矛盾の心 人の心は複雑である、竹を割った様にはいかない。 ある著名な作家は「世の中は矛盾のなかに成り立っている」と 言った。 人は皆、人の心は皆、矛盾と混沌の中で生きている。 不謹慎な話で申し訳ない。 消防士は火災が発生すると、妙に張り切っている自分を発見 するという。消防士が火災時に自らを奮い立たせ、身体を張って 消火活動や救命活動をするには勇気がいる。 国民の生命と財産を守る為に、時として己の命をも懸けて働く。 誰にでも出来る仕事ではない。それなりの覚悟と志が必要だ。 しかし火災が発生すると、崇高な志とは別に、決して火災を喜 んではいないが妙に張り切っている自分を発見する。 警察官は凶悪な大事件が起きると、ついワクワクしてしまう。 彼らもまた事件の早期解決のために英知をしぼり、犯人逮捕 のために己の命をも顧みず立ち向かう。 凶悪な事件など起こらぬ事を願いつつも、いったん大事件が起きてしまうと、その心とは裏腹な自分を見出す。 医師も同様である。大手術執刀の前夜、胸ときめいて興奮する。 難しい手術になればなる程、患者の命を救おうという医師の使命感とは別のところで、不謹慎な感情が生まれる。 己のもつ知識と技術のすべてを懸けて、緊張の時間を過ごす 事への期待なのか。 医師は昂揚する心を抑えきれない。 三者に共通するのは、己の能力が発揮出来る場面に遭遇すると 人間張り切り出すという事だ。 張り切って己の使命を果たそうとする事は勿論正しく、良い事 である。 しかし、そのあるべき姿の中にも、ちょっとだけ不謹慎な心が 混在していると言うことだ。 これは善悪で判断できるものではない。 人間にはそういう心が、現実として存在するという事だ。 この矛盾の心は正に「どうにもならん人間の本性」である。 彼らは決して人の不幸を喜びはしない。 しかし、己の活躍の場が与えられると、人の不幸とは別の次元 で思わず心躍ってしまうのである。 自分自身を振り返ってみても、思い当たる節はある。 職業上、人から様々な相談を受けることがある。 勿論真剣に話を聞き、真剣に解決策を考える。 しかし心のどこかで野次馬的、興味本位的自分が存在するのを 否定出来ない。 人は美しい心をもっているが、同じくらい醜い心も持ち合わせて いる。自分の醜い心は人に悟られたくないから、普通の人は 表情や言葉に表す事はしない。 普通の人は、誰もが清く正しく生きたいと願っている。 清く正しく生きる為には、己の醜い心を自覚し認識する事だ。 己の醜い心を自覚し認識する事で、他人の醜い心を許す心が 生まれる。 |