我細胞よ、覚醒せよ!

 人間の身体には、神が与え給うし治癒力が宿っている。

治癒力とは、病気や怪我で犯された身体を、元の正常な状態に戻そうと作用する力だ。

例えば風邪気味であったり、すり傷を負ったとして、薬などを飲まずに放っておいても何日かすると治る事がある。

これは、人間の体内に自然に備わっている治癒力が働いたせいだ。
勿論、治癒力だけですべての病気が治る筈はなく、医学の力に頼らなければならない病気も多い。

しかし、己の身体を構成するひとつひとつの細胞に潜在する治癒力を活性化させる事によって、医学による科学的治療の効果もより高められる、と考える。

 

 小生が数年前から患っている狭心症は「冠連縮性」と言われるものである。
心臓の冠動脈が「何らかの要因」によって縮み、心臓に血液が送り込まれず胸が苦しくなるのだ。

医師によれば「何らかの要因」は未だ解明出来ていないが、ストレスの可能性が高い、との事であった。

ストレスと言うこの目に見えない精神的な圧迫感が、血管を構成する細胞に悪さするのであれば、同じく細胞に宿る治癒力を活性化させる事で対抗出来るかも知れない。



 実は狭心症を患った年の冬から、自分身体の治癒力を高める人体実験?を始めた。

しかし、この人体実験?を始めたきっかけは別にあって、当初から「自身の治癒力を高める試み」と認識していた訳ではない。


きっかけは「必要に迫られて」始めたのだ。
年末年始の超多忙を直前に迎え、追い詰められ、困り果てて始めたのだ。

小生の職業はなかなか簡単に代役が利かない。
小生の体調が悪いからと言って、女房に「ちょっと俺の代わりにお祓いやってくれ」とはいかない。

故に9月の例祭前と年末年始には、とんでもない重圧に襲われる。
「狭心症の発作を起こさずに、一人でこの多忙を無事に乗り切れるだろうか」

孤独な不安がつきまとう。

この「孤独な不安」が、いつしか自分自身の身体に、細胞に呼び掛けを行う様になった。

「冠動脈ちゃん、お願いだから縮まないでね」
「我心臓よ、この二週間はちゃんと動いてくれ」

 

 小生の祈りと願いが血管を構成する細胞諸君に通じたのか、この5年間、例祭時と年末年始に狭心症の発作を起した事はない。

この実績が自信へと繋がり、最近ぐっと強気な姿勢になってきた。
「これは使えるな」と、実感し始めた。

そしてついに、この年末年始には「祈りと願い」が「命令」に昇格してしまった。

「オラオラ、居眠りなんかしてんじゃないぞ!」
「目ん玉かっ開いて、しっかり働け!!」

こめかみの血管が浮き出してピキピキと、今にも切れそうな位に力んで細胞に命令を下す。

我脳からの強く固い「意識」が命令となって全身の細胞を覚醒させ、緊張させ、治癒力を活性化させる。

己の身体を構成する己の細胞だ、己の脳の指令である程度制御出来る筈である。
やり過ぎると、そのまま昇天してしまいそうだが、とりあえずこの方法で行く。

そうして二人の息子が何とか学業を終え社会人となって、自分の力で生活出来るまでは元気で働いていたい、と望む。


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