この度実用英語技能検定試験、いわゆる英検の準2級と3級をダブル受験し、そしてその両方に合格した。
この受験の最初のキッカケを作ったのは、当時16歳の女子高生である。
正月にアルバイトに来ていた友人の一人娘が、休憩時間に寸暇を惜しんで英検3級の受験勉強に精を出していた。
そんな彼女に触発されたのが、この顛末のスタートである。
「何やっているんだ」と言いながら彼女が取り組んでいる英検3級用のドリルを覗き込んでみると、自分にもけっこう出来そうな気がしてきた。
それから凡そ一カ月が過ぎ、正月の繁忙を無事に乗り切り「今年の無聊なる日々」をどう過ごそうか考えた。
浅田次郎の小説を読みふけるのは既に決めていたが、それだけでは何か物足りなく感じていた。
そんなある日、本屋をうろついていると前述の女子高生が取り組んでいたものと同じ英検3級用のドリルを見つけた。
さっそく立ち読みして問題を眺めてみると、かなりの正解を出せた。
嬉しくなってこのドリルを買い込み、今年の無聊なる日々の過ごし方に英語の勉強が加わった。
頭の体操と言うか、ボケ防止に異国語に接してみるのは、なかなか刺激的だと思った。
購入したドリルの付録にリスニング試験用のCDがついていた。
聞いてみると、最初は何を言っているのか全然分からなかったが、コツを覚えると結構な点数を取れるようになった。
筆記テストとリスニングテストの問題集を合わせて一日にせいぜい小一時間、暇を見ては取り組み、それでも結局二ヶ月半ほどで6冊のドリルをたいらげた。
3級のレベルがいくら中学校卒業程度とはいえ、この時点でドリルの平均正解率は筆記もリスニングも90%を超え、楽しく英語と接する事が出来た。
この分なら英検3級を受験しても絶対に受かると思い、その意欲も芽生えてきた。
しかし、親子以上に歳の離れた子供達ばかりの中に、56歳のおっさんが一人混じって受験するのは余りにも緊張するし、何か照れ臭い。
何日か迷った挙句、妙案を思い付いた。
『そうだ!一緒に受験する仲間を作ればいいのだ!』
勿論誘う相手は小中の一年後輩のH田K巳だ、彼なら向学心もあり、もってこいの友人だ。
早速彼に事情を説明し、誘ってみた。
すると真面目で律義で遠慮深い彼は、申し訳なさそにうつむいて「実は私は、英検3級は中学の時に取っています」と言い、そして更に申し訳なさそうに下を向いて「2級は大学時代に取得しています」とのたまったのだ。
H田K巳は北海道屈指の進学校である札幌M高を卒業後、H海道大学・工学部に進学し、1級建築士の資格を持つ秀才なのだ。
そんな彼が英検の2級くらい取得していても、何ら不思議ではないのである。
誘った小生が浅はかなだけだった。
しかし、それから何日かして彼が社務所にやってきて「ふざけた事」を言い出した。
何と彼は『私が英検取得したと言っても何十数年も以前の事ですし、今回3級から受験しなおそうと思います』と言ってのけたのだ。
どこの世界に、既に2級を取得している者が二ランクも下の3級を再受験する必要があるのか!?
しかし、小生には彼の真意が直ぐに分かった。
彼の発言は、人のいい彼が「小生の挑戦に付き合って」くれる為の方便なのだ。
彼の「お付き合い」がなければ、今回の挑戦は途中頓挫か失敗に終わっていたに違いない。
彼には今まで以上に感謝している。
英検は一次試験、二次試験からなり年3回(一次1月6月10月、二次2月7月11月)行われる。
一次試験は筆記とリスニング、二次試験は面接(リーディングとスピーキング)である。
小生は自分の仕事の都合上、1月と10月に試験を受けることは不可能である。
チャンスは6月のみだ。
H田K巳の後押しのお陰で英検3級受験を決意し、4月26日に申し込みを済ませた。
6月12日の受験本番に向け、その後の凡そ1月半の間を最後の仕上げ月間と決め、過去問題集に取り組み始めた。
すると、どの年度の問題も筆記、リスニング共に90%以上の正解を叩き出した。
何度か満点もとって、もう3級用の受験勉強でする事がなくなってしまった。
『早く試験日にならないかなぁ』と思いつつ、退屈しのぎに準2級の前回の筆記問題をやってみた。
結果は75%の正解で、この瞬間「準2も行けるかも知れない」と、小生の欲の炎が燃え上がった。
5月16日、申し込み期限が近かったせいもあって、準2級の試験内容をしっかり確認しないままネットで受付を済ませてしまった。
その後、準2級の試験内容を調べてみると、リスニング試験において3級とは全然レベルが違っていて絶望的な思いに陥った。
リスニング試験は準2、3級共に30問出題される。
3級では最初の10問にイラストのヒントが与えられているので、アナウンスされる問題の内容を大体知る事が出来る。
あとの20問も本文、質問共に二度アナウンスされるので、最初のアナウンスの時にしっかり質問内容を聞き取れば、二度目のアナウンスの時には答えの部分だけ聞き取るように集中出来るのである。
ところが準2級のリスニング試験ではイラストもなければ、アナウンスも一度きりなのである。
もうこれだけでリスニング試験のレベルは格段に上がる。
当初リスニングは3割程度しか聞き取れなくて、これじゃいくら筆記で頑張っても合格ラインには達しないと半ば諦めの気持ちになった。
それでも試験までの一カ月弱の間、出来る限りの努力を尽くそうと、自分自身に誓った。
「たったの一カ月弱じゃないか、ひとつ死ぬ気になって勉強してみよう」とこれまでの小生の人生では考えられない行動をとってしまったのだ。
死ぬ気になって勉強してみようと誓った、この決意の淵源は「欲の強さ」にある。
「英検準2級に一発合格したい」という「欲」が、これまでの人生で経験のない重圧を生み、そしてこの重圧から逃れられる唯一の方法が勉強に打ち込む事であった。
まるで何かに取り憑かれたように勉強を始めた。
それまでの、3級用のドリルを楽しみながらやる勉強ではない。
「準2級合格」という明確な目標へ向けた、重圧のかかる「受験勉強」である。
小生の受験歴を振り返ってみると、ろくに勉強しないで入れる高校、大学に進学したせいか「受験の重圧」というものを感じた経験がない。
振り返ってみると「受験の重圧」は生まれて初めて経験するプレッシャーだった。
5月16日以降一日最低3時間は勉強し、試験本番前1週間はもう勉強していないと落ち着かなくて4〜5時間以上勉強した。
勿論、小生は学業が本分の学生ではなく、生業である仕事をこなし、各種の会合にも出席して、その上で勉強する時間を捻出しなければならない。
その為にまず、読書を止め、テレビを見るのを止め、夜に釣り道具をいじるのを止めた。
これだけで3時間くらいの時間は捻出でき、更に宴席付きの会合への出席も必要最低限に留めた。
当初からかい半分にチャチャ入れていた女房も、余りにも真剣に、気でも狂ったかのように勉強する小生に対して、いつしか黙って机の上にお茶の入った湯呑茶碗を置いて行くようになった。
準2級受験まで時間のない小生は、試験で点数を取るためだけの合理的で点数至上主義の勉強に集中しようと心掛けた。
特に習得までに時間がかかり、本番の試験でも手間暇の割に点数配分の低い「長文解釈」を勉強するのは止めて、手っ取り早く点数になる「単語・熟語」の暗記に重きをおいた。
準2・3級のドリルに出題されている単語・熟語で覚えていないものをノートに書きだし、一度は辞書を引いて意味や使い方などを調べた。
その数ざっと700語もあり、ノート一冊になってしまった。
そして、これを暗記する作業が過酷極まりなかった。
「さっき覚えた筈の単語の意味ををもう忘れている」自分の記憶力のなさ、頭の悪さに腹が立ったり、情けなさを感じたりで、もうノイローゼになりそうだった。
イジけてぶっ壊れかけてH田K巳に「単語の暗記が辛くて出来ない」と弱音を吐くと、彼は事も無げに「英語でPatienceって言うんですけど、勉強するって忍耐なんです。特に暗記ものは何度も何度も我慢しながら繰り返し勉強するしかないんです」
この言葉に「目からうろこが落ちる」思いだった。
こんな秀才でも「勉強することは忍耐」と感じていたのか!?
そうだったのか!小生が目先の楽しい事に溺れて怠惰な日々を送っている時に、彼は「耐えながら勉強していた」のだ。
この歳になって、生まれて初めて「耐えながら勉強する世界」というものを、たった1ケ月弱の短い間だけれど体感出来た。
様々な受験に打ち勝って合格という二文字を獲得してきた者達は皆、この
「耐えながら勉強する世界」の苦しさも、その後の達成感も、既に経験済みなのだ。
知らないのは小生だけだったのだ。
彼のこの一言に支えられて、何とか試験日まで猛勉強できた。
そして、合格できた。
最近味わったことのない達成感と爽快さとを感じながら、畏友と女房とに感謝を申し上げる。
英検挑戦、「何故そんな事を始めたのか?」よく質問された。
自分自身でもよく分からなかったが、だんだん自己分析出来るようになった。
実は平成23年の年が明けて暫くすると、小生は「腑抜け」になっていた。
この春に次男が大学を卒業して千葉市の神社に奉職が決まり、もう学費からも月々の仕送りからも解放されて、親としての責任をほぼ果たした気持ちになっていた。
小生からすると丁度10年前に狭心症を患い、もし自分が急に死んだらどうしようか!?働けなくなったらどうしようか!?という不安を抱えながらの日々だったのだ。
息子達への負担が軽減されて随分と気が楽になった分、自分自身への責任感も薄れ、緊張感のない精神状態に陥った。
今回、突然「英語の神様が取り憑いて」勉強に狂った小生だが「このままではいけない」という当たり前の必然も感じ取っていたのである。
真面目に取り組んで当然の仕事でもなく、楽しいばっかりの釣りでもなく
「潜在的に欲している何かに緊張しながら挑戦し、結果を出して劣等感から脱する事」、これを小生自身の身体と頭が欲したのだと、分析している。
要するに小生の心身が、最近だらけてきた自分自身の在り方に危険信号を発していたのだ。
そして小生の心と身を守るために、「英語の神様が取り憑いて」「中学時代からずっと劣等感を感じていた英語を克服すべく」「16歳の女子高生にきっかけを作らせ」「H田K巳に3級再受験を促せ」「コケそうになったら助言を与えさせ」「耐えながら勉強する世界」を味あわせてくれたのである。
今振り返ると「耐えながら勉強する世界」とは崇高な世界と思う。
他の私欲を絶って、ひとつの目的達成のために耐えている姿は、宗教的な修行にも似ていると感じる。
この貴重な世界をこの歳まで知らず、しかしこの歳になってたったの一カ月ではあっても体験できたのは全く貴重だ。
またひとつ「別の世界」を知る事が出来たからだ。
56歳のおじさんが一カ月間、気でも狂ったかのように勉強して一次試験に合格し、その後また一カ月間毎日勉強して二次試験にも合格し、晴れて英検準2級を取得した。
合格証書を手にした時、57歳になっていたが、おじさんは嬉しい、とっても
嬉しい、そしてくじけずに勉強して本当によかった。
誕生日の9日後に届いた二枚の合格証書は、小生の先祖を祀る神前と女房の先祖を祀る仏前とに供えてある。
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