■父がやらせたこと


小生の父は昨年、平成15年10月23日に享年80歳で他界した。

父は亡くなる凡そ3年半前の平成12年6月に喉頭ガンによる声帯摘出手術を受け、声を失った。

年齢を考慮すれば特段珍しい事ではないが、父はガン以外にも心臓病、喘息などの持病を抱え、成人病のデパートといった身体であった。

 小生は、というと、平成13年秋に狭心症の診断を受け、成人病患者の一員となった。

症状の軽い重いに関係なく心臓に持病を抱えると、精神的にも不安、重圧といったものを感じる。

小生が狭心症の診断を受けて以来父が亡くなるまでの間、小生にとって最も大きな命題は「父よりも先に死ぬことは出来ない」という事だった。

声帯を失い、喋る事の出来ない父を残して小生が先に逝くわけにはいかないのだ。

仮にそうなった場合、残された家族の生活費は多額の保険金収入で何とかなるだろう。

女房はそれ以前と同様に、父の身の回りの世話を焼いてくれるだろう。

しかし神社の維持運営を考えた時、口の利けない、祝詞をあげられない名誉宮司を残して小生が先に死ぬ訳にはいかない。

この命題を解く方法は二つ。

「父が先に死ぬか」、「小生が生き延びるか」である。

前者はあまりに不謹慎で選択の余地はない。
小生が生き延びるしかない、しかもただ生きているだけでは駄目で、仕事の出来る元気な身体を維持しなければならない。

その為にはどうするか。

小生が起こしたアクションは禁煙とダイエット。
しかし、このアクションは父が起させた、と言っていい。

@     禁 煙

凡そ30年間吸い続けたタバコを平成14年2月26日、この二二六を以って止めた。

禁煙を試みて、本当に辛いのは最初の三日間だ。

この三日間を我慢できると、四日目からは「ここで誘惑に負けてタバコを吸ってしまったら、三日間耐えた苦しみは何だったのだ」と理性の方が強くなって禁煙は達成できる。

禁煙して丸二年、今では近くでタバコを吸われると、煙が鼻に「ツン」ときて嫌になるまでになった。

A     ダイエット

狭心症の診断を受けたときの小生の体重は87s。

医師からは、肥満は心臓の負担が大きいので「とにかく痩せなさい」と言われた。

小生よりも肥満体の医師からこう指示され、「あなたに言われたくないよ」と思ったが、病人はこちらなので仕方がない。

はっきり言って「ダイエット」は「禁煙」よりも比較にならない程、辛い。

禁煙は慣れてしまうと全く平気だが、ダイエットは毎日が勝負だ。特に肥り易い体質の小生にとって、ダイエットは「ゴールがない」のだ。
油断するとすぐに太るので、いつも気にしていなければならない。平成14年秋から本格的にダイエットを始めて、現在75s。

身長が175pあるので、こんなもんで良いかとも思うが、あと2〜3s落としたいのが本音だ。

 禁煙やらダイエットやらをやっていると「意思が強いですね」とよく言われた。  

しかし、小生は決して意思の強い人間ではない。

「父より先に、まだ死ぬわけにはいかない」という思いと、最も強く心臓発作を起した時の「このまま死ぬかもしれない」という恐怖体験とが禁煙、ダイエットを決意させた。

一言で言うならば、要するに「命根性が汚くなった」のだ。

 昨秋、父が他界して「父より先に死ぬわけにはいかない」という当面の命題は解決した。

「ほっとした気持ち」が心のどこかに混在する事実を、小生は認めなければならない。
これは、多分、女房も同じだろう。

 「父より先に死ぬわけにはいかない」という命題が解決して、もう安心して逝ける状況になった。

順番からいけば我家で次に逝くのは小生だ。
そのせいか否かは知らないが、最近キレる事が多い。

父の死後、睡眠薬を飲んでも眠れないことがあって、酒を飲むようになった。

この20年間、晩酌などしたことのない小生が酒を飲むのである、しかもペロペロになるまで。
いわゆる「たがが外れる」といった状態が続いている。

今年息子二人が受験で、これからの7年間が最も経済的に大変な時期だというのに、キレてばかりはいられない。

「自分に出来る最大の努力をする」自分自身にこう言い聞かせて今までやってきた。

もう一度、気合を入れなければならない。


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