■ 淋しくて生きられない


 東京は浮浪者が多い。
「浮浪者」という語は差別用語に当たるのか、最近ではホームレスと、横文字を使う。

 昭和53年に大学を卒業したが希望通りの就職先もなく、就職浪人をしていた。
いちおう勉強をするつもりでいたので、図書館通いを始めた。

通い始めた日比谷図書館は、朝から何人ものホームレスが開館を待っていた。
まるでパチンコ屋の開店前の様に、玄関前に十数人のホームレス達が並んで開館を待っている。

彼らは皆、両手に家財道具一式を入れた紙袋をぶら下げている。
図書館が開館するとゾロゾロと中に入って、ロビーに据え付けてある新聞を読んだり、洗面所へ行く者もいる。

しかし、彼らは決して閲覧室へは入って来ない。
彼らなりに気を遣っているのか、彼らの行動はロビーと洗面所に限られていて、一般の入館者と棲み分けは出来ていた。

日比谷図書館は「開かれた図書館」を自認し、誰でも自由に入館出来る図書館であった。
他の多くの図書館はホームレスの入館を拒否していた。

大概玄関先に「浮浪者風の方、臭い方入館お断り」の看板が掲げられている。
小生の知る限り、日比谷図書館は都心で唯一誰でもが入館可能な図書館であった。

ホームレスを差別する気はないが、現実の問題として困るのが、あの臭い匂いである。とても耐え難い、不潔な匂いだ。
特に夏場など、あの臭さは我慢出来ない。
鼻はおろか目までやられてしまう匂いだ。

小生は大体開館と同時に入館し、まっすぐに閲覧室に入る。
閲覧室は禁煙なので、一日に何度かはロビーにタバコを吸いに行く。
タバコを吸い終わって立ち上がると、すかさずホームレスの親父がやってきて、今しがた小生が吸ったタバコの吸殻を持ち去る。

同じホームレスの親父と何度かこれを繰り返すと、お互い意識する様になる。
小生は普段はタバコの三分の二位までを吸うのだが、これだと残りが少ないかなと親父に気を遣い、半分程吸って火を消す様になった。

しかも火を消すタバコの先をつぶさない様に、なるべく切り口をきれいにする様に気をつけた。
するとこの親父は小生がロビーに行くと、それとなく近づいて会釈をする様になった。



ホームレスの親父が、今ここに存在する。
彼は生まれた瞬間からホームレスであった訳ではない。
彼が今ここに存在するという事は、彼を産んだ父と母も存在していたという事だ。

そしてきっと、彼は父と母に祝福されて、この世に生を受けたに違いない。

母に抱かれ暖かいぬくもり中で、働く父の背中を逞しく感じる幼年期があって、友達と泥んこになって遊んだ少年期があって、
好きになった女の子に胸ときめいた思春期があって、自分の将来に夢膨らむ青春期があったに違いない、きっときっとそうであったに違いない。いや、そう信じたい。

その彼がどこでどうなってホームレスとなったのか、とても興味を持った。
しかしあの臭さには耐えられず、相当興味があったにも拘わらずとうとう話し掛ける勇気は沸いてこなかった。




 それから十年以上の時が経った。

女房の親の実家が静岡県の藤枝市で、結婚時の約束を守って
毎年春に家族で里帰りをする。

この年は女房の両親と東京駅で待ち合わせ、小生は女房と二人の息子を両親に引き渡して、一人北海道に戻る日程だ。
毎年、往路だけの家族旅行だ。
小生が私用で社務所を空けられるのは一泊二日が限度だ。


待ち合わせ前日に上京して、東京駅の近くのホテルに一泊
した。
静岡の両親との待ち合わせ時間は午後だったので、午前中は
上野へ花見に行った。

その帰りの山手線は程々に混んでいた。
上野駅から東京駅までのほんの数分の短い乗車なので、小生は二歳になる次男を抱いてドア付近に立った。

次男は小生に抱っこされながら吊り皮につかまっている。
五歳の長男はさっさと奥まで入って、チャッカリ座っている。
しかし、長男のまわりが妙に空いている。車内はそこそこ混んでいるのも拘わらず空間が存在する。

よーく見ると、長男はホームレスらしき二人組の隣に座っている。
しかも、もう話し掛けている。
『ボクは北海道から来たんだ』
『新幹線に乗って静岡のじぃちゃんとばぁちゃんの家へ行くんだ』
『弟の京(けい)も一緒だよ』とこちらを指差している。

二人組と目が合う、女房は少し離れたところで知らん顔をしている。
ホームレスの臭さは半端ではないので誰も近寄らない、いや近寄れない。
故に車内が混んでいようが、ホームレスの周りには空間が存在する。

『おじさん達、どうして臭いの?』なんて言い出すのではないかと
気が気でなかった。たった数分間の乗車がやたらと長く感じ、早く到着してくれと祈った。

長男は相変わらず話し掛けている。
すると二人組の一人が座ったままで両足を伸ばして、自分の右ポケットに手を入れた。
抜き出した手のひらには小銭ばかりが握られている。

手のひらいっぱいの小銭の中から、彼は五百円玉をひとつつまみあげて『ボク、お小遣いあげる』と言って長男に渡した。
そして間も無く電車は東京駅に着いた。
小生は二人組に軽く会釈をして下車した。

長男に『兄ちゃん、何してたの?』と訊ねると、長男は五百円玉を握り締めながら『ボクは立派なおじさんとお話してたんだよ』と言った。

ホームレスから小遣いを貰った者など、そうはいないだろう。
話し掛けられた二人組は余程嬉しかったに違いない。

何処へ行っても誰も近寄らず、誰も目を合さないだろう彼らに
風体を気にする訳でもなく、臭さに怪訝な顔もせずに話し掛けた
長男の事をいとおしく思ったのだろう。



 人は淋しくては、生きて行けない。


   人は貧乏にも耐えられるし
         学歴がなくとも人より稼ぐ事は出来る。
   
   勿論、勉強出来なくてもスポーツ出来なくたって
         楽しく生きられる。

   悪と闘う勇気もあるし、自らからの命を顧みずに
         人を救おうともする。


 しかし、人は、淋しくては生きて行けない。

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