本物で在ること

 「本物で在りたい」と願う。
人間として、社会人として「本物で在りたい」と願う。

しかし、己の生活実態、私生活を振り返ると「本物で在りたい」などと公言す
る自体に「照れ」が入ってしまう。

ここ一年で随分と飲酒量が増えた。
飲み過ぎて訳の分からん事を言い息子にからんだり、女房に対しても我が
ままを押し通す事が多い。

「心臓治療」と称して、釣りに行く日程はあきれる程抜かりなく調整するし、
フライフィッシングに使用する「毛ばり」を巻くのは芸術だと言い張り、
「俺は芸術家だ!」「芸術は魂だ!」などとほざいている。

「我が家はオナラフリーだ」と勝手に宣言して、家族の顔の前でもヘー気で
屁をこくし、AB型故の二重人格的性格は女房をして「未だに理解出来ない」
と言わしめる。



 最も身近な存在である家族の前では、何でも許されると思いたいのか、
どうしても甘えが先行する。
「自分勝手だなあ」とほんの少しは思いつつも、これは治らない。

こんな小生が「本物で在りたい」などと臆面もなく言うと、家族達は
「おいおい、いい加減にしてくれい!このホラ吹きオヤジが!」と笑ってしまう
かも知れない。

しかし、こんな小生であるが故に、せめて「江別神社宮司」の看板を
背負った時だけは「本物で在りたい」と願うのだ。

これは小生が守らなければならない「最後の砦」なのだ。



 江別神社は明治十八年創始である。
九州は熊本県からの屯田兵が「加藤清正公」の御神体を奉持して入植し、
御奉り申し上げたのが始まりだ。

この時、彼らは交通機関も発達していないにもかかわらず、凡そ2,000km
にも及ぶ道のりを御神体を背負って、はるばる熊本から北海道までやって
来たのだ。

それ以来120年以上に亘って、この地の鎮守として、地域の人々の心の
拠り所となり、守られてきたのだ。
多くの人々に「安心立命」を与えたからこそ、守り続けられたのだ。

小生が「江別神社宮司」として「本物で在ること」とは、果たすべき社会的
責任とは、この社を護持し次代に引き渡すことだ。



 以前父から伝えられた祖父の言葉に「お金を追うな」
「お金は追えば逃げる」という教えがある。

要するに
『一社をお預かりする宮司として、本来的な責務を果たしてさえいれば
お金は必ず後からついて来る』

『目先の利益に惑わされて言動すれば、結局信用を失くしてしまい、
長い目で見ると何にもならない』という意味だ。

この教えは守っているつもりだ。

「楽して儲けたい」とも思うが五十年以上も生きていれば、そんな旨い話
がない事くらい知っている。
そして何より、経済的利益だけで満足する小生でもない。



小生の信じる「本物で在ること」とは
         神主として「本来的な生き様を貫き通す」事だ。

「本来的な生き様を貫き通す」とは

 「日本の伝統的な精神文化の粋たる祭りを守り伝える神主として
 地域社会に根付き、ささやかではあっても貢献し、
 その中から実生活の糧と人間関係を生み、神社を護持する事」だ。



抽象的に、好きな言葉で表現すると

「己のあるべき姿の実践から派生する人間関係に身を委ねて
    ゆらゆらと、
まるで雲に浮かぶ仙人の如くに円転自在に生きる事」



具体的に、分かりやすく言い表すと

毎年の六月一日、「今日は渓流解禁日だから社務所へコーヒー飲みに
行ってもグージ、居ないべな」

「新蕎麦が手に入ったからグージに電話して、真面目に「たれ」作るように
 言っておくか、大安だけど、どうせ暇だべ。
おっと、「かき揚げ天ぷら」も作る様に頼んでおくか」

「鹿児島の本格芋焼酎を貰ったんでシャムショで飲むべ。
 明日は仏滅だからグージも丁度いいべや」

「まったく、また釣りに行って居ねえのか、油断もスキもない奴だな
そう言えばヤマメの天ぷらと岩魚の骨酒ご馳走するから包丁砥いで待ってて
とか言ってたけんど、ホントに釣って来るんだべな」



今現在の小生が「本物で在る」か否かは分からない。
「ニセ者」とは思っていないが、胸を張って「本物」とも言い切れない。

小生の生き様が「本物」かどうかは、小生が「命」(みこと)になってから
周りの人達がその評価を下す、そういうものだろう。

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