■育まれる有難さ
昨年12月、長くお付き合いのあったお婆ちゃんが享年88歳で亡くなられた。 当社の信徒なので、小生が神式による葬送の儀を執り行った。 お婆ちゃんには、ここ数年は入院されていてお目にかかれなかったが、それ以前は毎月お参りにお伺いしていた。 お参りが終わると、いつもコーヒーを落として下さって小一時間ほど談笑する。 時には二時間も居座って、あれやこれやと世間話をしてくる。 ご主人が亡くなられた後も、とても前向きに生きようとなされて「子供達に迷惑をかけないよう、しっかりしなきゃ」と仰っていた。 泥臭い生活感が全然感じられず、清楚で上品なお婆さんという印象が深い。 しかし「天然ボケ」の部分もあって、ご自身の失敗談を聞かされた時には、大笑いしたこともあった。 動物、絵画、和歌(短歌・俳句)がお好きで、俳人「飯田龍太」に師事していた。 ある俳句コンクールで、確か、お題は「冬眠」と聞いたように記憶しているが、なかなか応募する作品のイメージが沸かなかったそうだ。 何日間かしてふと、砂の中で冬眠する海亀の姿を思いつき 『海なりを うつろに眠る 冬の亀』と詠った。 お婆ちゃんは、この俳句を詠んだ時の自分の心境を、細かく小生に解説してくれた。 その様子が、もうすっかり砂の中でまどろむ亀になりきっていて「お婆ちゃんは亀の心にもなれるんだ」と感心したものだ。 そして、コンクールの当日、入選作から発表されていく。 けっこう自信があったのに自分の名前は呼ばれず、がっかりして諦めていたら最後の最後「大賞」でお婆ちゃんの名前が呼ばれた。 お婆ちゃんの「亀の心になりきる感性」が龍太先生の心を掴み、大賞受賞を勝ち取ったのだろう。 今年1月に満103歳で亡くなった日本画家・片岡球子の存在も、お婆ちゃんから教わった。 「球子さんの絵は凄いよ」と、本物かコピーかは分からないが、あの奇抜な富士山の絵を見せて頂いた。 芸術などとは対極的な位置で生活する小生でさえ、「面白い絵」と感じた。 無骨で現実主義者の小生に、文芸が与えてくれる心の豊かさを教えて下さったと感謝している。 小生は自分の事を、言葉には敏感な人間と思っている。 しかも、「言霊」といって「言葉にも魂がある」とも信じている。 近年、短歌に興味をもち始めた。 その影響は間違いなく、このお婆ちゃんが与えた。 小生は今まで年上年下を問わず、男女に関係無く多くの人達から、いろんな影響を受けてきた。 いろいろ人達の様々な価値観に触れることで、随分と勉強させられた。 それまで知り得なかった「人様の価値観」を理解することが「神主」として生きていく上で、どれほど役立っているか計り知れない。 お婆ちゃんは間違いなく「いい人生」を歩まれた。 そしてやっと?ご主人のもとへ旅立たれ、今頃はあの世でいろいろな事をお話されていることだろう。 |