★第四章〜さらに北海道!!〜★

【1】
 夕方になると町の中がやけにほこりっぽくて車が早くからライトをつけている。暗くなるのが早いので、とりあえず公民館のような建物の軒下で晩飯を食べ眠りにつく。
 朝早く、郵便受けの新聞を拝借して読むと「有珠山噴火」と、一面に書いてあるではないか。「有珠山ってすぐ近くじゃないか!」朝飯も食べずに慌ててパッキングをして出発の準備をはじめる。すると、「何をやっているんだ!」と、おじさんに怒られる。「すいませ〜ん」と謝り、パッキングを続けるとこのおじさんが「金が無いんか。朝飯を食って行け」とブッキラボーに言ってくれ、遠慮もなくご馳走になる。
 話を聞くとこの施設の管理人で「昔は陸軍中野学校の卒業生で、シベリア抑留から帰ってきた。ルバング島の小野田は俺の後輩だ」とおっしゃっていた。
 このご主人は亡くなられたが、しばらくは奥さんとコシヒカリを送ったり、鮭を頂いたりしていた。
【2】
 その後、やたらと雨が降り続いたように覚えている。日にちはハッキリしないが、札幌から日本海に抜け、稚内に向かったような気がする。稚内駅に向かって左側にある「日本最北端の駅・稚内」と書かれたプレートの下で名前を忘れてしまったサイクラーと宴会をする。一般旅行者は、このプレートをバックに写真を撮って帰るが、そのほとんどの写真の隅っこにピースサインをして写ってやった。
【3】
 自転車のバッグを紐で結びつけ、背中に担ぎ、自転車を駅の隅っこに置いて、稚内から利尻島・礼文島へ渡る。島内は歩きかユースホステルの車で移動した。
 旅を終えてから知ったことだが、1日違いで風間(第三章を参照)が稚内駅に着き、バッグのはずされた私の自転車を見ながらも「佐藤の自転車に似ているけど荷物が少ないから違うな」と思い、そのまま礼文島に渡ったとか。そして、同じ日のフェリーで利尻と礼文をすれ違っていた。
 
【4】
 礼文島・桃岩展望台から利尻富士と夕日を楽しむ。俺ってロマンチストかも知れない...(^_^;)
【5】
 再び稚内駅に戻る。「このプレートの下で宴会をして泊まったんだ〜」と、今となっては懐かしく思い出される。
【6】
 網走の近くだったと思うが、稚内駅で一緒に酒を飲んだサイクラーが「よう、また会ったな〜。安い民宿があるぞ」と誘われる。ここにもいろんな人が居て、またまた酒を飲んだ覚えがある。
 しかし、酒飲んでばっかりだなぁ〜(^_^;)