死ぬまで一緒


 昨年の暮、12月26日に女房の母が急逝した。
享年81歳である。

母は自分の夫である父と共に静岡県藤枝市に在住していた。
老夫婦、二人だけの生活である。

父は満88歳で、痴呆症である。
母は痴呆症の父の身の回りの世話をほぼ一人で見ていた。

毎日毎日、食事の世話をして、薬を飲ませて、風呂に入れて、おしめを取り替えて・・・・・。
必要最低限の生活を送るだけで一日が終わり、毎日がその繰り返しだ。

にもかかわらず、母は近所や町内会のお付き合いもそれなりにこなし、
つい先日も町内の下水道掃除に参加していたという。

 母の父に対する介護は80歳を過ぎた老婦に出来る限界を超えていた、
と感じる。

急逝する2〜3日前にも女房のもとへ電話があって
「ボケじいさんの面倒見るの、もう疲れたよ」と洩らしていた。

しかし、口ではそう言いながら母には父を
「施設に預けて」「夫婦別々に暮す」気持ちも発想すらも無かった。

きっと母は「この人の面倒は一生私が見る」「この人を看取るのは私」と
決意していたに違いない。

結果として、母の思惑ははずれ、介護に疲れ果てた自分が先に逝って
しまった。

特に持病を抱える身ではなく元気にしていた母が、父を見送るつもりの
母が、先に逝ってしまった。

88歳の痴呆症の父を残して急逝した母の「無念さ、心残り」は察するに余りある。
しかし、これは単なる結果にすぎない。
小生が尊いと感じ、感動を覚えるのは母の「生き様」に、である。



 長く生きた人間がボケてくるのは当たり前の事で「どうにもならんこと」だ。
生きている人間の自然な姿だ。

ある医師の言葉を借りれば
「ボケは死の恐怖から己の心を救ってくれる、神様からの贈り物」
なのだそうだ。

しかし痴呆症の老人と生活を共にする事は、ちっぽけなヒューマニズムや
きれい事では通用しない様々な意味での「生きている人間の現実の姿」がある。

 母は父のすべてを受け入れて「死ぬまで一緒」と誓ったのだ。
ボケて訳の分からない事を言い怒り出そうが、小便漏らそうが
「死ぬまで一緒」と決めたのだ。

そうして、自分で決めた「生き様」を、自分が死ぬまで貫き通したのだ。
50年以上も連れ添った二人の歴史がそうさせるのか。
それが夫婦愛と言うものなのか。

 母はどこにでも居る平凡なばあさんであるが、なかなか根性のある
ばあさんでもあった。
母の示した「生き様」に、母の見せつけた「根性」に、尊さを感じずにはいられない。



 12月29日、告別式の日の未明、母の夢を見た。
斜め後方から強い視線を感じて振り向いて見ると、そこに母が立っていた。
そして、じいっと小生を見つめている。

笑顔でもなければ、ウラメしい顔でもない。
ただ、じいっと小生を見つめている。

夢の中なのだが、小生は思わず手を合わせて
「ばあさん、葬式に行けなくて御免な!!」と叫んでいた。

その時に目が覚めて時計を見ると午前5時であった。
きっと、「母が会いに来てくれたのだ」と思い、葬儀に参列出来なかった後ろめたさに少し安心を与えてくれた。

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