■ 人を恨む心


満三十歳の年から卒業までの足掛け十一年間、(社)江別青年
会議所に在籍した。
平成三年、江別青年会議所創立二十周年の年に副理事長を
拝命、記念事業を担当した。

記念事業の中の記念講演に、ベストセラー「逆転の発想」の著者
で、日本のロケット開発の生みの親である糸川英夫博士をお招きした。博士は講演の中で

『楽しい事があったからと言って一年も二年も笑っている人は
いない。
また悲しい事があったからと言って三年も泣き続ける人はいない
楽しい事も悲しい事もどんどん忘れていくから人は生きていける。
楽しい事があったからと言って、その後も毎日楽しい生活が続く
とは限らない。
悲しい事があって、その時の感情がずうっと続くならば人はとても生きては行けない。
忘れていくから生きていける。

しかし、人間の多くの感情の中で、ひとつだけ忘れない感情が
ある。
それは「怨念の心」である。人を強く深く恨む心である。

人を強く深く恨む心はいつまでも忘れず、しかも始末が悪い事に
世代を超えて恨み続ける。
親が恨み続けた相手を、その子もまた恨み続ける。
だから人類に争い事はなくならない。』

多岐に亘る内容の講演であったが、この部分だけが未だに忘れ
られない。

我人生を振りかえってみると、今までに怨念と言えるほど人を
強く深く恨んだ事はないように思う。

しかし十六年前、「死んじまえ」と思った事がある、しかも仕事で。
新築の店舗付住宅のお祓いの依頼を受け、出向いた。
中年の夫婦と小学校高学年か中学一年位の長女、小学校四〜
五年生位の長男の四人家族の家だ。

準備をととのえ、さあお祓いを始めるという時に、神棚の前に
座っていたのは父親と長女だけである。
母親は店舗開店の準備に忙しそうで、何かブツブツ文句を言いながら動き回っている。

長男はテレビゲームに夢中で、父親の呼ぶ声を無視してピコピコ
音を出し続けている。
この様な状況でお祓いが始まった。

もう怒り心頭である。
何と言う情けない父親か、何と言う無礼な母親か、そして何と言う生意気な長男か。

手が震える程の怒りを感じながら、確かに「死んじまえ」と思った。
本来、この家の家内安全を願い、店舗の繁盛を祈る為に出向いているにもかかわらず、全く反対の感情を抱いた。
そして何日か後の朝刊を見て愕然とした。

つい先日出向いた店舗付住宅が火事で全焼との事、しかも二人の焼死者。
亡くなったのはお参りしなかった母親と長男である。

偶然と言ってしまえば偶然なのだが、小生の気持ちは治まらない。まともに口も聞けぬ程のショックであった。
しかも小生がお祓いに出向いた先が火事にあい、死者まで出したとは誰にも言えなかった。暫く悶々とした日々を送った。

そして、この時に誓った。
金輪際人に対し「死んじまえ」と思わぬ事を。

職業的意識は高いつもりでいるが、平凡で生身の人間でもある。どうしても思想的に合わない人間を、怨念とまではいかないが恨む心は消えない。

しかし、どのような人間でも「一度は認める、どこかで認める」と
いう心境を目指しているのも事実だ。
宗教に携わる者の一人として目指している心境でもある。

人を恨む心 - 実に人間的感情だ。
愚かな人間、されど人間。

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