■ あるべき姿

宇宙は無限か、有限か?
中学一年の頃、このテーマを考えて眠れなくなる事が時々あった。

宇宙は無限か、有限か。
宇宙が無限であると仮定すると、無限とはどういう事なのか。
限りなく宇宙が存在するとはどういう状態なのか。

有限と仮定すると、有限とは限りがあるのだから「宇宙はここまで」という
境界が存在する事になる。
この場合、その境界の先にはいったい何が存在するのだろうか。

この堂堂巡りが夜が白々と明けて来るまで続く。
たったこれだけの単純なテーマで、何時間も行ったり来りの思考が続く。
何とも言えぬ気だるい時間だ。

「あー、またやってしまった。」寝不足のうつろな目で学校へ行き、ボヤーと
した一日を過ごす。
宇宙の事を考えると自分の存在が本当にチッポケに思えて、全てが
バカバカしく思えて何にもやる気がなくなっていった。

クラブ活動に打ち込むわけでもない、一生懸命勉強するわけでもない
ただ目先の楽しい事だけやって過ごしていた。

ものの本によると、我地球は太陽系宇宙に存在し、この太陽系宇宙は
銀河系宇宙に包括される。銀河系の中には太陽の様な恒星が二千億〜
三千億存在し、宇宙にはこの銀河系が千億個も存在するという。

もう気が遠くなって、何がなんだか解らない。

経験から言うと、この手の「どうにもならんこと」は考えない方が身の為だ。
小生如きのボンクラ頭でいくら考えても解るはずのない「どうにもならんこと」は
専門の学者に任せておくのが賢明である。

ただ確かな事は人間同様、地球にも寿命があるという事だ。
宇宙が無限か有限かは解らないけれど、地球の命は有限である。
そしてその限られた地球の命を、更に縮めさせているのが人間の
傲慢さ、と言う事か。

人間の果てしない欲求が、偉大な科学を生み人類は発達してきた。
もっと豊かに、もっと便利に、もっと効率よく、とどまる事のない欲求が
あればこそ人類は発達し得た。

しかし、そろそろ限界であろう。人間の為に良かれと信じて行われてきた
数多くの開発、人類の発達が結局人間を傲慢にし地球の寿命を縮める。
温暖化や異常気象が叫ばれて、もう10年以上経つだろう。これは今後
もっともっとひどくなる。

長い目で見ると少しくらい不便であっても、地球という大自然に同化した
自然界の一員としての自覚ある生き方が必要だ。

無限とも有限とも知れぬ大宇宙の中で人間の存在など、本当にチッポケ
なものだ。つまらん意地の張り合いや諍いなど、何故いつまでも続くのか
と思うが
、これも人間の真の姿なのか。

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