■スイッチの入る時
あれは蒸し暑い初夏の東京。 当時サラリーマンだった小生は、気だるい午後の陽射が差すオフィスビルの窓から外を眺めていた。 その時、眼下で停止していた一台のオートバイが、青信号と共に爆音を発して走り去った。 この瞬間、小生の頭の中で、何かのスイッチが入った。 脳の中で「カチッ」と音をたてた事を、今でも憶えている。 そしてその日の夕方、仕事を終えた小生は上野にあるバイク屋を訪れ、ほとんど衝動的に中古のオートバイを購入していた。 「ホンダMB50」、普通免許でも乗れる、いわゆる「原付」と言われるオートバイだ。 当時、「片岡義男」の小説を好んで読んでいた。 立て続けに読んだ中の一冊に「彼のオートバイ、彼女の島」と言う題名の小説があった。 小説の内容は全然憶えていないが、この本を読んだのがオートバイの世界へ足を踏み入れるきっかけになった事は間違いないだろう。 それまでオートバイとの接点と言えば、高校時代に悪戯でスーパーカブに乗った経験がある程度だ。 おおよそオートバイとは無縁の人生を歩んでいた、と言っていい。 そんな小生が、この本をきっかけに「孤独で緊張感のある」オートバイの世界へ惹かれていった。 たった一冊の小説の影響で、突然「カチッ」とスイッチが入り、別世界に飛び込んでしまった。 MB50には一年程乗った。 だんだん欲が出てきて、もっと大きなオートバイに乗りたくなり、翌年のゴールデンウィークに集中的に自動車学校へ通って、中型自動二輪免許を取得した。 そして、直ぐにオートバイを買い換えた。 二代目のオートバイは「ホンダCB400N」、中古で24万円程で購入した。 MB50に乗っている時に一度転倒し怪我した経験があったので、中型車に乗り換えてからは、かなり練習した。 オートバイでの転倒は大怪我や死に直結するので安全にも気を配り、長靴を買った。 長靴を履いてみると、今度は上着に革ジャンが欲しくなった。 「ボマージャック」と言われる襟にボアの着いた革ジャンに憧れ、どうしても欲しくて、当時交際していた今の女房にねだって買って貰った。 下北沢のジィーンズショップで19,800円だった。 北海道に戻って神主となっても、何ヶ月間かはオートバイに乗っていた。 しかし女房が妊娠し子供が出来た事と、車検が切れたのを期に、30歳でオートバイからは遠ざかった。 日本縦断(少々省略しているが)を果たした愛車CB400Nは地下室の車庫で眠る事となり、愛用のボマージャックは、手入れもしないまま箪笥の中で吊るされる事となった。 それから15年程経ったある日、同じ町内会で小中高の先輩Y田さんから、オートバイを購入したので御祓いして欲しい、と電話があった。 しかも、そのオートバイはハーレーダビットソン社製だと言う。 Y田さんは小生の5年先輩なので、当時50歳になっていた筈だ。 小生は、てっきり「Y田さんは昔から大型自動二輪の免許を持っていて、二人のお子さんも結婚され落ち着いたので、再びオートバイにまたがろうとした」と思った。 ハーレーに乗っている人に、そういう方は多い。 ところがY田さんは全然違っていた。 つい先日、大型自動二輪の免許を取得したばかり、と言うのだ。 確かにY田さんは実際の年齢よりも若く見えるし、運動神経がいいのも知っている。 しかし、50歳を超えて初めて免許を取り、ハーレーダビットソンを操ろうと言うのだ。 まったく「この親父は何を考えているんだ」と思ったが、次の瞬間、突然オートバイを買いに行った自分の過去を思い出した。 頭の中で「カチッ」とスイッチが入って、そのままオートバイを買いに行ったあの日の事を。 きっと、Y田さんは自分自身の何かを変えたかったのか、何かから脱したかったのか、また未知なる何かに挑戦したかったのか。 そう考えてみると「分るような」気がした。 何十年も生きていると、長い人生を歩んでいると、こういう事って一度や二度あるのかも知れない。 御祓いが終わって「いい事に気がついた」 社務所の二階の箪笥に15年間も吊るしたままの「ボマージャック」を思い出し、Y田さんに渡した。 全く手入れをしていなかったのでゴワゴワになった革ジャンだけど、Y田さんはとても喜んでくれた。 そうして、今から20数年前に女房におねだりして手に入れた「ボマージャック」は、Y田さんの手に渡り、Y田さんの手によって見事に蘇った。 地元の町内会の、しかも小中高の先輩であるY田さんが、二十年以上も前に小生が着ていたものを大切に扱い、現役復帰させてくれた。 こんなに有難い事はない。 しかもY田さんは言う。 「この革ジャンは宮司が着ていたものだから、俺はこの革ジャンに絶対守られている」 「本当にそうあってほしい」と心から願う。 |