昨年の11月末に、「ハッピー・リタイアメント」という題名の、新刊ハードカバーを購入して読んだ。
著者は浅田次郎で、彼の小説を読むのは初めてである。
小生は一年のうちに、必ず一度は女房の実家のある静岡県を訪れる。
何年か前から、搭乗する飛行機の機内誌に浅田次郎のエッセイが連載され、いつも一番先にこれを読む。
彼のさっぱりとして読みやすいエッセイに触れるのは、狭く息苦しい、しかも退屈な機内で唯一の楽しみと言っていい。
このことを読書家のY田さんに話すと「浅田次郎は最近の小説家の中で最も文章がうまい」との評価だった。
この一言が記憶に残っていて、わざわざ新刊のハードカバーを購入したのだ。
物凄く期待して読み始めたものの、小説の内容は「借金取りの他愛ない話」で読みやすかったが、期待したほど興奮はしなかった。
読み終えた新刊をY田さんに渡し読書感想を述べると、Y田さんは「浅田次郎は短編小説の方が断然面白い」と言う。
素直な小生は、さっそく本屋へ行き二冊の短編集を購入した。
小生はもともと、短編小説は楽しみが短い気がして、また落ち着かない印象があって、あまり好きではない。
かと言って長すぎる長編も、物語の前半の流れを忘れてしまって返って疲れてしまうので、読む前に「決心する作業」が必要である。
故に文庫本の文章量で言うと、大体200〜300頁の小説が好きである。
年末年始の繁忙期を無事に乗り切り、小生にとって最も貴重な自由時間を迎え、浅田次郎の短編小説を読み始めた。
「なるほど、確かに面白い」Y田さんの評した通りだ。
中でも『月島慕情』、これには参った。
大正時代の遊女の悲話であるが、浅田次郎という小説家はどうしてこんなにも悲しく切ない物語を認(したた)める事が出来るのだろうか。
男と女の悲恋話など歌でも小説でも山ほどあるが、この物語に接して本当に久しぶりに我を忘れ、時を忘れて涙を流した。
読み終えた後も腹の底にズシンと残るものがあって、しばらくは次のページに進めなかった。
興味深い小説に出会うと異常に集中力の湧く小生は、自分の置かれている客観的な状況を見失って、物語の世界に埋まってしまう。
この時期、仕事は暇なので、日中から長椅子にひっくり返って読書にふける。
ところが悲話に没頭し、悲しくて涙で顔がクシャクシャになっている、こういう時に限って「ピンポーン」とチャイムが鳴り宅配便が来たりする。
しかも女房は外出中だ。
突然「現実の世界」に引き戻された小生は、熱くなった目頭を来訪者に気づかれまいと、うつむき加減に、なるべく目をあわさずに判を押し品物を受け取る。
いい年した親父が昼間っから目頭が潤んでいるなんて、見っともなくてとても人様には見せられない。
こうして、時々恥ずかしい思いをしながら無聊(ぶりょう)なる日々を過ごす。
そして、これがとても心地いい。
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