天皇と民主主義


 実は、我国のあらゆる事柄に於いて、天皇の存在ほど民主主義的なものはない。

万世一系の天皇を頂き、それを守り伝える事は日本の二千数百年の歴史の移り変わりの中で、我々日本人が貫き通して来た意思だからである。

我国の歴史を振り返る時、そのいずれの時代に於いても、天皇が民衆に対して武力や金の力を以って強権を振るった時などない。

日本の各時代に於いて、為政者として権力を保持していたのは豪族であり藤原氏であり、頼朝であり、足利、信長、秀吉、徳川らである。

彼らはその時代に於いて圧倒的武力や経済力を有していたのにも拘らず、誰も天皇に即位していない。

彼らは「今日から俺が天皇だ」と宣言すれば、それを実現できるだけの権力を保有していたのにも拘らずだ。

しかし、彼らには自分が天皇に即位しようなどと言う発想すらもなかった。

 
 これは何故であろうか?

 我国に於いて天皇とは、国民を国の宝と考え、国民の幸福をただただ祈り続ける存在である。

一切の私心を抱かず、「無私の心」を以って祈り続ける。
その清楚な姿に、その背中に多くの国民は強い意志を感じ取り「安心」を覚える。

この「安心」の積み重ねが、武力や経済力を以ってしても犯されぬ「権威」を生む。

この「権威」は時の為政者の保持する「権力」をも収束してしまうのだ。

つまり天皇は政治的権力を超えての日本国民の精神的支柱であり、その関係を踏まえた上で為政者の存在が成り立つ。

故に歴代の為政者たる将軍は、自らが天皇に即位しようと言う発想もなく、征夷大将軍として国を治めた。



昔から存在して、今も存在し続ける。
その大元を支えるものは、天皇と国民との深い信頼の絆である。

圧倒的多数の国民の信頼があればこそ、天皇は天皇としてあらゆる時代を超えて存在し続ける。

民主主義とは、歴史の連続性の中で、歴史を根底で作り上げる民衆の
普遍的意思によって育まれる価値観念である。



 楽しい時も悲しい時も、嬉しい時も辛い時も、すべてを共有し
「ただただ祈り続ける存在」。

そんな天皇を頂く事が、我国の歴史と伝統に裏付けされた国柄である。

我々は我々の祖先が築き上げてきた自国の歴史に、もっと敬虔になるべきだ。

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