昭和47年に廃村となった。
一番の原因は電話が通じなかったからだ。
電灯は昭和30年代に通じていた。
つい30年ほど前まで人がいたなんて。
また500年間続いた平家村だった。そんなに歴史があったことにも驚いた。
(参考:新聞で見る新宮の100年)
神保(じんぽ)は昔は宍粟郡西栗栖村だった。
宍粟郡は今の山崎町と同じ郡。
そして神保の人は山越えで山崎町の菅野の小学校に通っていたそうだ。
荒れてしまったあの道を小学生が歩いていたとは驚いた。
2004年6月3日 早朝
栗栖池の奥にあるこの集落に山崎町側の林道から歩いてみた。
こちらがわも倒木が多いが新宮町側ほどではない。
集落跡には土倉やつぶれた家が残っていた。
電源のようなものもあり、電灯もついていたのであろうか。
ミシンも落ちていた。井戸や石でできた流し台があった。
このすこし新宮町よりの場所には祠があった。
しかし人が住まなければここまで荒れてしまうとは残念だ。
2004年6月2日 夕方
山崎町の町境も近いところにこの池はある。
農業用水を得るために作られた池のようだ。
大きな池だ。この池の先に道が続いている。
池にそって林道が付いている。砂利道だ。いまコンクリート舗装中だった。
その先の点線路はどうなっているか。
林道のようなものだ。しかし倒木がめちゃくちゃ多い。
嫌になるほどの木が倒れている。たぶん去年末の大雪のためだろう。
そして町境あたりの二股。地形図には広葉樹マークが入っていたが、
ほぼ植林だ。そしてその少し先まで行って引き返す。
たぶん昔ならすたすたと歩けただろう。あまりにも荒れていて少し寂しいような気がする。廃村神保までいってみたい。