湯屋の木拾い

銭湯の入湯料は150年以上もの期間、大人六文、子ども四文で変わらなかった。町奉行の行政指導らしい。これでは湯屋の経営は苦しいので。湯屋の従業員は燃えそうなものを暇さえあれば歩いて探していたのです。江戸の町にゴミがなかったのは、このように拾う業者が巡回していたからなんですね。


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