■ホントに欲しいもの
ある日突然、目の前に神様が現れてこう言った。 「お前の望みを、ひとつだけ叶えて上げよう」 神様に嘘は通用しないので、正直に「お金を下さい」とお願いしよう。 お金があれば大概のものは手に入る。 誰だってお金は欲しい。 「お金、要らない」なんて言う奴は嘘つきか、さもなくば、もう死にそうな人だ。 世の中の状況を考えると、神社の維持運営に関して、将来に対する不安はある。 その不安は当然、小生や家族の生活不安にも繋がる。 来年、二人の息子がそれぞれ高校と大学受験だ。 息子達が進学したいと望めば、それを叶えてあげたい。 生活費は切り詰めても、世間とのお付き合いと二人の息子に対する教育費はチビりたくない。 そうなると現実問題として、お金は欲しい。 充分なお金さえあれば、少なくとも物理的側面で頭を悩ます事はなくなる。 要するにお金の事で苦労などしたくないのだ。 しかし、限りなく欲の深い小生は、神様に「お金を下さい」とお願いする事を思いとどまる。 何故かと言えば、特殊な能力を神様から授かれば、付加価値のついたお金をいくらでも稼げる事に気づいたからだ。 予知能力を授かれば、競馬などのギャンブルや株の売買でいくらでも現金収入が得られるし、カリスマ占い師としてもひっぱりだこだ。 卓越した運動能力を授かればプロスポーツ選手になって大成出来るし、天才的な作文能力を授かれば一躍ベストセラー作家となれる。 しかし、どれもこれも生身の小生の実態からかけ離れ過ぎていて、イメージとしてしっくり来ない。 しかも念願かなって、お金に何不自由のない身分になったとして、生きていなければ沢山のお金も使い様がない。 お金持ちになって大喜びして、興奮して、心臓発作起こして死んだりすると、これは笑い話にしかならない。 とすると、小生が神様にお願いすべき唯ひとつの望みとは 「健康な身体」か。 元気でさえいれば働いて収入が得られるし、持病の不安も解消される。 しかし、神様が本当に小生の望み通りに健康そのものの身体にして下さって、女房や子供達よりもずうっと長生きしたら、どうしよう。 家族も友人達もみんな死んでしまっても、小生だけしわくちゃジジイになってもなお健康だったら、どうしよう。 いつまでも、いつまでも、小生だけ健康で生き続けたら、どうしよう。 いくら「世紀の長生きおじいちゃん」とおだてられても、きっと淋しいに違いない。 女房も子供達も孫達もみんな死んでいなくなって、一人健康でいても、何にもならない。 いくら健康であっても「淋しい人生」は嫌だ。 お金の事、健康の事を含んだ全ての生活不安から、己自身を解放してくれるものとは何だろうか。 それはあらゆる状況を受け入れる覚悟と度量、そしてその状況の中で最大の努力を継続出来る意志だ。 どんな状況に追い込まれても決して屈しない精神が、小生を全ての不安から解放してくれる。 人はそれを「ギラリと輝く意志」と言うのだろうか。 人はそれを「信仰心」と言うのだろうか。 神様にお願いしよう。 「不屈の精神を授けて下さい」と。 |