進学校の両国高校に入学するだけあって、中学時代は結構勉強はできたようです。が、いざ高校に入ってみると、あまりのレベルの高さに数ヶ月で落ちこぼれに。まともに学校に行かない学生になってしまいました。盛り場をうろついて、興味を抱いたことに片っ端から挑戦しながら、自分が将来何をしようか・何ができるかを考えていた時期なのだそうです。そんな中でハマったものの一つが映画で、高校三年〜浪人のうちに相当な本数を観たそうです。芝居を見始めたのもこの頃ではないかと推測されます。ロック劇団“ミスタースリムカンパニー”を見て以来、小劇場を見まくり、“東京ボードヴィルショー”にハマったそう。
一浪して、大学に入学(奇跡?)。大学時代は登山部に入って山登りに打ち込み、一年の三分の一は山で過ごしたといいます。
子供の頃から役者を夢見ていたわけでは全然ないのだそうです。就職活動をする時期になって、映画や芝居が好きだったことから「役者になろうかな」と思われたのが、その道をはっきり意識した最初だったといいます。そして秘演『渋谷怪談』(1979年)で観た無名塾を受験することになります。
名付け親は無名塾の師匠である仲代さん。ごろーさんご自身も名前の由来が気になって、当時、師匠に理由を尋ねています。すると仲代さんは、「“大橋”というのは、深川出身に因んで隅田川の橋のこと。“吾郎”というのは、デビュー作『着ながし奉行』の岡本喜八監督の本名・喜八郎の“郎”であり、原作の山本周五郎の“五郎”であり、しかし“五”はらしくないということで“吾”に変えて“吾郎”とした。」というような説明をされたのだそうです。
去年(2006年夏)の無名塾の集いで、私は仲代さんに直接お会いする機会がありました。みんなサインをいただいていたのですが、私はサインの替わりに大橋吾郎の名前の由来を質問させていただきました。正直言って、「忘れた」という返事が来ると予想していたのですが、真摯に答えて下さり、名前が決まるまでの経緯も全部憶えていらっしゃいました(※ここでは省略しますが、ごろーさんと仲代さんの記憶が完全に一致していたことだけ記しておきます)。「役所に勤めていたから役所広司」というエピソードが有名なので、仲代さんというと語呂あわせのイメージを抱いていたのですが、実際にはそういう命名は稀なのだそうです。ほとんどが「瞬間の閃きです」だそうで、ごろーさんの名前も、「アイツは二枚目だから、二枚目っぽい名前でパッとひらめいたのが“吾郎”」と仰っていました。‥‥しかしそんな本当の理由を、若き日のごろー青年にそのまま伝えるのは可哀想に思われたのかもしれませんね。