■ 女房のこと

小生の女房は生まれも育ちも東京で、元公務員の二人姉妹の妹である。
小生の東京でのサラリーマン時代の同僚で、足掛け六年の交際を経て昭和59年に結婚した。
昭和59年は小生が神主として江別神社に奉職した年でもある。

この当時、小生の母はガンを患い、手術や入退院を繰り返していた。
父は大正生まれで戦争経験もあり、この年代の人は皆そうだが、とてつもなく頑固でわがままな人である。

彼女にとって小生との結婚は、異次元世界への旅立ちである。
生活環境の違い、生活習慣の違い、そして何よりも神社という全く未知の世界での生活。

最初の冬、凍った道路で話をしながら歩く北海道の人間に驚いていた。
彼女は北海道の冬道では足元に気が取られ、喋りながら歩く事が出来なかった。

一年の中で数える程しか来客のない、普通の公務員の娘として育った彼女に、来客のない日がない社務所での生活は落ち着く暇がなかったろう。

正月やお祭の準備の時など、神社の世界で当たり前に使う言葉の意味すらも理解出来ずに緊張の連続であったろう。

本来であれば、神社での色々なしきたりや我が家の習慣などは母が教える筈であった。

その母は長男が生まれた3ヶ月後の昭和61年1月に他界した。
女房と母が一緒に過ごした日は、一体何日あったのだろうか。

父も心臓の持病を抱えていて度々発作を起こし、時には救急車を呼ばなければならない事もあった。
特に母が他界してからの父は、その寂しさのせいか頑固さは増していった。

本当は涙もろくて情けの厚い性格の父なのだが、母のいない寂しさを癒す手だては見つけられない様だった。

同じ屋根の下で一緒に生活していて、我々夫婦に出来る事は、父のやりたい様にやらせてあげる事しかない。

そんな中で、女房の父への気遣いには頭が下がる。
自分自身を押し殺し、父の意志を全て受け入れている。

生まれ育った時代も環境も全く異なる二人である。
意見など違っていても当たり前だ。

しかし、女房は一切己の意志を父の前で主張する事はない。
ただひたむきに従い、尽くすだけだ。

父は昨年咽頭ガンを患い、声帯摘出手術を受け声を失った。
パクパクさせる父の口を、最も読み取るのは女房だ。

田舎の小社故に、神主は実質小生一人である。
神社を維持運営して行く上で女房は大切な働き手の一人である。

両親からは遠く離れ、親友も東京、この現実の中で自己の権利や主張を声高に叫んでも、生まれるのは軋轢だけだ。

彼女はそれがよく分かっている。
僅かな自由時間にささやかな趣味を持つ事で、現実に耐えている。

そしてその頑張っている姿を、二人の息子達は何も言わずに見守っている。

人間の社会には、人間の関係には、空想的理想論で解決できない泥々とした現実がたくさん存在する。

「どうにもならない現実」である。
この「どうにもならない現実」の中で、幸福への道筋を探るには相手の心情を思いやる心が必要だ。

そして、自身の事よりも人の心情を思いやる姿は美しい。
美しい生き様には感動を覚え、子孫の生き方にも大きな影響を与える。

女房には心から感謝している、その感謝の心は言葉では言い表せない。

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