あの日の朝、E別高校普通科に通う17歳のオレは、この日がバレンタインデーであることなどすっかり忘れて、いつもの様に学校へ向かった。
玄関で、目線よりも少し上の自分の下駄箱を開けると、突然「何か」がオレを襲った。
「何か」はオレの額に当たって、床に落ちた。
額に指先を当てると、少し血が付いていた。
床に落ちた「何か」に目をやると、それはチョコレートの箱だった。
チョコレートの箱には手紙が添えられてあった。
「誰だろう?」オレの胸はドックン、ドックンと高鳴った。
しかし、すぐに現実の状況を把握もした。
こんなところを口の軽いクラスメートなんかに見られたら、どれ程からかわれるか分からない。
さいわい周りには誰もいなかった。
オレはすぐさまチョコレートと手紙を制服のポケットに押し込み、教室へ入った。
落ち着かない1時間目の授業が終わって、トイレへ駆け込んだ。
手紙を開けてみると、商業科に通うオレと同じ2年生の彼女からのもので、内容は「以前から好きだった、付き合ってほしい」ときれいな文字で書いてあった。
当時、時々オレの視界に入ってきている娘だったので、ある意味合点がいった。
何日かして「会ってほしい」と連絡があった。
放課後の薄暗い廊下で、初めて彼女と口をきいた。
何を話したのかはよく覚えていない。
緊張して舞い上がっていたのと、これから先どうすれば良いのか迷っていたので、多分訳の分からないことを口走っていた筈だ。
17歳の高校生の初々しいはずのデート、お互いの想いがうまく伝わらないもどかしさが残った。
彼女の足元に当たった西陽、そこだけが赤く輝いていた。
あの時、オレが欣喜したのはバレンタインデーに誰かからチョコレートを貰ったという事象に対してであって、彼女の想いに対してではなかったのだろう。
多分、オレは彼女と真剣に付き合う気持ちはなかったのだ、と思う。
暫くの間、彼女とは交際している様なしていない様な中途半端な日々が続いた。
そんなある日の放課後、前庭で中学時代からの友人と話をしていると、我々の横を彼女が通り過ぎた。
彼女はオレに?我々に?一瞥して足早に校門をくぐった。
友人は彼女を見つけるなり「アイツ商業科のMと言うんだ、俺、アイツと付き合いたいと思っている」と言った。
オレは「彼女はオレと付き合っている」とは言い切れずに黙っていた。
秋になって、卒業アルバムの制作委員会が行われた。
制作委員は各クラスから2名が選ばれ、オレのクラスからは男子と女子、彼女のクラスからは彼女を含めた女子2名が委員となっていた。
委員でもないオレは、彼女が彼女のクラスの制作委員であるとは全く知らずに、どういう訳か第一回の委員会に出席した。
オレのクラスは「委員決め」などという事に関して、極めていい加減なクラスだったのだ。
委員会でのオレは、彼女に対して冷たかった。
オレのクラスから選ばれたもう一人の委員であるお喋りな女子に、彼女とオレのことは絶対に知られたくなかった。
彼女に対し「知らんぷり」を押し通し、とうとう一言も口を利かなかった。
煮え切れない態度のオレに愛想を尽くしたのか、オレの友人と付き合い始めたのかは知らない。
彼女の進路も確かめないまま高校を卒業したオレは浪人生活を送る事となった。
青リンゴのような甘酸っぱい香り漂う、青春の1ページが幕を閉じた。
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