」と出ていました。当時はなにも知らなかったのでとりあえずキーボードから「1+1」と入力しました。
当然エラーメッセージ「Syntax error」が出るわけですが、エラー表示ということと、拾って
きたパソコンということで故障していると思い(バカですね)、あまり使用していませんでした。

BASICの文法もわかりませんし、入力した文字が画面に出るのを面白がる程度に、使っていました。当然、ソフトもありませんし。
MSX-BASIC起動の様子
テキストのみの表示で、非常にシンプルです。

 この後、学校でちょっとパソコンのことに詳しい人がいて、MSX・FANという雑誌の別冊付録であるスーパープログラムコレクションという本を借りました。
 この本には投稿作品のプログラムリストが多数掲載されており、当時夢中になって入力したものでした。しかしそこはPC初心者。キー配列がわかるはずもなく、今なら数分で打ち終わるプログラムリストを半日〜1日ずっとキーボードとにらめっこで苦労して入力していました。

 やっと打ち終わったと思い、RUNコマンドで実行しますがSyntax errorの嵐・・・。
 今なら各命令を理解しながら入力しますのでタイプミスは少ないですが当時は入力している命令の意味も知らずにただひたすら「英文」として入力していたためもあると思います。英語も苦手ですし。
Syntax error
BASIC習得者が必ずはじめに遭遇するエラー。

 ディスク装置が付いていないMSXのプログラムの保存には、CSAVE(CasetteSAVE)命令を使い、プログラムデータを音声信号としてカセットテープに記録します。

 保存に使うのは普通のラジカセ、音楽用カセットテープ、ラジカセとMSXを繋ぐ専用ケーブルでOKです。データを記録する専用のデータレコーダーといったものもありますが、高価ですのであまり普及していません。
 速度は確か300bpsと1200bpsの2種類で、1200bpsは早いですが途中でI/O errorになることが多く、ラジカセの調整がシビアでした。
 私は、当時まったく普及していなかったMD(MiniDisc)をなぜか所有していたので、MDにデータ信号を記録することを思いつきました。
 当然、データエラーは1200bpsでも皆無になりました。
 デジタルデータを一度アナログに変換し、またデジタルで記録してアナログで復調するというなんとも笑えない効率の悪い記録方法です。
音声データレコーダとデータケーブル
1200bpsは信頼性が低く、極力使わなかった。

 そんなことを繰り返しているうちに本屋でMSX・FANという雑誌が売っているのを見かけました。MSX・FANにはディスクが付録として付いていて、主に投稿作品やイラストコーナー、音楽集などがありました。この雑誌でMSX2やMSX2+、MSX TurboRなどの規格があることを知りました。

 付録ディスクは私の環境では使えないですが、とりあえず本は買ってみてディスクを飾って日の目を見るのを待ってみることにしました。
 本の価格はなんと 1,980円もしましたが、他にMSX雑誌もありませんし、ディスクも2枚も付いているので、おためしということで自分を納得させました。
MSX・FAN誌と付録ディスク
付録ディスク起動時のBGMが毎号楽しみでした。

 そろそろノーマルMSXに限界を感じていたころに、以前MSXを拾った場所にまたSONYのMSXXで、HB-F1XVというSONYの中では最上位機種が捨ててあるではないですか!

 これはMSX2+という上位規格で、2DDのディスクドライブが内蔵されていてFM音源まで搭載されています!!ご丁寧にプリンタまで一緒に捨ててある始末。これは持ってかえる以外ないですね。なんとももったいないことをする人がいるものです。

 早まる気持ちを押さえつつ自宅に帰り、チェックもせずにいきなり電源を入れます。
 まず感動したのがMSXロゴアニメーション。左右からスッっとMSXロゴが現れ、拡張されたビープ音で「ピンポン!」と鳴った時はもう驚きの連続でした。
 いままでの起動時は単純なテキストで「MSX SYSTEM Version 1.0」とか青い画面で表示されていただけですので感動もひとしおです。

 早速部屋に飾ってあったMSX・FANのディスクをFDDにセットし、電源投入。

 256色の美しい画面といくつもの音が重なり合うFM音源の綺麗なBGM・・・。

 ・・・声が出ませんでした。

 MSXでもこんなきれいな画面が出るのかということと、FM音源を使用した迫力のサウンド。今までPSG3声でしたので、FM6音+リズム+PSG3声は差がありすぎます。

 このあと毎日のように、このMSXで付録ディスクのゲームや音楽集、サンプルプログラムの解析をやっていました。

今まで自分で作りためたノーマルMSXでの作品もディスクに落としていき、ディスクアクセスの早さに驚いていました。驚きの連続です。
SONY HB-F1XVとプリンタ
初のFDD搭載マシンで大喜び。
MSX・FAN起動画面 (C)徳間書店インターメディア
MSXでこんな綺麗な画面が表示されるなんて。

 ちょうどこのころから「自分でもプログラムを組んでゲームを作りたい!」という野望を持ち出しました。MSX・FANを見ると自分よりも年下の人たちがすばらしいゲームを作っています。

 プログラムを始めるには言語から、と思いましたがあいにく拾い物(苦笑)のパソコンのためマニュアルがありません。近所のSONYショップでマニュアル一式(3冊だったと思います)を取り寄せ、(コピー本でしたが)1命令ずつ理解して勉強してました。

 学校にもマニュアルを持っていき、学校の授業はそっちのけで1時間目から6時間目までフルに使ってBASICの勉強をしていました。今考えてもあのころはかなりプログラムの学習という観点から見ると充実していたと思います。今まで意味不明だった命令がみるみるわかるのですから当然ですね。若さも手伝ってか言語習得は順調に進みました。

 半年ほどBASICを独学で勉強して、やっと人並み以下のプログラムを作れるようになりました。始めは他の人のプログラムを解析・改造して理解していきました。この方法は間違っていなかったと今でも思います。言語が変わっても(BASIC→C言語→アセンブラ)このやりかたでやってきました。

 ここで大きな壁にぶちあたりました。そうです。BASICC修得者がかならずぶちあたる壁、そうです「マシン語」です。なにやらわけのわからない英語と数字でなぜプログラムが動くの?リストはどこなの?この英語と数字を理解して書いてるの?と当時は疑問だらけでした。
 中でも、一番訳がわからなかったのがコメント文にマシン語を埋めこむもの。
 今考えればなんてことはないんですが、マシン語がわからなかった当時の自分には開発者が神に見えました。なんででたらめな文字をコメントに入れて正しくプログラムが動くの?

 雑誌を見ても「マシン語がわかるひと向けのマシン語の記事」しかなく、まったくの初心者への記事はありませんでした。マシン語初心者への解説は、今考えてみるとかなり大変だと思いますので無理はないでしょう。言語以前のコンピュータの動作原理まで理解しないと言語習得できないですからね。マシン語はかなり取っ付きにくいと思います。しかし、さわりの部分を理解してしまえば、あとはそのコンピュータ個々の機能(CPU)の理解を深めるだけですので、言語依存性という観点で考えると、ハードルは低いようにも感じます。

 マシン語が分かれば自作命令の追加、FM音源ドライバの作成、ビデオチップ操作(これはVDP命令とかでもできますが)、独自ディスク操作などなど、BASICではできない、一線を超えた処理がなんでもこなせてしまいます。それになによりもうれしいのはZ80上での低速MSX-BASICが高速化されることでしょう。

 簡単なマシン語(コード部数バイト)が手元にあり、入力して実行して動作まで確認しましたたがなぜ動くかさっぱり意味不明です。かなりマシン語には悩まされましたが自分にはマシン語はまだ無理!と判断し、不本意ながらBASICに精を出すことにしました。
 でも当時ずっとマシン語使えたらカッコイイな!とは思ってました。

 この頃には、同時にカシオのワープロも使用していましたので、タイプ速度は初期のころと比べてかなり早くなってました。タッチタイピングもできるようになりました。
SONYとPanasonicのMSX-BASICマニュアル
初心者にもわかりやすく解説してあります。
「マシン語」入力中の様子
16進数の羅列で、当時は正直意味不明でした。

 中学3年になり、とうとう学校にもパソコンが導入されることになりました。
当時(1993年頃)はまだコンピュータが各学校に普及しておらず(というか世間に普及していなかった)まわりの学校でもうちの学校が一番早かったのを覚えています。

 機種はNECのPC-9821Ce2でした。全部で40〜50台でサーバが1台でしょうか。
 かなり前の話なのでよく覚えていませんがイーサネットかなにかが構築されており、各クライアントの画面をサーバで見ることができ、サーバでの操作で一斉に1クライアントの画面をすべてのクライアントに写すことができるようなシステムでした。OSはWindows 3.1で、MS-DOSのソフトと共存させて使用していました。ソフトはスズキ教育ソフトのHyper Cubeという統合ソフトをメインで使用していました。簡単なワープロ、図形処理、表計算、データベースが入っていました。
 ワープロと図形処理はみんな使ってましたがデータベースは中学生には難解だったのかだれも使用していませんでした(もちろん担当教師も理解していません)。ちなににデータベースはエクセルのような感じのただの表計算です。

 今改めて考えてみると、学校には専門の技術者がおらず、ただマニュアル通りに指導をしていたように思います。しかしコンピュータ教育が始まろうとしていた時期なので人員確保が出来ないのは仕方ないことです。私の学区ではじめてPCを導入したので、手探り状態での指導になるのもしょうがないことでしょう。
 所詮生徒にとってファミコンの延長線上でしかないPCはソリティアやマインスイーパー専用機となり、家にPC98を所有している人は、自宅からゲーム(Bio100%のSuper Depthという軍艦ゲーム)などをもってきて遊んだりしていました。

 しかし何といっても記憶に残っているのはシステム障害でしょう。Windows3.1を使用した方ならおわかりかと思いますが、このOSはすぐにシステムが立ちあがらなくなる。
 Windows95以降は、そのまま電源を落としてしまっても大抵立ちあがりますが、Windows3.1の場合はかなりの確立でシステムファイルが破損し、起動しなくなります。私の学校は30台ほどこのマシンがありましたが、多いときには20台ほどのマシンがダウンした状態になっていました。週に1度ほど、出入り業者が再インストールに来るのですが、それを凌ぐ勢いで壊しまくります。まぁディスクのアクセス中に電源切るんですから、壊れるのも当然ですね。

 学校ならではのこともあります。マウスのボールが丸くてよく転がるので裏から外して持って帰る者が続出してかなり困ってました。でもなぜか次の週になるとちゃんと直っていました。恐らく出入り業者が一生懸命交換していたのでしょうね。

 私とその悪友はと言うとご多分に漏れずちゃっかりディスプレイのケーブルに付いていたTDK製のノイズ除去用コアを持って帰りました。マウスボールは無くなると機能しませんが、ノイズ除去コアは無くてもさほど問題はないのでまあよしとしましょう(汗)。普通の中学生らしくマウスのボールを持って帰らずにノイズフィルタを持ってかえるところが今考えるとなんというか・・・。

 で、PC98を触ってみた実感は、「なんとなく温かみがないな」というところでした。
 MSXで個人が作った温かみがあるプログラムや投稿作品に囲まれていた自分はPC98の事務アプリケーションがしっかりしすぎてて堅すぎました。

 CPUも高速32Bitでi486の16MHz、PCM音源+86音源、なんとHDD付き(160MB)と至れり尽せりのゴージャス仕様ですがあまり魅力は感じませんでした。これだったらうちのXV君のほうがよっぽどいいわ!と思いあまり学校ではPCは使いませんでした。

 なんと言っても受け入れ難かったのはGUIです。「マウス」というものに始めは拒否反応があり、マウスをクリックしてどうこう、という動作にどうしても慣れません。

 「キーボードで確実にコマンドを打って実行」というスタイルが定着していた私にとってショックは大きかったです。
 学校のPC98は幸いN88BASICも入っていましたのでそちらで遊んでいたことが多かったです。みんなのディスプレイはWindowsのカラフルな色(配色「パステル」でした)なのに自分のところは男らしい黒のDOS画面でしたのでかなり目立ったと思います。

 しかしやはりMSXのZ80とは比較にならないほどCPUが高速で、FOR〜NEXTループをやってみて処理の早さに感動したりしていました。でもPC98を使おう!という考えはなく、MSXがこれぐらい処理速度が速かったらなあといったひねくれた考えを持っていました。
NEC PC-9821Ce2
当時憧れのマシンでした。
スズキ教育ソフトの「統合ソフトHyperCube2」
ワープロ、図形描画、DBの機能があります。
Microsoft Windows 3.1
もちろん前身である Windows3.0や1.0なんかもあります。

 このころ、ちょうどMSX TurboR(CPUが16BitでMSX最上位機種)が欲しくなってきたので、故日本マイコン流通センターに電話してみたところ、Panasonic FS-A1GTとA1STの在庫があるとのこと。中古で、各49,800円と59,800円と聞き、まったく手が出ないものと思いきっぱり諦めました。ちなみに同時期にHB-F1XVも39,800円で売られていましたので、ゴミ捨て場ではかなり良い拾い物をしたなと当時思いました。

 高校に入学し、悪友がNEC製の画期的なマルチメディアパソコン、PC9821Cxを購入しました。98multi CanBeの愛称で親しまれたこのPCはかなり発売時期が長く(1年ぐらい)製品として完成してたものなのだと今でも思ってます。
 先ほどの説明であった私の学校に納品されたPC9821Ceはいちおうマルチメディアパソコンという名目でしたがマルチメディア処理(当時は動画、PCM処理のことを指していたと思います)はギリギリOKというラインでしたので、このCanBeから本格的に行えるようになったように思います。

 値段もかなり凄まじかったですが(確か当時49万円ぐらいだったと思います)テレビチューナー&キャプチャーボード、HDD 540MB、CPU i486SX 33MHz、メモリ8MBと、価格を考えても満足の感がありました。

 悪友がなぜそんなに高価なPCを買えたかというと、親がちょうど学校にPCを納品した会社に勤めており、(私の地元では大手のOA会社です)安く購入できたとのこと。

 さっそく見に行ったのですがすごい、すごすぎる。なにもかもに感動。
 まずグラフィックの美しさ。DOSでも256色×640×400ドットが映し出す美しいグラフィック。FM音源が奏でる多重和音のハーモニー。テレビチューナー内蔵でテレビも見られる。CDだって聴ける。
 Windows 3.1に独自のランチャーを組み込み使いにくいWindows 3.1を見事にカバー等、当時のNECは技術(やる気?)がありました。現在は他社同様のアセンブリメーカーに成り下がってしまい、とても残念です。

 悪友はDOSの知識はありませんでしたので友達のPCは、MSX-DOSで得た知識で私がメンテナンスします。AUTOEXEC.BATの設定やCONFIG.SYSの設定はここでマスターしました。
MSX TurboR Panasonic FS-A1GT
家庭用テレビに接続して画面を表示します。
NEC CanBe 搭載の「98ランチ」
独自開発のランチャーで、ボタンを押して簡単操作。

 このころよくやっていたゲームはコンパイルのディスクステーションやTAKERU(パソコンソフト自動販売機です)でのFM音楽集などでした。フリーのFMPというドライバも使ってました。

 ディスクステーションというのは本屋で発売されているディスクマガジンで、1,980円の低価格でフロッピーが3枚付いていました。私はディスクステーションのアットホームな雰囲気が好きで(MSXライクです)このシリーズが大好きでした。(実はディスクステーションはMSXにもあります)しかし最後の方は売上が伸びず、新規開発よりもリメイクの割合が高くなったり、OSがWindows 95+DirectXへ移ってしまったころから徐々に衰退していき、いつのまにか私も買わなくなってしまいました。今遊んでみても過去のゲームはすばらしいと思います。

 TAKERUというのは全国のパソコンショップに設置された自動販売機で、株式会社ブラザーが運営しているパソコンソフト自動販売システムのことです。TAKERUデータセンターと当時最新技術のISDN回線で結び、最新ソフトを自動販売機に随時配信、利用者は画面にタッチしながら希望のソフトを選択し、代金を投入するとディスクが排出され、備え付けのFDDへ入れると自動的にソフトが出来あがるという画期的なシステムでした。マニュアルはレーザープリンタで印刷していました。

 私は暇があればTAKERUに行っていたので何度かトラブルに見舞われたことがあります。よくあるトラブルがプリンタの「紙詰まり」「トナー切れ」「紙切れ」でしょうか。黒バックに、「店員をお呼び下さい」と表示があるので店員を呼ぶと、本体下部のドアを開けプリンタをメンテします。メンテ完了時に排紙チェックをしないので数枚出すとまた紙がくしゃくしゃになり「店員をお呼びください」。プリンタのメンテナンスは大丈夫なのでしょうか?ちなみにブラザーという会社はプリンターも製造していますが、TAKERUに入ってたプリンタはEPSON製のものでした(型番は忘れました)。

 次に多かったのがシステムのハングアップです。
 これはどうしようもありません。メイン画面で固まっています。店員を呼び、システムリセットをしてもらいます。どうしても店員がつかまらなかった時が一度だけあり、そのときは販売機の裏の電源コードを抜いて対処しました。システムはPCを使用しており、1度だけ起動画面を見たことがありますが、DOS/VマシンのMS-DOS Version5.0のように見えました。
販売されているソフトの方はと言いますと、市販ソフトの再販物から同人ソフトと幅広い取り扱いがありました。
 自分もいつかはここでソフトを発売しよう!と思っていたらいつのまにか無くなってしまいました。
 どうやら時代がフロッピーから大容量CD-ROMへ移ったのが原因のようです。
 私はハッキリいって、最近発売されている画像&音声ベタデータでうめつくされている大容量CDよりもFD1枚にどれだけ詰められるか?データの効率化!を追求していた昔のソフトの方が好きです。
COMPILE DiscStation (C)COMPILE
株式会社コンパイルは残念ながら倒産してしまいました。
ブラザー工業「ソフトベンダーTAKERU」
一見派手なATMのようです。結構大型です。

 こんなことをやっているうちに、学校の友達からパソコン通信というものを教えてもらいました。いままで自分のまわりだけでやっていた情報交換の場が全国に広がるなんてすばらしい!フリーソフトの量もハンパじゃない。チャットや電子メールだってできる!
 もう電話代なんて忘れてじゃんじゃん遠くのネットにつないだりしてました。
 電話代は最大で3万近く行ったときもありました。・・・両親には迷惑かけました(汗)ごめんなさい。しかし、上には上がいて、月15万いってしまい、電話を止められてしまった友人もいました。私は、学生でお金がありませんでしたので当時大手のニフティーサーブ(という商業ネット)にはつなげる余裕などなく、もっぱら草の根BBSめぐりをしました。

 生まれて初めての接続は、東京03区域の「葛西情報研究所」というところでした。
 私が始めたころはちょうどパソコン通信の全盛期だったらしく、会員は1000人を超え、専用回線も5〜6本ありました。
 当時は私も一生懸命、みなさんと一緒に連日NTTに献金したものでした。しかしその時に得たものは大きいと思います。何件かBBSをまわってみてやはり思うのが「自分もBBSを開きたい!」という野望です。MSXのときに果たせなかったプログラマデビューをここで果たしたい!といった感じでしょうか。

 まず、開局に当たり一番重要である資金がありません。

 自宅の回線を開放してしまってもいいのですが24時間はさすがに無理ですし、自分も他の局と通信したい。となると専用線が必要になりますが当時高校生の私はそんなに経済力はありません。ホストマシン、モデム、プログラムはなんとかなりそうですが回線はどうしても・・・。
 このような話をいつも行きつけのパソコンショップの店長に話すと二つ返事で
「キミがSYSOPしてくれるならやってもいいよ!」と言ってくれました。
 SYSOPとはシステムオペレータ、最高権利者(管理者)です。今考えたらよく高校生の私に店の信用問題にもなるBBS運営をさせてくれたとつくづく感じます。

 さて、店長から許可が下りたので早速準備にかかります。
 回線は店長がNTTに申請してくれたのでしばらくすると開通します。(開通資金3〜4万円)
 次に重要なホストマシンの選定です。いろいろ事情があり、決まったマシンはPC9821Cs2になりました。仕入れ金額68,000円。
 もうこの時点で儲けが発生しない支出が10万円を超えてしまいました。
 これ以外にも月次運営費(回線使用料・電気代等)がこれから毎月かかります。
 店長は「大丈夫、大丈夫」と言いますが高校生の身分ながら、「大丈夫でしょうか?」と何度も聞いてしまいました。
 内蔵のRS-232Cポートは低速なので高速RS-232Cボードも必要です。これは6,000円ほどでMicrocore製のMC-RS98を購入。
 ホストプログラムは当時多数リリースされていましたが、フリーソフトで大きなシェアがあったKT-BBSを普段使いなれていたという理由もあり導入。
これは本当によく出来たソフトなのに無料です。有料でも良いぐらいです。
 通信の核となるモデムですが、安定性で定評があるサン電子のSUNTAC 14,400bpsのモデムを使用しました。これはお客様からの買取品を使用したので安くあがりました。

 まず、マシンのHDをフォーマット。プレインストールされているWindows 3.1など不要です。
 次に内蔵デバイスの設定。余計なサウンド機能やIRQを消費する物を極力切り離します。
 MS-DOS Vesion 6.2のインストール。問題無く完了。
 高速RS-232Cボードのセット。ただ挿すだけです。
 KT-BBSプログラムのインストール。手順通りに行います。
 CONFIG.SYSの最適化。システムを最適化します。FILESとBUFFERSは多めに。
 ディスクキャッシュの設定。読み込みキャッシュは最大限で、書き込みキャッシュはOFFにします。
 モデムの設定。現在のようにドライバはありませんのでATXコマンドを直接記述し、好みの動作条件に設定します。サン電子のモデムは設定項目が細かく、ホストプログラム向きです。他にも、今は元気がないですがaiwaのモデムも定評がありました。

 以上の設定をして取りあえず電源ON!いよいよ火入れ接続試験に入ります。

 回線はまだ開通していませんので身内だけでナイショでお店のFAX回線を閉店後に切り替えて運営します。今考えるとなんと豪快なことでしょう。実際、夜中にFAXらしき通信の着信があったログが幾度となく残っていましたし。

 接続試験はなんと一発でOK!かなり感動物です。

 今振り返って見ると最盛期は1997年頃、回線は2回線でいつもいっぱい、日本全国から口コミや宣伝文などでネットワーカーが集まってきてくれ、かなり活気がありました。会員数は300名弱に収まりましたが、規模的には中の上位だったと思います。オフ会も何度か開催され、みなさんのおかげでかなり楽しい時期を過ごさせてもらいました。

 気づくとインターネットの普及とパソコン通信の衰退により除々に参加メンバーは減っていき、また書き込みもなくなり、いつの間にかアクセスがほとんど無い寂しいBBSになっていました。

・・・そして6年ほど経った今も細々と運営してます。

 現在もショップ店頭の片隅にひっそりと置かれているホストコンピュータ。
 いつあるかわからない着信をひたすら待つ毎日。さぞ暇なことでしょう。

 かつての最盛期は近所の会員さんが直接ホストコンピュータ横のコンソールマシンを触りにきてくれたり、お店でPCを購入して頂いたお客様の登録をしたりとがんばってくれました。

 今後、時間ができたときにTelnetに対応させてInternetに接続しようと思っています。
MS-DOS用通信ソフト KmTermX
エスケープシーケンスを使用してカラフルな画面を作ります。
aiwa PV-BF144 と サン電子 MS288EF
外付けのアナログモデムを見たことがない方もいるのでは?
パソコン通信ホストマシン
ホストマシンといっても普通のPCと全く同じです。

 こんなことをしているうちに高校生活が終わりに近づき、いよいよ進路を決める時期になってしまいました。私はコンピュータ系かカメラマン(ビデオのほうです)になるかかなり迷いましたが、高校の進路指導員が「これからはコンピュータが伸びるからそちらにしなさい」と言われて最終決断をしました。
 当時はITバブル?真っ只中だったのでコンピュータ系のほうが圧倒的に求人も多かったです。ビデオ撮影は趣味に留めておくことにしました。

 そして東京の某ゲームプログラム系専門学校に入学しました。

 そこでは、ゲームプログラムが作りやすいと言われているPC98は使用せず、DOS/V機を使用しての授業です。使いなれたPC98からはじめてのDOS/V機への環境移行でしたが、DOSを使用していたこともあり、特に問題はなくスムーズに移行できました。

 授業では、1年次はC言語やアセンブラがメインです。始めはまったくさっぱりわかりません。正直辛いです。
 自分で悩んでても全然わかりません。初年度の夏休みまで全然まったくさっぱりです。しかし、友人が出来てからは友人と競うようにお互いのわからないところをぶつけあったのでどんどん上達していきました。私がCのメインルーチンとアセンブラプログラムの基幹部分を開発しコーディングを行い、友人が更にそれを高速化・最適化・バグFix(アセンブラでは骨が折れる作業です)という配分で行いました。

 気づくとMS-DOSで1つのゲームが出来あがってました。
 Mega Sladeというカードゲームです。グラフィックは友達の絵がうまい子に頼んで書いてもらいましたのでなかなかな物です。詳しいことの言及はここでは避けますがまあ学生レベルではぼちぼちといったところだと思います。

 2年になり、まわりはWindows 95+DirectXでのプログラムをやっています。しかし頭が堅い私と友人はDOSのアセンブラばかりやっていたので周りに取り残されてしまいました。まわりは既にDirect3Dでポリゴンがぐりぐり動いていたり、DirectPlayでネット対応ゲームを付くっています。

 私達の仲間は完全に2D屋になってしまいました。

 もともと私はこの文章のずーーーーっと上にも書いた通り勉強は嫌いですし、中学の基礎の勉強も高校の数学英語もほとんどやりませんでしたのでベクトルやsin、cos、tanなどは意味不明です。覚えようとも思いましたがやはりここでも挫折です。今も挫折したままのダメプログラマになってしまいました。

 いいわいいわで専門学校を卒業後はコンピュータ系の会社に就職。

 某次世代携帯電話のサーバー側顧客管理システムを担当した後、現在某企業内でWindows上のDLLやアプリケーション開発、ハードウェアメンテナンス、サーバ構築、ネットワーク整備などをやってます。いわゆる雑用係りですか。なんでも屋です。

 今の仕事が自分にはしっくりきます。どうやらサーバ系よりも規模が小さいPC系のほうが居心地がいいようです。

 子供のころから、買った電化製品は親の目を盗んで必ず一度中をあけて原理を見てみないと気が済まないといった習性がありましたので、自分で全体像を把握できないサーバ系開発は気分が悪いのでしょうか?

 現在は会社の空き時間をみつけてはWindowsのDirectXライブラリを作成しつつ、マイコンプログラムなんかにもちょこちょこ頭をつっこんでいるところです。

 プログラムはここまで学習して完璧!といったところがないので奥が深いですね。
 まだまだへっぽこプログラマなので、なんとかソースを人様にお見せしても恥ずかしくないように、日々精進していこうと心に誓うのでした・・・。 ・・・といっても明日忘れてたり。(ボソ


 どうしようもない遍歴でしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

専門学校の授業中の様子
まじめに勉強してるやつはいるか!?
Vz Editor for MS-DOS
このエディタを使ってプログラムを書きます。
自作ゲーム Cloudia ゲーム中画面
とりあえず動きますが初期のころはよくハングアップしました。
自作ゲーム Mega Slade キャラクタ選択画面
今改めてプログラムを見なおすとほんとにひどいソースです。