日本人の神観念と祭の意義

人間は、大自然を構成する自然の一部である。

人間は大自然から多くの恵みを頂いて、生かされている。

光や温度、食物に至るまで大自然の恩恵に預かっている。

そして、いくら
奇麗事を並べても、我々は多くの動植物の命を奪いながら生きている。

今までにどれほどの牛や豚、鳥や魚を殺してきた事か。

もっと言えば、稲や野菜や果物にも命は宿っている。

しかし、それを
殺生しなければ我々の命は守れない。
に殺して食う。

これは「
生命維持原理」である。

だからこそ人間は「無駄な殺生をしてはならない」という倫理観と、「大自然の恵みに対する感謝の心」を
に銘じなければならない。

しかし大自然は時として不安や恐怖を、人間に与える。

地震や台風は、我々の命を奪う事さえある。

この「
有難いけれど恐ろしい」という恩恵と恐怖が、大自然に対し畏敬の念を抱かせ、共に生きることを誓わせる。

大自然の中で、自然の一部として共に生きようという強い意志は、大自然に神の
を見出す。

我々の祖先は大自然の
万物、風や水、草木に至るまで神の魂が宿ると信じて生きてきた。

日本人の観念は、その実生活の中から、ごくごく自然な姿でんできた。


 そして、稲作を中心として生活してきた農耕民族たる日本人は、豊作を願う気持ちから、また天候などの自然に対する気持ちから「祈りと感謝の行事」つまり、「祭」を生み出してきた。

「大自然に神の魂が宿る」と信じる民族の感性が、多くの祭を育み、守り伝えてきた。

祭は日本の悠久の歴史の中から育まれてきた、日本人の信念や美意識を凝縮具現化したものである。

祭は人間が大自然の恵みから頂いたもの、食物や織物、木工品、金属工芸に至るまでのその恩恵を供え「ありがとう」という感謝のを捧げ、共生を誓う日本人の行事である。

故に祭は日本国中津々浦々の、あらゆる町や村の地域社会で、素朴な民族行事として守り伝えられる。

こうした「祭」を通じて、また「祭」にかかわる地域社会の人的ネットワークを通じて「なじみの良い地域社会作り」に貢献出来れば、と願っている。

「なじみの良い地域社会」とは、例えば、お年寄りが近所の子供に生活の知恵をけられる地域社会であり、徘徊する認知症の老人を優しく見守れる地域社会であり、困っている人にお互い様と言って手を差しのばす地域社会であり、町内の子供達の顔と名前を知っている地域社会である。

「なじみの良い地域社会」を醸成する事は、犯罪の抑止力にもがり、地域住民に多くの安心を与える。

悲惨な事件が頻発する昨今の世の中を振り返る時、日々の忙しさにかまけて忘れてしまった何か、また経済至上主義にって見失ってしまった何かがあったのではないか、と反省する。

高齢者が長生きして良かったと思える町づくり、子供達の笑顔が絶えず、安心して外遊びができる町づくりを、江別神社或いは祭の存在意義と合わせて考え、実践していきたい。



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