17年前、「宗教の本質、庶民信仰」を知りたくて旅行した。
東南アジアの仏教国、中近東のイスラム国、東欧の社会主義国を約一か月かけリュックサックに寝袋を詰め、野宿覚悟で駆け巡った。

ろくに英語もできず、ましてや英語の通じない国ばかりを選んでの旅行、緊張の連続であった。
言葉通じなくとも「何か感じるもの」はあるだろう、という思いで旅立ったが「何か感じるもの」は大有りだった。

テーマのひとつであった「宗教の本質」はうまく探る事は出来なかった。
と言うより毎日の移動や食事、宿探しでとてもそんな余裕はなかった。
しかし、テーマに沿って行動しようと思っていたので、宿も食事も現地庶民レベル。
ハンガリーで夜になっても宿を見つけられなかった一泊を除いて、通常の日本人旅行者が泊まるようなホテルには泊まらなかった。
ブルガリアでは駅で野宿も強いられた。

食事も屋台をはじめ、その国々の庶民が出入りしている店にしか入らなかった。
さすがにタイとパキスタンでは果物以外、屋台の物は口にしなかった。
宿も食事も、まず値切るところから始まる。慣れてくるとこのやり取りが楽しかった。
毎日毎日、多くの国の多くの庶民と接した。これが大正解であった。
主義・思想・宗教を超える普遍的なものを発見したからだ。

それは「人間の本性」である。
主義・思想・宗教を超えて人間が神から与えられた、誰にもどうすることも出来ない「人間の本性」である。

仏教国だろうが、イスラム国だろうが、社会主義国だろうが親切な人は沢山いるし、差別する人も沢山いる。
言語や肌の色が違っても、所詮人間は人間なのだ。本性に大差などない。


人間の心の一番奥深くに存在するこの「本性」を解き明かす事が、人間を幸福に導く最も有効な手だてである。
「人間の本性」を的確に認識した上で、「人間のあるべき姿」を模索するのである。
故に「人間の本性」を見誤った主義・思想・宗教はおのずと衰退する。

帰国した二日後が女房との結納の日だった。
その時の女房の母の言葉、「生きて帰ってきてくれて本当に良かった」。
これも本性か、いや本音か。 

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