■生きる基本


自分の子供から尊敬されない親、自分の親を尊敬しない子供が増えているという。
これは困った問題だ、本当に困った問題だ。

どんな人間でも、いくつかの人間関係の中で生きている。
家庭や学校、地域や職場など、いくつかの人間関係を持っている。

あらゆる人間関係の中で、最も身近な人間関係が家族である。
家族の人間関係は主に夫婦、親子、兄弟から構成される。
この中で最も自由の効かない人間関係が親子である。

夫婦は離婚すると他人になるが、親子はずうっと親子である。
親が何歳になっても、子供が何歳になっても、親は親、子は子である。

自由の効かない関係だけに、しっかりとした関係でいたい。
社会の最小の人間関係を構成する家族の人間関係が崩壊すると、やがて社会も崩壊する。

では何故親を尊敬しない子が存在するのか。
簡単な話だ。
親が尊敬される人格を有していないからだ。

子から尊敬される人格は、親が当たり前の躾をする事から生まれる。
普通の親は自分の子は可愛い、可愛いから可愛がる。

しかし、ただ可愛がるだけでは、それは育てるとは言えない。
「育てる」とは社会の中で人間として生きる、最も基本的な躾を身につけさす事だ。

これは子をもつ親の義務である。
親が子に対して当たり前の躾をすれば、おのずと子は親を尊敬する。

子は親の目線を敏感に感じ取り、親の心がどこへ向いているのかを探る。
自分に向いている事を確認すると、それだけで子は安心する。

親が躾の義務を果たそうと努力する姿を、子は尊敬する。
子にとって最も身近な存在である親を尊敬する、親子の人間関係は社会生活の基本である。

親が子を育み、子が親を敬う人間関係は人の道である、つまり道徳である。
道徳は主義、思想、宗教を超えた人類の普遍的、不変的、不偏的価値観念である。

この価値観念は、人間の本性を認知した上での理知から生まれる哲学である。
人間の人間たる所以、他の動物との大きな違いは、人間には理知が備わっている事だ。

理知ーつまり理性と知恵だ。
人間は本能だけでは生きられない。本能は本能であるが故に完全否定できない。

良くも悪しくも人間のもつ本能を認めた上で、人間としての在り方、あるべき姿を問い、思考し、実践する源泉が理知である。
そしてこの理知から成る人間の規範が道徳である。

混沌とした時代だからこそ基本に立ち返るべきである。

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