消えた腎臓結石

 忘れもしない昨年、平成16年2月17日に大腸カメラの検査を受けた。
肛門からカメラを挿入して行うこの検査は、小生が今までに経験した
どの検査よりも肉体的・精神的に辛く過酷なものであった。

検査そのものの恥ずかしさや苦痛は言うまでもないが、もっと憂鬱なのは
体調不良を自覚してから受診を決意するまでの日々、また検査日程が
決まってから当日を迎えるまでの毎日、検査結果を聞くまでの待合室での
時間などだ。

この間の緊張、不安、恐怖たるや尋常なものではない。
何をやっても病気への不安が頭の隅から離れる事はなく、悪い方へ悪い方
へとネガティブ思考に陥る。

 昨年、この大腸カメラの検査を受ける原因を作ったのは
「左下腹部のいずさ、違和感」である。

検査後忘れていたこの「いずさ、違和感」がこの春頃から再発した。
「病院へ行かなきゃ」と感じつつも、病気や検査に対する恐怖や不安が、
積極的行動を鈍らせる。

しかも、痛くはないので日常生活に支障はなく、とうとう6月まで放っておいた。



 先日、知人に狭心症やら腎臓結石やら腰痛やらと自分の持病の話を
すると
「宮司!腎臓結石の人は腰痛になるんだ」
「宮司の左下腹部のいずさは結石が大きくなって動いているんだ」と
自身タップリに言った。

4年前に狭心症を患った時に腎臓に小豆粒大の結石も発見されたが、
痛みはなかったので何年もほったらかしにしておいたのだ。

そのせいもあってか、この知人の話は妙に説得力があった。
「そうか、この左下腹部のいずさ、違和感は腎臓結石のせいか」
「しつこい腰痛もこいつのせいだったのか」と思った。

腎臓結石の検査を受ければ一挙両得とばかり、病院へ行く事を決心する。
何科を受診すればよいのか分からないので、知り合いの医師に相談した。

この医師は小児科医であるが、小生の小中高の先輩でとても信頼のおける
医師だ。
医師は泌尿器科での検査を勧めた。



 泌尿器科の医師は腎臓結石の検査の他に膀胱と前立腺の検査も行う、
と言った。
「えっ」と思ったが、もう逃げられない。

昨年の大腸カメラの検査経験で、下半身の検査が如何に
「男の美学や職業的自尊心」と言ったものを認めない冷徹なものであるか、
小生は充分に知っている。

大の大人が「汗と涙と鼻水」にまみれ、のた打ち回るのである。
そうして身も心も打ちひしがれ、プライドなどとっくに吹き飛び、仕舞いには
尻を洗ってくれる看護婦さんにも子猫のように従順になるのである。

産まれてこのかた母以外に見られた事のない尻が、まるごとさらし者になるのだ。

「うわぁ、またか」と思いつつ、言われるがままにズボンを脱ぎパンツを
おろす。
まったく「情けない姿」だ。

泌尿器科医は無機的な表情で小生の肛門に指を入れ、こねくり回す。
昨年につづき、二人目の経験だ。

しかし、昨年の大腸カメラの検査と比べると、尻に指を入れられるくらい
何ともないものだ。

それよりも「検査結果」に対する不安の方がはるかに大きい。



 医師はCTスキャンによって撮影された写真をじいっと見つめている。
小生は丸椅子に座って、医師の言葉を待っている。

心臓はバッコンバッコン高鳴り、膝の上にのせた両手はズボンに手形が
付く程に汗でびっしょり濡れている。



 検査結果は腎臓に結石は確認出来ず、膀胱、前立腺も異常なし、
との事であった。
「腎臓結石がない」これはどういう事かと訊ねると

@以前の検査結果が誤りであった。
Aいつの間にか溶けてなくなった。
B知らないうちに小便と一緒に体外に放出された。
と言う回答であった。

入院や手術まで覚悟して受けた検査が、思いもよらぬ好結果で持病が
ひとつ消えてなくなった。

解消されぬ「左下腹部のいずさ、違和感」は「神経的なもの」ではないか、
と診断された。
昨年の大腸検査の時も同じ事を言われた。

もうひとつの解消されぬ腰痛は、来週MRI検査を受ける事となっている。



 そう言えば、大の病院嫌いだった父は「俺は太く、短く生きるんだ」と
言いながら晩年は日課の様に病院へ通っていた。

そして、自ら進んでいろいろな検査を受けていた。
そんな父の姿を見て「親父も命根性汚くなったなぁ」などと思っていたが、
今、自分がその言葉通りになって来た。

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