初めての四国 石鎚山

2001年
5/26 土
親に山崎まで迎えに来てもらって龍野インターから山陽道に乗った。

高速道路をビュンビュン飛ばして、与島のサービスエリアに到着した。

オアシスと書いてある方へ行ったら、フィシャーマンセンターというのがあった。
遊覧船がここからでているらしい。
サービスエリアの方へ戻ってぶらぶらした。

ほいでから四国の高速道路を走った。所々対面通行のところがあって怖かった。
そしてうどんを食べた。高速道を降りてから、標高1000m近い峠越えをする。
峠に散歩道があったので歩いた。この道はすこぶる細かった。

面河村は本当に遠かった。一日仕事だ。もう3時を過ぎていた。
山岳博物館にも行ってみた。山渓の古い本があった。なぜか70年代はなかった。


旅館の部屋の中はしけっていた。
まあ山奥なので仕方がない。

5/27 日
8時くらいに出発して土小屋に向かった。
峠に着くとアルプスのにおいがした。携帯が通じた。
今日は清掃登山があるらしいがそんなにゴミは落ちていなかった。
一週間前は満開だったアケボノツツジは見れなかった。

     石槌山山頂


本当に歩きやすい道だった。笹原を抜けた。下ってくる人もたくさんいる。
山の上で泊まったのだろうか。最後は階段や崖につけられた橋を歩いた。

山頂にはたくさんの人がいた。白装束の方もいた。最高峰の弥山にも行ってみた。
岩場歩きだった。宿の人に作ってもらったお握りを食べていたら、「ウワー落ち
るかと思った」という声が聞こえたので、ビックリした。聞くところによると、
今年岩から落ちて亡くなった方がいるらしい。



少し引き返して面河の道を下る。山道らしくなった。シコクシラベの森の中を抜
けると、石槌山山頂が見える。人の姿も確認できた。この先で携帯電話が入らな
くなった。電池がもったいないので電源を切った。笹原の中を抜けた。水場もあ
った。


愛大小屋の前にはたくさんの人が休んでいた。この人達は下山組だった。
そしてこの先、笹の茂る道になったのでレインコートをはいた。ズボンが濡れな
くてすんだ。

標識の距離がどんどん短くなってきた。そして森の様子も変わってきた。地元の
山の雰囲気になった。標高1000m登るのはしんどいだろう。

そして鳥居を抜けて登山口に到着した。バンザーイ
なかなか歩きごたえがあった。

あとは川沿いの歩道を歩くだけ。途中、地震で崩れたところがあって遊歩道がつ
ぶれていた。鬱蒼とした森を抜けると茶屋にでた。カメラマンがたくさんイタ。

14:30 無事面河に到着

親はつい際ほど着いたばかりで、これから散歩に行くという。
小生は幾ばくか昼寝をしたが前が便所でくさいので、散歩をした。

そして16:30面河を出発した。
33号線を走った。市内に入る手前急なカーブが連続するが、みんな時速70キ
ロぐらい出しており疲れた。最近の性能のいい車だとスピードを出しても
怖くないのだろうか。ちなみに愛車は15年前のカムリです。

松山市内で最高級といわれる日本航空のホテルに泊まった。
インターネットで予約したので半額だった(^^)

5/28 月
松山城を見学して帰った。
石槌ハイウエイオアシスで腹がハチキレンほどカレーを食べた。

表紙     山の記録