■スーパーコンセントレーション


 君はスーパーコンセントレーションを知っているか。
君はスーパーコンセントレーションを体験した事があるか。

小生が
スーパーコンセントレーション(以下S.C)を、こんな世界が存在する事を認識したのは、今から凡そ20年前の明治神宮での研修の時だ。

これ以前にもS.Cを体験した事があるかも知れないが、明確に
意識したのは、この時が初めてだった。


 サラリーマン生活に終止符を打ち、昭和58年4月に國學院大學
神道学専攻科に入学した。

入学式の後、直ちに明治神宮での研修に入る。
早朝から夜までびっしりと研修メニューが並ぶ。
夜は講義の後に夕拝(ゆうはい)がある。

夕拝は神殿前の石畳の上にゴザを敷き、その上に正座し大祓詞
(おおばらいし)という祝詞(のりと)を奏上して行われる。
大祓詞の祝詞奏上は、概ね一回奏上するのに4〜5分の時間が
かかる。

修行中なので、この大祓詞を何度か繰り返して奏上する。
前日までは大体3〜5回ほどの奏上で、前後の神事を入れても
30分程で終わる。

ところが研修最終日、この日はなかなか終わらない。
奏上回数10回程までは数えていたが、全然終わる気配がない。

そのうちにだんだん足が痺れてくる。
頭の中は「早く終わらないかな、今日は一体いつまでやるんだ」
こんな事ばかり考えている。

1回の奏上が終わる度に「もうこれで止めてくれ!!」という思い
でいっぱいになる。
しかし、そんな胸のうちを見透かした様に、教官の祝詞奏上はまるでエンドレステープの如く続く。

「あー、まだやるんだ」
先が読めない、終わりが見えないというのは、どこまで頑張っていいのか分からず辛い。
がっかりしながら大祓詞奏上を続ける。

かれこれ1時間以上も石畳の上に正座していると、足は痺れを
通り越して、ただただ痛いだけだ。

この時に初めて知った。
「足が痺れる」というのは、まだまだ中途半端な状態である事を。
「痺れ」を通過すると、あとはただ「痛い」だけだ。


 長く正座を保つ秘訣も習ってはいる。
「尻の下に半紙一枚」と言って、正座している尻とふくらはぎの間
に半紙を一枚敷いている状態をイメージして、この半紙が破れない様に、ほんの少し身体を浮かせる様に太ももに力を入れる。
そうすると、ふくらはぎに全体重が乗らず正座を長く続けられる。

しかし、もう秘訣も何もあったもんじゃない。
とにかく痛い、ただひたすら痛い。
この痛さから何とか解放されたい、それのみを考える。

まわりで一緒に奏上している同級生達の何人かは、痛さに耐えきれず横に倒れ始めた。
こういうシーンを見ると「もう自分も倒れてもいいかな」という誘惑
にかられる。

「そうすれば痛さから解放され、楽になれるぞ」
しかし、まわりで倒れている同級生の姿が無様にも思えて、
「もう1回だけ頑張ってみよう」と自らを奮い立たせて大祓詞奏上を続けた。

一心不乱に大祓詞を奏上していると、ある事に気がついた。
大祓詞を奏上する事だけに没頭して我を忘れてしまうと、いつの間にかそれまでの「痛さ」から解放されてしまう事を。

「痛さ」から解放されると、また頑張れる。
暫くして我に帰ってまた「痛くなる」。
その「痛さ」から解放されたくて、また我を忘れて奏上する。
この繰り返しで最終日を乗りきる事が出来た。

「自分は最後までやり遂げた」という達成感を味わったのは意義深く、そして何よりもたった一度の研修でS.Cを体験し、こういう
精神世界の実存を垣間見た事が大きかった。

 肉体的にきつい修行を強いる事は、決して無駄な事ではない。
真理を知るひとつの方法として必要だ。
とんでもない「痛み」の中から、その「痛み」から解放されたくて
何かに集中する。

その一心不乱な集中力がスーパーコンセントレーションである。
諺で言う「心頭を滅却すれば火もまた涼し」か。

「痛い思い」をしてS.Cの世界を体験したが、出来れば「痛い思い」なしで自分をS.Cの世界にもって行けると理想的だ。


 その後、神主となって、ほんの二〜三度だけS.Cを経験した。
あるお宅のお祓いに行って、たまたま物凄く集中して祝詞を奏上していると「ここはどこ、私は誰」状態になった。

途中で「はっ」として我に帰り「あー、○○さんのお宅にお祓いに来てたんだ」と意識が戻る。
こういう時はいい仕事をしている。


 そして、ある研修会で同じ体験談を耳にした。
それは青年神職の全国研修会で、和太鼓の演奏者である
林 英哲(はやし えいてつ)氏の講演だ。

林氏はその講演の中で『和太鼓の奏者として全国のいろいろな
地方で演奏するが、いつもベストな演奏が出来る訳ではない』

『最高に調子の良い時は太鼓を叩いている途中で、自分自身が
どこかにぶっ飛んでしまい、どこで何をやっているのか、分から
なくなる』

『あっそうか、今日は○○市の会館でコンサートだったんだ』と
我に帰る、という。
この間どこで何をやっていたのか記憶にないが、こういう時に
最高の演奏が出来ている、と語った。

この講演を聞いた時、「我意を得たり」の思いで嬉しかった。

 S.Cの世界は決して特別な世界ではない。
どこにでも存在し、誰でもが体験出来る、精神世界だ。

スーパーコンセントレーションを知ると、もっと世界が広がる。
スーパーコンセントレーションを体験すると、もっと心豊かになれる。


 それにしても最近S.Cを体験していない。
余りに邪念の多い日々を送っているという事か。

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