日光東照宮の彫刻
日光に修学旅行に訪れるとクラスの記念写真を撮るのは決まって陽明門ですね。
かつては1日見ていても飽きないから「日暮門」といわれたそうですよ。
それでは、もう一度じっくり、日が暮れるまで陽明門の彫刻を見てみましょうか。
聖人・賢人
東照宮の彫刻の特徴の一つは、陽明門と唐門にのみ見られる人物彫刻です。
陽明門には156人、唐門には64人の人物が彫刻されています。
陽明門に向かって正面の下層の組物間は、聖賢の彫刻です。
聖賢とは、儒教で理想とされる人物のことですよ。
周公聴訴 (しゅうこうちょうそ) 古代中国の政治家の周公は、髪を洗っている時でも、人が訪ねてくれば中断して訴えに耳を傾けたといわれている。 周公は、武王を助けて殷王を滅ぼし、内政を治め天下を平定。武王の死後、成王を補佐し、制度・冠婚葬祭などの儀を制した人物。 |
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周公の右側には、訴人。 |
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孔子観河(こうしかんが) 周公の左側の彫刻。孔子が弟子とともに川の流れを見つめて感慨にふけっている様子。 |
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「観画」 絵の鑑賞 君主の四芸(為政者に求められた教養)といわれた「琴棋書画(きんきしょが)の遊」のひとつなんです。 |
展書(習字) 君主の四芸といわれた「琴棋書画(きんきしょが)の遊」のひとつ。 |
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仙人 陽明門背面(北側)にある彫刻はすべて道教で理想とされる人物・仙人の彫刻となっています。 徳川家康の魂が、仙人のように不老不死で幕藩体制の守護をしつづけることを願ってのことでしょうか。 |
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鯉に乗った琴高仙人(きんこうせんにん) この仙人は、周の時代の人で、琴の名手。長寿の仙術を行って800年も生きたと言われています。ある時、龍の子を捕らえて見せる、と弟子たちに約束して川の中に入り、約束の日に大きな鯉に乗って現れ、人々を感嘆させました。波間から姿を表した瞬間を彫刻しています。 |
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鉄拐仙人 (てっかいせんにん) 口から自分の魂をとばして他の人に乗り移ることができたといわれる。 ある時、老君に会うとして、体を置いて魂だけ行きますが、その際弟子に体の番をさせますが、七日経っても帰ってこなければ体を焼いてもよいと申し付けました。ところが六日目に弟子の母親が死んでしまい、家に帰るため鉄拐の体を焼いて帰ってしまいます。七日目に帰ってきた鉄拐、戻る体が焼かれて困ってしまいます。そんなところに道端で乞食が飢えて倒れていました。その乞食の体に入ってやっと再生できました。 |
子供の遊び場
陽明門の上層高欄の彫刻は「唐子の知恵遊び」と呼ばれ、ジャンケン・竹馬・鬼ごっこなど、
様々な子供の遊びが主題になっています。
蝶捕り どこに蝶がいるのでしょうか? |
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竹馬遊び |
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司馬温公の瓶割(かめわり) |
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犬と散歩 |
唐子って何ですか?ここに描かれている子供たちは日本人ではないみたいですが。
唐子とは中国風の髪形や装いをした子供をいいます。中国の唐の時代には子供たちを描いた図柄が盛んに描かれ、日本にも伝わりました。特に多くの男子を描いた図柄は、多産多子、子孫繁栄(徳川家も含む)につながるとも考えら縁起がいいものと考えられます。花が咲き、鳥が歌う豊かな自然の中で、子供達は楽しく遊んでいます。 |
なぜ、陽明門に、遊んでいる子供の彫刻があるのでしょう?
戦国時代には、子供達は安心して遊ぶことが出来なかったでしょう。 子供たちが遊んでいる姿は「平和」を表していますし、それは「徳川家康 (=ここでは祭神の東照大権現)による平和」であることを暗示しているのかもしれませんね。 |
参考文献
高藤晴俊 『日光東照宮の謎』(講談社)1996年
高藤晴俊 『図説社寺建築の彫刻』(東京美術)1999年
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