■ 晴 釣 雨 読


 「晴釣雨読」−せいちょううどく−晴耕雨読(せいこううどく)を
もじった小生の勝手な造語だ。

小生の近い将来の夢を意味する。
晴れた日には大好きな釣りに勤しみ、雨の日は部屋で読書に
ふける。
実現するには相当厳しいが不可能な夢ではない。

 釣りは何でも好きだが、ひとつ選ぶとすると渓流でのフライフィッシングだ。しかもドライフライで。

ヘビは大嫌いで見ただけで膝がガクガクするし、熊も恐ろしいが
それをはるかに凌駕するだけの魅力が渓流にはある。
川のせせらぎと鳥のさえずりの中で竿を振り、自分で巻いた毛鉤を流す。

フライフィッシングは、虫に似せて作った毛鉤を使っての釣りだ。
ルアーフィッシングもそうだが、要するに魚を騙して釣る卑怯な釣りだ。
しかしこの卑怯な釣法が釣り人を狂わせ、至福の時空へといざなう。

水面を流れる毛鉤に「パシャッ」と魚が飛び出す瞬間は、何とも言えぬ興奮に包まれる。
「パシャッ」が「バシャッ」になると興奮度は一気にエスカレートし、心の臓がドックンドックンと高鳴る。

小生の様に心臓に持病を持つ者にとっては、かえって健康に良くない。



 雨の日は部屋で過ごすに限る。
テレビも電話もない部屋で雨音をBGMに、一日中本を読んで過ごす。
しかし、難しい本は苦手だ。読むなら断然、小説がいい。

小説はタイムマシンと同じだ。
主人公になりきり、その物語に没頭すると、現実に自分が生きている世界とは全く別の時代や世界を体験出来る。

こんなに安上がりに別世界を垣間見て、しかも色々な人間の価値観に触れる事の出来る手段は他に見当たらない。


 振りかえってみると、サラリーマン時代に最もコンスタントに小説を読んだ。
通勤電車の中での読書は、その満員の不快感を忘れさせてくれた。
雨の休日、何冊かの文庫本と食料や飲み物を買い込み、朝から晩まで一歩も外へ出ずに読書と決め込んだものだ。


 面白い小説に出会うと、これもまたとんでもなく興奮する。
最後まで読み終えるまで、もう何も手につかない。



確かに晴釣雨読は憧れだ、理想の生活だ。
社会人として家庭人としてある程度の責任を終えた第二の人生は、釣りと読書に明け暮れていたいと思う。

しかし、それが「本当に自分らしい生き方か」と自分自身に問えば、実はそうでもない。
AB型の特性か、時々目先の己の利益を超えて、人の為に燃え上がる事がある。
そして自分からこの部分が無くなるのを、恐れてもいる。

それ程大きな志を抱いている訳でもないし、地道な努力を重ねて生きるタイプでもない。
小生の本質はいいかげんな男だ。

そんないいかげんな男が、釣りと読書という「孤独な作業」だけでは、とても人恋しくて生きられない。

生身の人間とディープに関わっていないと、安心出来ない小生でもある。



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