神輿渡御の朝


 神輿渡御の朝、とても清廉な気持ちになる。
この心を何と表現してよいのか、適当な言葉が見つからない。

雲に浮かぶ仙人の心境とでも言えば良いのか。
はたまた、悟りを開いた円転自在の心境とでも言えば良いのか。

日常の生活の中で渦巻いている「生々しい」とか「泥々とした」ものを超越した、全く別世界の心境に陥る。



 神輿渡御の朝、毎年そうだが、夜明けと共に目が覚める。
疲れている身体を休める為に直ぐには起き上がらず、床のなかでまどろんで時間を過ごす。
午前六時に起床、着替えて神殿を参拝する。

それから境内に出てみる。
早朝の引き締まった空気に触れると、いよいよ清廉の世界に導かれる。

開き直りにも似た、それでいて穏やかで優しい、何でも許せる、何でも受け入れられる気持ちでいっぱいになる。



 祭りはこの国の民が育み、守り、伝えてきたこの国の民の信念を具現化したものだ。
連綿と受け継がれてきた祭りを、粛々と決められた通りに執り進める。
祭りにかけるその真摯で頑固な姿が達成感を味わう源なのか。

この日を迎える為に、どれ程の人達の手を煩わせ、どれ程のエネルギーを費やしたか、小生は良く知っているつもりだ。



 神輿渡御の朝、この日これから繰り広げられる熱狂の渦に思いを寄せる時、清廉の心が生まれる。
多くの仲間達と歓喜の時空を共有する事への期待感と緊張感が清廉の心を生む。

 毎日「清廉の心」で生きられたならば、それはどんなにか嬉しい事か。

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