下肥を運ぶ農民
(『世渡風俗図会』)

肥桶は8分目で30リットル、2つで60リットル。重いし、臭いけど。 

下肥を運ぶ農民

 昭和20年代までは、下肥(つまり人間の排泄物!)が最も重要な肥料でした。下肥にはチッソ(N=葉や茎を育てます)リン(P=花や実を育てます)が豊富に含まれていました。都市の最大の廃棄物は人間の排泄する糞尿ですが、これが農業生産のための最も重要な肥料として売買の対象になっていたんですね。江戸の長屋では、共同トイレを使っていましたが、その糞尿を農家に売る代金は、大家が管理人として長屋の所有者からもらう給金より多かったそうです。農家から野菜や漬け物を受け取る場合もありました。


大根を持って現物交換で下肥を集める農民
          (『金草蛙』

江戸は大規模な肥料工場だったのです。しかもこの肥料は長く使っても化学肥料のように副作用がないんですね。できあがった穀物や野菜は、消費者の口に入って、再び肥料の原料となるリサイクルが出来上がっていたわけです。

この他にも都市生活ででるさまざまなゴミが農村に肥料として熱心に回収された。魚河岸から出る魚のクズ、手工業の産業廃棄物(油粕・酒粕・豆腐粕など)、さらに髪結床からでる人髪や、ドブ泥、煤(すす)にいたる全ての有機物が肥料として集められていました。


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