■生きてさえいれば


昨秋より心臓に狭心症という持病を抱える身となり、「生と死」に対する意識がより具体的になってきた。
現在の小生が抱いている「生と死」に対する意識と比べると、
以前のそれは他人事だった様に思う。

ひょっとすると突然死ぬかもしれない、という不安や恐怖はいつも付きまとう。
だからと言って、日々養生する為に仕事もしないで、ただ家に
引きこもる訳にも行かない。

今のところ入院したり手術したりするほどでもないので、とりあえず普通の生活をしているし、仕事もしている。
成人病故に完全に治癒する病気ではない。
泣いてもわめいても治らないものは治らない。

持病とは死ぬまでの付き合いだ。そうと分かっていても病気と
仲良く付き合う、心の準備はまだ出来ていない。
故に精神状態は良いわけがない、やはり不安だ。
「まだ死にたくないな」と、つくづく思う。

だがそこで、ある事に気がつく。
小生は自分の命さえあれば良いのか、生きてさえいれば、
それで良いのか、という問いだ。
今までに二度「生きてさえいれば、それだけでいい」と願った事
がある。

最初は母が危篤に陥った時で、二度目は長男が二歳で発作を
起こして入院した時だ。
この時は本当に「生きてさえいれば、他には何もいらない」と
心から願った。

しかし、現在の小生に、この心境が当てはまるだろうか。
小生は「生きてさえいれば」寝たきりでもいいのだろうか、
「生きてさえいれば」仕事が出来なくてもいいのだろうか。

いろいろな場面を想像してみる。

@ポックリ逝った場合〜これは仕方ない、ポックリ逝くのだから
 文句の付け様がない。死に方としては楽で良いが、この世に
 未練は残るだろう。女房、子供達が路頭に迷わぬ様、それなり
 の生命保険に加入している。

A身体に障害を抱え、働けなくなった場合〜江別神社宮司の
 職は辞さなければならない、勿論小生も家族も社務所に住む
 わけにはいかない。辛い日々を送る事となる。
 
 不自由な身体になってもなお生き続けたい、と願うか否かは
 その立場にならないと分からない。しかし今は自由な身体で
 なければ生き続けたいとは思わない。

B意識はあるが全身麻痺状態となった時〜これが最悪、一番
 困る。意識があるから生きているのが辛いし、かといって全身
 麻痺状態なので自ら命を絶つ事も出来ない。
 このような状況だけは避けたい。

C完全な植物人間状態となった時〜何でもいいから早く楽に
 してくれ。

こうして様々な状況を考えてみると、いざ自分の事となると
「命さえあれば、生きてさえいれば他には何もいらない」などとは
毛頭考えていない。

小生の望む命とは、五体満足の身体で自由に行動が出来て、
人から認められる存在でありたくて、そこそこの収入があって
物欲を満たしたい、命である。

何と欲の深い人間であろうか。
この期に及んで、心臓病持ちの身になってもまだ強欲であり続ける自分を発見する。

人が生きるとは己の欲と付き合う事だ。
人は多くの欲を抱き、その欲を満たす為に思考を繰り返し、また
行動する。

   もっと生きていたい、 もっと楽しみたい
   もっと儲けたい、もっと認められたい。

欲があるから人は悩み、苦しむ。しかし欲があるから人は努力し
頑張り続ける。
己の欲と正座して向き合い、「正しい欲の満たし方」を考える事としよう。
 

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