あれから二年がすぎて・・・

 あの日、あの日の朝、私はいつもの様に朝刊の「お悔やみ欄」に目を通し、愕然としました。

君のお母さんらしき人の名前を見つけたからです。

二年前の正月に君が絵馬に書いた住所を頼りに、君のお父さんの名前は調べて知っていました。

お母さんの名前までは調べなかったけれど、そこに記されている名前が君のお母さんである事はすぐに分かりました。

「そうか、亡くなってしまったのか」

新聞を持つ手が震える程びっくりしました。

君の心からの願いを叶えられず、何の役にも立てなかった自分が情けなくも感じました。

そして、居てもたってもいられなくなり、私は地図を頼りに君の家の前まで行ってしまいました。

君の家の前は車が一台止まっていただけで、ひっそりと静まり返っていました。

玄関のドアには忌中のすだれがかかっていて、やはり、間違いなく君のお母さんが亡くなった事を確認しました。



 君と会った事はないし、君のお母さんとも面識はありません。

けれど、どうしてもお通夜にお参りしたいと思い、参列しました。

お通夜に参列したい、と言う気持ちの中には「君に会ってみたい」「君の顔を見てみたい」という気持ちも相当強かったと思います。



 式場はとても混んでいて、君の同級生もたくさんお参りに来ていたようです。

司会者の説明で君のお母さんが、どれ程壮絶な闘病生活を送られたのかも知りました。

きっと癌転移の恐怖の中で、それでも必死に生きようと精魂尽き果てるまで頑張ったのでしょうね。

君の後ろに座っていた、大勢の参列者はみんな泣いていました。

私も、ぬぐってもぬぐっても溢れる涙を堪える事が出来ませんでした。

君のお母さんは君の事が可愛くて、気になって、どれ程「もっと生きていたい」と望んだことでしょうか。

こんなに辛く、悲しい事が現実としてあるのですね。

何と残酷なことでしょうか。



 お通夜の式が終り、もう一度焼香しようと祭壇へ向かっている時、初めて君の顔を見る事が出来ました。

「そうか君か」「君があの絵馬に、お母さんのガンが治りますようにと願いをかけたのか」

私が想像していた通り、君はとても聡明な顔立ちをしていました。

辛く悲しく、そして疲れてもいるのだろう、君の顔色は青白く透き通って見えました。

君のお父さんも真面目で律儀そうな人柄に見えました。

焼香が終わった人達一人ひとりに、ずうっとお礼の会釈をしていました。

君もお父さんのとなりで頭を下げていたけれど、堪え切れなくなったのか、肩を震わせて泣く姿に、私はもう君の顔をまともに見る事が出来ませんでした。

君に「一言でも声をかけたかった」けれど、とても話しかける事は出来ませんでした。

面識もなく、一度も話をした事のない人のお通夜で、こんなに泣いたのは初めてのことです。



 私は君のために、何か役立ちたい気持ちでいっぱいです。

女房は「手紙を書けば」と言いました。

しかし、いろいろ考えた末、今は「何もしない事」に決めました。

それは何故かと言えば、君には立派なお父さんがいて、しかもお爺さんやお婆さんもお元気そうな様子でした。

それなのに私ごときがしゃしゃり出て何か役立ちたいなど、かえって君のお父さんに対して失礼だと判断したからです。



 実は、2年前の1月に「十歳の君へ」を更新した何日か後に、ある放送局で報道カメラマンをされている方が突然、社務所を訪れました。

彼は何かの縁で江別神社のHPに出会い、君を知り、君の事をもっと知りたくなって、自分の公休日に札幌からやって来たと言っていました。

彼は北海道へ転任になる以前、新潟県中越沖地震の時の、あのハイパーレスキュー隊による男児救出劇の映像を配信していたのだそうです。

彼には、あの救出された男児と君の姿とがオーバーラップして見えていたのかも知れません。

そして、君や君のお母さんを応援していた人達は他にも、もっともっと沢山います。。

「十歳の君へ」を更新した後、全国の多くの人達から君への応援のメールを頂きました。

君の知らないところで、多くの人達が今も君の事を応援しています。

淋しくて、悔しくて、一日たりともお母さんの姿を忘れる事は出来ないでしょう。

家の中で、フッとした瞬間にお母さんの姿を見つけ出し、その度に「母は死んだのだ」という現実を突きつけられるでしょう。

「何故、お母さんがこんな目に遭うのか」と、淋しさよりも腹立たしさのほうが大きいかも知れません。

私の母が亡くなった時も、淋しさや悲しさよりも、怒りにも似た腹立たしさの方が大きかった様に記憶しています。

今はもう12歳になった君でしょうが、この辛さを乗り越えるには、まだまだ相当の時間が必要でしょう。


でも、どうか残された家族が力を合わせて一生懸命に生きて欲しい、そして「いい人生」を歩んで欲しい、と心から願っています。

それが天国から必ず見守っているお母さんが、一番喜ぶ事だと思います。



 私は、そのうちに、君と会えると信じています。

神様がその縁を作って下さる、と信じています。

その時、今までの事を話そう。

そして君のために、私に出来る事は何でもやろう、と思う。

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