■ 人間定年制

人の命を軽く見た、簡単に人を殺してしまう事件が相変わらず
続いている。

最近になって、学生時代に読んだ筒井康隆の短編小説を思い出した。 読み終えて、ひどく後味の悪い思いをした事を覚えている。

本棚を探してみた、あった。
「メタモルフォセス群島」という名の短編集の中の「定年食」という
題の小説だ。

小説の内容は定年退職した主人を、妻子をはじめとする一族郎党が食べてしまう話である。それがこの小説の社会での当たり前の行為で、主人も覚悟はついている。

皆口々に「長い間、ご苦労様でした。有難う御座いました。」とねぎらいながら、殺して食ってしまうのである。

人間の寿命は延びている、医学の発達のお陰だ。
昔不治の病と言われた病気も治るようになり、ガンも早期発見では殆ど治癒する。

これは絶対に良い事である。しかし、このまま人間の寿命が延び、人間がなかなか死ななくなると西暦2050年には世界の人口が90億人を超えるという。しかも年寄りばかりである。

食料問題をはじめ色々な問題が噴出してくる。
しかし、小生が最も気にかかるのは食料問題ではなく、人間の
質だ。

最近の風潮からすると、近い将来、筒井康隆の小説が現実のものになるかも知れない、と言う事だ。つまり「人間定年制」だ。
小説は将来を予測した筒井康隆の警鐘なのかもしれない。

例えば「人間の寿命は満七十歳までとする」と法律で決めてしまうのだ。元気だろうが、病気だろうが満七十歳になったら強制的に安楽死させる制度である。

この制度の施行によって年金制度、介護保険制度、食料問題等が解決される。
世界一の長寿国の我国で、このまま寿命が延びると、完全な老人国家となる。

元気で働く人よりも、病気を治す人よりも、介護する人よりも老人
の方が多くなって「もう年寄りの面倒は見てられない」、「なんで年寄り養うために税金払うんだ」という発想をし始めるのではないか。

今の誤った個人主義、自己中心的で自分さえ良ければ、自分さえ儲かればあとはどうでもいい、という大人や企業の生き方、在り方の中で育った若者達が「人間定年制」を生み出すのではないか。

人間なんて生まれてきた時には一人では何も出来ず、すべて親に面倒かける。そんな子供もやがて成長して親となり、自分の子を育てる。子育てが終わって暫くすると老いてくる。

だんだん老いてくると、今度は自分の育てた子に面倒を見てもらう番だ。これがごく普通の自然な人間の姿、生き方と思う。
老いた親の面倒を見なかった者は、自分が老いた時、自分の子は面倒を見てはくれない。

当たり前の話だ、子は親の生き様を見て育つのだ。
誰も面倒見ないから、国家がやらなければならない。
また税金がかかる。全く以って悪循環である。

世紀の天才アインシュタイン博士は、たった一度の来日で日本の
天皇を中心とした家族制度を絶賛したと言う。
戦争で疲れ切った人類を救えるのは、日本の旧来の家族制度で

しかないと断言した。(博士の手記の全文、見当たらない。機会があれば掲載する。)
今後国家の存亡をかけて、三世代同居は重要なテーマとなる。

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