人間パラドックスU-得るもの失うもの-

 高校3年生の時、遊びに行った同級生の家で、その母親にこう言われた。

『私があなた達くらいの時、戦争が終ったばかりで物資に乏しく、ろくに食べる物もなく大変な生活だった』

『でも、今のあなた達よりは、どこかハツラツとしていた様に思う』

『あなた達はこんなに恵まれて、食うに困らずに育っているのに、どうして死んだ魚のような目をしているのか』

当時の我々は「シラケの世代」と呼ばれていた。

この同級生の母親にしてみれば、物的に恵まれ大した苦労もせずに生活しているのに、ただダラダラと無関心・無気力・無責任の三無主義に浸って怠惰な時を過ごす我々を「情けなく」思ったのだろう。



 世の中が発達して物理的に恵まれて、便利で快適な生活を送れるようになった事は、間違いなく良い事である。

科学技術の進歩によっていろいろな物が発明され、あらゆる物の生産性が向上し、更にインフラが整い、物流がよくなり、所謂経済発展して我々が受けた恩恵は計り知れない。

物理的な豊かさや便利さは、人の精神をも豊かにしてくれる。

しかし物理的豊かさや便利さによって、失われてゆく精神もある事に気づかねばならない。

物的に恵まれる事が、人間の生活すべてに於いて、或いは人生すべてに於いて絶対的プラスに作用するのかと言えば、そう作用しない部分もあるのだ。

豊かで便利な生活ゆえに失っていくものもある、と心得るべきだ。

 小生自身の暮らしを振り返り、世の中の発達によって受けた恩恵と、それによって失わない様に気を付けているものとを探ってみたい。



@近年の携帯電話やパソコンによる電子メールの普及によって、只でさえ筆不精の小生が益々「手紙」を書かなくなった。

自分の意思や情報を伝える手段として電話等を使うのは便利で合理的だが、手紙も情緒があって味わい深く、なかなか捨て難いものなのだ。

特に「自筆」で書かれた手紙を頂くと、その相手の思いや誠意、心遣いがよく伝わってくる。

自筆の手紙を頂くのは、本当に嬉しいものだ。

字が下手糞で文字を書くと自己嫌悪に陥る小生なのだが、「ここ一番」と言う時には、どうしても「自分の心を伝えたい」と願う時には「自筆」で手紙をしたためる様に心掛けている。

電子機器の揃うこの便利な時代に、わざわざ「紙に文字をしたためる」という手間暇が人の心を振るわせる、と信じているからだ。



Aいつでも、どこでも、何でも口に入る時代を迎え、食べ物によって感じる季節感が希薄になって来た。

少し大げさに言えば日本中いや世界中の食べ物が、この北海道に居ながら一年中季節を問わず手に入る様になった。

バイオテクノロジーや養殖技術、ハウス栽培の発達、更には物流の進歩のお陰だ。

これはこれで有難い事だ。

しかし、食べ物によって季節を感じるのは豊かな情緒を育む上で、大切な条件と思う。

美しい景色を眺めて心が癒されるように、食べ物によって季節を味わう感性は「今生きている喜び」を噛みしめる行為と思う。

この行為を忘れて、自然界で生かされている自然の一員とは言えないのだ。

幸運な事に、我北海道は四季のはっきりとした、世界的に見ても貴重な地域だ。

雪が溶けて野に芽が吹き始めると「たらの芽のてんぷら」を食し、北国の短い夏に真夏日が訪れると「今しかない!」とばかりにビアガーデンに繰り出す。

秋のお祭が終わると大好物の新蕎麦の季節がやって来て、そして間もなく、長く寒い冬を迎える。
この辛い季節になると、やたらと漬物が食べたくなる。

こうして、季節の食べ物によって春夏秋冬を感じながら送る生活を、小生は幸福と感じている。



B小学生の時、運動会の前夜は嬉しくて興奮して、なかなか眠つけない。

にもかかわらず翌朝は、早くに目が覚める。

ところが母はもう既に起きていて、せっせと昼食を作っている。

いつも遅くまで働いてるたのに、もう起きている。

小生は母の手作りのいなり寿司とゆで卵の昼食を、喉詰まりしながら、しかし母の手の温もりをしっかり感じながら食べていたのだ。

そして、父に感じる「強大さ」とは異なる「母の心優しさ」に接し、親に対する感謝の気持ちが育まれたと振り返る。

今や運動会の昼食は、仕出し屋や弁当屋が現地のグラウンドまで出前してくれるという。
早朝や深夜にコンビニで弁当が手に入るのも、本当に便利で有難い。

しかし、親が我子の為に睡眠時間を削って弁当作って、こうして親子の絆が強まっていくのだ。



 もし人類が多くの人々の幸福を達成する為に、科学を発達させたとするならば、我々は以前よりももっと大きな幸福を手に入れていなければならない。

確かに物的な豊かさと便利さを享受し、快適な日常生活を送ってはいるが、それが「幸福な生活か否か」と考えてみると、世間の実態はそうでもないようだ。

人間が物的条件だけでは幸福に生きていけない証拠だろう。

あまりに便利すぎる生活に浸ると、それは人間の感性を低下させ、人と人との心の繋がりを希薄化させる。

物的豊かさや便利さと引き換えに、失う心もあると深く認識しなければならない。

豊かで便利な世の中だからこそ、人の手の温もりを感じながら、手間暇かけて、人の心を知る機会を多く作る作業が必要なのだ。



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