■覚悟はできたのかな
そう度々ではないが、仕事柄、自殺現場や死亡事故現場のお祓いの依頼を受ける。 もう二十年以上も昔のことだが、ある時、ある事に気がついた。 自殺現場や死亡事故現場のお祓いに行くと、その後、息子が病気になったり、ケガしたりするのだ。 基本的に「偶然」と思っているのだが、二度三度と続き、しかも大病だったり骨折だったりすると、さすがに気になってくる。 小生は毎月、地元の真言宗の寺へお参りに行く。 この寺では庫裡に神棚を祀っていて、その神棚に月参りに行くのだ。 不安を抱いていた当時、この寺の住職に相談した。 当時のこの寺は檀家数も少なく、決して大きな寺とは言えなかったが、住職は道内屈指の高僧であった。 小生は尋ねた。 「自殺や事故死のお祓いに行くと、その後、息子が病気になったりするのは何故ですか?」 高僧は答えた。 「それはお前さんが、ちゃんと仕事してきた証拠じゃないか!」 つまり、自殺や事故死した人の無念をその現場から祓って、小生が持ち帰ったと言うのだ。 「冗談じゃないですよ、それじゃ困りますよ」と言うと 「何を言っているんだ、それがお前さんの仕事だ」とあっさり切られた。 高僧は説く。 「この世に未練を残しながら自ら死を選んだ人や不慮の死を遂げた人は、どうしても悔しい気持ちを残し、災いをもたらすものだ」 「お前さんは、その無念な気持ちを背負ってあげて、怨念にならない様にしてあげなければならない」 「いやぁまいったな、それじゃぁ自分の身がもちません」と言うと 「だからもっと修行を積んで、強い心を育まなければならない」 「自分は江別の鎮守の神に仕える身なのだ、と自覚し覚悟を決めなさい」 こう諭されて二十年以上の月日が流れた。 小生に、鎮守の神に仕えるにふさわしい心が備わってきたのかどうかは分からない。 ただ言えることは加齢と共にだんだん図々しくなってきて、以前に抱いていた不安は払拭された。 しかし心臓病患者となり、自分自身が突然の死を迎える可能性が大きくなってしまった。 小生の死が怨念となって人様に迷惑をかけない様、自分自身によーく言い聞かせておかなければならない。 |