人の心は弱いから


 「困った時の神頼み」なのかどうか、よく分からないが一年に何度か
「心霊写真」とおぼしき写真が社務所に持ち込まれる。

悔しいかな小生は、実に普通の人間で、平凡な神主である。
「霊能力」なる特殊な能力を全く備えていないので、持ち込まれた写真が
「本物の心霊写真」なのか否か判断出来ない。

ほとんどの心霊写真?は、光の反射具合などが原因でそうなったと思って
間違いないが、たまには思わず鳥肌が立つ凄い写真が持ち込まれる。

今でも強く印象に残る写真が二枚ある。
一枚は深緑の森の中に真っ白い顔だけが浮かび上がっている写真で、
もう一枚は消えているテレビのブラウン管に髪の長い女性がはっきりと写っ
ている写真である。

何度見ても鳥肌が立った。
なぜ、こんな写真が存在するのか、不思議でならなかった。

「怖いもの見たさ」の気持ちも手伝って、この二枚の写真はしばらくの間、
机の引き出しにしまっておいた。

機会があれば「誰か憎たらしい奴」に送り届けてやろうかとも思ったが、
何年か前にお祓いして焼いた。



 人の心を不安に陥れる心霊写真?が持ち込まれた時、必ずその写真を
持参した本人から事情や撮影した状況を詳しく聞く事にしている。

充分に話を聞いて「うちでお祓いして焼きますから、もう大丈夫です」
「安心していいですよ」と言う。

大概の人はそれで安心した顔になり、帰って行く。
これが小生の「仕事」である。

持ち込まれた写真が心霊写真であるか否かは、小生は分からない。
いくら問われても、分からない事には答え様がない。

そしてここで最も重要なのは、その写真が本物の心霊写真であるか否か
ではなくて、その写真を撮影した事によって不安に陥っている人が存在
すると言う「事実」である。

小生からすると、その写真が本物の心霊写真であるか否かなど
「どうでもいい事」なのだ。
目の前で不安に陥っている人の心に、安心を与えるのが小生の仕事で
ある。
この認識がプロの技を生む。




 社務所から車で30分程の距離の所に、地元では有名な「お化け屋敷」
があった。
小生がこの「お化け屋敷」の存在を知ったのは高校生の時だったので、
もう30年以上も経っている。

時々この家のあった場所の横を通るが、何年か前に取り壊されて今では
更地になっている。
当時の噂では、この家の夫人が首吊り自殺をして、その後家は売りに
出されたが買い手がつかない。

それどころか、この家に関わった人が何人も死んでいるとの事だった。
とにかく地元では知らない人が居ない位に有名な家なので、更地に
なっているにもかかわらず買い手がつかないのか、この一画は開発されて
いない。

以前、まだこの家が取り壊される前に、仕事で世話になった建築会社の
人からこの「お化け屋敷」のお祓いを依頼された。

依頼人は「神主も僧侶も誰も、あの家のお祓いを受けてくれない」と言って
いた。
非公式な依頼ではあったが、小生は「うちの氏子区域外なので」と言って
即座に断った。

小生だって、そんな恐ろしい家のお祓いは嫌なのだ。
もし、小生が祟られたら、誰が守ってくれるのか。



 そんな「お化け屋敷」に遊び半分で訪れた娘がいた。
この娘は車二台、合計八名で「肝試し」をやりに行った。
娘はお化け屋敷の前まで行ったが途中で怖くなり、戻って車の中で待って
いた。

屋敷の中に入ったのは友人四人だ。
肝試しの帰り道、屋敷の中に入った四人の車が交通事故にあい、何人かが
死亡した。

 その娘は母親に連れられて社務所にやって来た。
茶色に染められた長い髪はボサボサで、ショックのせいか青白い顔はこわ
ばり、手は震えていた。

母親もすっかり憔悴しきっていて、怯えているのがよく分かる。
藁にもすがる思いなのだろう、真剣な眼差しで拝んでいた。

 この娘が「悪霊にとり憑かれているのか」小生は分からないし、そんな事は
問題ではない。
怯える母娘が「何とか安心させて欲しい」と望むから、小生は出来得る限り
の努力をするのである。

神殿でのお参りと共に、充分に時間をとって話をする。
時として「ヤキを入れる」
このヤキが、お祓い以上に効果を挙げ、相手を安心させることもある。



 人の心は弱いから、不安になると「神聖」にすがりたくなる。

 人の心は弱いから、迷えば迷うほど「断言」が欲しくなる。

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